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「初めて『お父さん』と呼んでみます」…4・3犠牲者の遺骨と70年ぶりに対面

登録:2018-11-23 06:47 修正:2018-11-23 12:42
済州4・3軍法会議・予備検束犠牲者の遺骨29柱の身元確認 
済州4・3平和公園で遺骨と遺族の対面行事、涙に包まれる 
遺骨404柱のうち121柱の身元を確認…追加確認が課題に
ある遺族が家族の遺骨の前で嗚咽している//ハンギョレ新聞社

 「お父さん、こう呼ぶのが何年ぶりかも分かりません。はじめて『お父さん』と呼んでみます」。70代後半のおばあさんが、白い木綿の布で包まれた遺骨箱を抱えて泣いていた。

 22日午前、済州市鳳開洞(ポンゲドン)済州4・3平和公園の平和教育センターは涙の海と化した。青い済州の秋空とは裏腹に、平和教育センターには立ち上るお線香の煙と共に、あちこちで号泣し、すすり泣く声が響いていた。この日、済州道と済州4・3平和財団、済州4・3遺族会が共同主管し、2007~2009年に済州空港で発掘された済州4・3犠牲者遺骨の中で、身元が確認された29柱に対する奉安式が行われた。

済州空港で発掘された済州4・3犠牲者遺骨のうち、身元が確認された29柱が運ばれている//ハンギョレ新聞社

 遺骨が発掘されてから10年以上が経ったにもかかわらず、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権時代には予算が支援されず、身元確認ができなかったが、文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後国費12億ウォン(約1億2千万円)が支援されて、今年は身元確認できるようになった。

 2007年から2009年に済州空港から発掘された済州4・3犠牲者の遺骨は合わせて404柱であり、今回の29柱を含めて、これまで121柱の身元が確認された。発掘された遺骨は1949年10月、軍法会議と朝鮮戦争後の予備検束で犠牲になった済州島民だ。

 4・3当時兄のヤン・メンスク氏を亡くしたチャン・ボクヒさん(77)は、約70年前に肩車に乗せてくれた兄との思い出を振り返りながら、「遅くなりすぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ」として、涙を流した。

遺族が家族の遺骨箱の前で嗚咽している//ハンギョレ新聞社

 父親の遺骨が見つかった西帰浦市(ソギポシ)中文洞(チュンムンドン)のキム・サンホさんは「68年が過ぎて父の遺骨を見つけるなんて、夢を見ているようだ。今夜、夢の中で父に会って、手を握りながら、これまでの苦労をねぎらいたい」と語った。西帰浦市西ホン洞(ソホンドン)から2人の妹と共に訪れたカン・インソンさん(86)は、「11歳のとき、父が町の警察派遣所に連れて行かれた。私がそこまで行って父を連れて行かないでほしいと、地面に転がって泣き叫んだことを思い出す」と話した。

ある遺族が遺骨の入った箱を撫でている//ハンギョレ新聞社

 済州空港の遺骨発掘現場で、いつも悲しそうに兄を探して泣いていたヤン・ユギルさん(82)も、今回兄の遺骨と対面した。これらの遺骨は4・3平和公園内の遺骨奉安館に安置された。

 残りの遺骨の身元を確認するためには、政府による予算支援がさらに必要である。同日、済州道4・3犠牲者遺族会のオ・イムジョン副会長は、「昨年、夫の遺骨を待っていた女性が亡くなった。現在発掘された遺骨の身元を追加確認し、家族の元に返すのが道理だ」と話した。

ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/871414.html韓国語原文入力:2018-11-22 20:12
訳H.J

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