本文に移動

沖縄の4月と済州4・3、“悲劇”を抱きしめた“悲劇”

登録:2018-11-22 06:13 修正:2018-11-22 07:56
沖縄の住民ら、日本軍の弾除けと集団自決を強いられた 
22日から済州4・3平和記念館で「沖縄戦の記憶と絵画展」 
済州沖縄学会「済州-沖縄の交流連帯シンポジウム」開催
避難//ハンギョレ新聞社

 太平洋戦争が終わりに近づいた1945年4~6月、日本の沖縄では日本軍と米軍が激しく戦闘を繰り広げていた。3カ月あまり続いた戦闘で、米軍と日本軍約8万人が命を落とした。この戦闘で、沖縄の住民らは日本軍の強要で弾除けとなり、島全体人口の25%に達する約12万人が犠牲になった。本土からきた日本軍は島の住民らに集団自決を強要し、これを免れるため洞窟に避難した住民らもいた。

 沖縄を占領した米軍は日本本土への上陸を目指していた。米軍の中間占領地が済州(チェジュ)になると予想した日本軍は、済州に約6万5千人の兵力を集結させ、米軍との一戦に備えた。幸い日本の無条件降伏で、済州は戦火を免れた。しかし、1948年に済州4・3が始まり、済州の人々の境遇は3年前の沖縄住民と変わらない状況となった。

犠牲//ハンギョレ新聞社

 沖縄戦で生き残った住民が自らの体験を直接描いた絵画作品が済州で紹介される。済州大学平和研究所と済州4・3平和財団が22日から12月10日まで、済州市奉開洞4・3平和記念館2階の企画展示室で共同主催する「沖縄戦の記憶と絵画展」だ。合わせて132点が展示される。収容所や避難に出た住民ら、亡くなった母親のそばに座っている子どもの姿は、画家のカン・ヨベ氏の「椿の花散る」を連想させる。

 開幕日の22日午前9時30分からは済州大学平和研究所主催のシンポジウムが、23日午後12時40分からは済州沖縄学会の主管で「済州と沖縄の持続可能な交流と連帯」という国際学術会議が開かれる。主催側は「済州と沖縄住民の持つ苦しみの記憶に共感し、これを通じて両地域間の交流と連帯が深まることを願っている」と述べた。

ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/871141.html韓国語原文入力:2018-11-21:17
訳H.J

関連記事