「お父さん、こう呼ぶのが何年ぶりかも分かりません。はじめて『お父さん』と呼んでみます」。70代後半のおばあさんが、白い木綿の布で包まれた遺骨箱を抱えて泣いていた。
22日午前、済州市鳳開洞(ポンゲドン)済州4・3平和公園の平和教育センターは涙の海と化した。青い済州の秋空とは裏腹に、平和教育センターには立ち上るお線香の煙と共に、あちこちで号泣し、すすり泣く声が響いていた。この日、済州道と済州4・3平和財団、済州4・3遺族会が共同主管し、2007~2009年に済州空港で発掘された済州4・3犠牲者遺骨の中で、身元が確認された29柱に対する奉安式が行われた。
遺骨が発掘されてから10年以上が経ったにもかかわらず、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権時代には予算が支援されず、身元確認ができなかったが、文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後国費12億ウォン(約1億2千万円)が支援されて、今年は身元確認できるようになった。
2007年から2009年に済州空港から発掘された済州4・3犠牲者の遺骨は合わせて404柱であり、今回の29柱を含めて、これまで121柱の身元が確認された。発掘された遺骨は1949年10月、軍法会議と朝鮮戦争後の予備検束で犠牲になった済州島民だ。
4・3当時兄のヤン・メンスク氏を亡くしたチャン・ボクヒさん(77)は、約70年前に肩車に乗せてくれた兄との思い出を振り返りながら、「遅くなりすぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ」として、涙を流した。
父親の遺骨が見つかった西帰浦市(ソギポシ)中文洞(チュンムンドン)のキム・サンホさんは「68年が過ぎて父の遺骨を見つけるなんて、夢を見ているようだ。今夜、夢の中で父に会って、手を握りながら、これまでの苦労をねぎらいたい」と語った。西帰浦市西ホン洞(ソホンドン)から2人の妹と共に訪れたカン・インソンさん(86)は、「11歳のとき、父が町の警察派遣所に連れて行かれた。私がそこまで行って父を連れて行かないでほしいと、地面に転がって泣き叫んだことを思い出す」と話した。
済州空港の遺骨発掘現場で、いつも悲しそうに兄を探して泣いていたヤン・ユギルさん(82)も、今回兄の遺骨と対面した。これらの遺骨は4・3平和公園内の遺骨奉安館に安置された。
残りの遺骨の身元を確認するためには、政府による予算支援がさらに必要である。同日、済州道4・3犠牲者遺族会のオ・イムジョン副会長は、「昨年、夫の遺骨を待っていた女性が亡くなった。現在発掘された遺骨の身元を追加確認し、家族の元に返すのが道理だ」と話した。