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「慰安婦」被害者キム・スンオクさん逝去…生存者は26人に

登録:2018-12-05 22:40 修正:2018-12-06 07:42
1940年「工場就職」にだまされて慰安所に連れていかれ 
2005年ナヌムの家に定住し名誉回復運動
ソウル市鍾路区中学洞の旧日本大使館前で開かれた水曜集会に参加したキム・スンオクさんの生前の姿=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 日本軍性奴隷として連れていかれ苦難に遭った「慰安婦」被害者キム・スンオクさん(96)が、日本政府の公式謝罪を受けられないまま恨を抱いて亡くなった。これで政府に登録された日本軍「慰安婦」被害者のうち生存者は26人に減った。

 「慰安婦」被害者が集まって暮らす京畿道広州(クァンジュ)市の「ナヌムの家」は、「キムさんが5日午前9時5分、ソウルの峨山(アサン)病院で老衰のため死亡された」と5日明らかにした。葬儀室はソウルの峨山病院葬儀場に用意された。出棺は7日で埋葬地は「ナヌムの家」追悼公園だ。

 キム・スンオクさんは、1922年平壌で生まれた。18歳だった1940年に工場に就職できるという言葉にだまされて中国に向かったが、その後黒龍江省の慰安所に連れていかれ、屈辱的な人生に耐えなければならなかった。キムさんは解放後、生計のために中国人と結婚し、中国の東営に定着した。

 故国を懐かしく思ったキムさんは、2005年に女性部(現、女性家族部)、韓国挺身隊研究所、ナヌムの家の支援で大韓民国の国籍を回復し「ナヌムの家」で生活してきた。

 国籍を回復したキムさんは、高齢にもかかわらず「日本軍性的奴隷問題解決のための水曜集会」はもちろん、日本軍の蛮行を告発する証言をするなど、「慰安婦」被害者の名誉回復活動に積極的に参加した。

 また、2013年には日本政府に「慰安婦」被害にともなう慰謝料を支払えとの民事調停を申請し、少女像にいわゆる“杭テロ”を犯した鈴木信行と日本軍「性的奴隷」被害者を卑下した日本のロックバンド「桜乱舞流」、書籍『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授を告訴するなど、被害者の名誉回復と日本の公式謝罪を要求することに余生を捧げた。

 チン・ソンミ女性家族部長官は「今年10月ナヌムの家を訪問し、おばあさんを直接訪ねてからいくらも経たずに逝去の報せに接することになり、あまりにも心が痛い」として、哀悼の意を伝えた。チン長官は「もう私たちに残された時間が多くないだけに、被害者一人ひとりに一層誠意を尽くし見守ってゆく。すべての被害者の傷の治癒と名誉・尊厳の回復のために最善を尽くす」と明らかにした。女性家族部は、キムさんの葬儀費用を支援する方針だ。

 一方、この日ソウル市鍾路区の旧日本大使館前で開かれた第1364回「水曜集会」で、参加者はキムさんを賛える黙祷をささげ、彼女の遺影に花を捧げた。

キム・キソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/873103.html韓国語原文入力:2018-12-05 20:01
訳J.S

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