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「お父さん!と呼びたかったのに…」20日から離散家族再会行事始まる

登録:2018-08-18 07:28 修正:2018-08-18 09:30
20~26日、金剛山で離散家族再会 
キム・ヨンジャさん、北側の父の家族と会う 
健康などの理由で南側9人が再会をあきらめ 
以前より再会時間1時間増え
6月25日、大韓赤十字社本社で開かれた離散家族再会候補者選定コンピューター抽選でパク・キョンソ韓赤会長が平安北道鉄山出身のパク・ソンウンさん(95)と話している。抽選の結果、対象者に選ばれなかったパクさんは「自分は終わった」と言って去った=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 6月25日、大韓赤十字社の本社で開かれた離散家族再会候補者選定コンピューター抽選会で、パク・キョンソ韓赤会長が平安北道鉄山出身のパク・ソンウンさん(95)と話している。抽選の結果、対象者に選ばれなかったパクさんは「自分は終わった」と言って去った=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 クォン・ソクさん(93)は生涯「心の息子」を恋しがった。17歳の時に出会った夫には先に亡くなった前妻が産んだ息子がいた。クォンさんは自分よりわずか2歳年下のその子を自分の子どものように大切にした。息子も実の母のようになついた。そんなある日、戦争が起こった。永登浦(ヨンドゥンポ)の紡織工場で働いていた息子がいなくなった。理由はわからない。そうして2000年の首脳会談の後、金剛山(クムガンサン)離散家族再会行事に行ってきた知人が「あなたが話していた息子は平壌(ピョンヤン)で暮らしているそうだ」と伝えてくれた。その日以来、「息子に会う日」ばかり指折り数えて待った。

 クォンさんは20日から行われる第21回離散家族再会に参加するため金剛山に行く。ところが、南と北の赤十字社が確認して伝えた北朝鮮の家族リストに息子の名前はなかった。2005年に亡くなったという。今回は、息子が世に残した二人の孫に会う。血は一滴も混じっていないが、クォンさんには夢にまで見た孫たちだ。還暦近い孫たちが生前の息子の話を聞かせてくれるだろう。「再会を申請をして以来20年が経ったが、何の応答もないので(息子には)会う意思がないと思っていました。しかし、このように成功しました。(息子の)子どもたちにでも会えることになって期待が大きいです」

 生涯父親を恋しがったキム・ヨンジャさん(74)も金剛山に行く。2002年に亡くなった父の代わりに、父が北に残した「腹違いの」弟(63)に会う。父についての記憶がほとんどないにもかかわらず、懐かしさが身にしみる。1985年の秋に初めて離散家族再会が行われた時から申請書を出し続けたが、今まで再会者リストに載ることはなかった。「再会申請を早くからしていたのに、この日まで会えず、父は亡くなりました。父に会ったら『お父さん!』と大きな声で呼びたかったのに今はいません」。キムさんは北の弟と会って、父の痕跡を探すだろう。

 第21回の再会行事に参加する南と北の家族は20~26日、1・2回にわたり約65年間離れて暮らしていた家族と金剛山で会う。1回目(20~22日)には南側の訪問団89人が北側の家族と、2回目(24~26日)には北側の訪問団83人が南側の家族と再会する。当初1回目には93人、2回目にが88人が最終選定されたが、南側家族9人が健康悪化などを理由に再会をあきらめた。今回訪朝する南側の離散家族は全部で534人(1回目197人、2回目337人)だ。家族間の出会いは6回にわたり計11時間行われる見通しだ。直前の再会行事である2015年の第20回より1時間増えた。再会二日目は家族たちが客室で個別再会(2時間)を行った後すぐ、一緒に昼食(1時間)ができるようになったためだ。生涯家族に会う日を待ってきた彼らにとっては大切な時間だ。

共同取材団、ノ・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/858132.html韓国語原文入力:2018-08-17 20:58修正:2018-08-17 21:07
訳M.C

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