人の最期の姿は、時にはその人が生きてきた人生全体を含蓄する。特権を拒否した国会議員として、陣営を超えて尊敬された政治家のノ・フェチャンを称える葬儀場の周辺は、彼が歩んできた道に似ていた。特権も境界もない追悼の風景だ。
「そこにはいかなる特権もなかった。名の知れた高位層も、追悼の行列に立って一歩一歩前に進み、弔問を行なった。ノ・フェチャン議員を追悼する気持ちではみんな平等だったし、割り込みも優先順位もなかった」。ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学セブランス病院に設けられたノ・フェチャン正義党議員の葬儀場を訪れたパク・レグン人権財団「サラム」常任理事が25日、自分のフェイスブックに掲載した文だ。パク・レグン理事の説明どおり、ノ議員の葬儀場では他の葬儀場では見られない風景が広がっていた。「権力者」と「名士」らが一般人の弔問客に紛れて並び、葬儀場に共に入場して弔問したのだ。二日目の24日から弔問客が殺到して、待機者の列が数十メートルに及び、待機者たちの中で政治家や高官らの姿が目立つようになった。パク・チウォン民主平和党議員などの与野党の政治家らやイ・ジェミョン京畿道知事、ソン・ソッキJTBC社長などが一般人の弔問客らに紛れて数十分以上も並んだあと弔問した。“特権”を主張する人はいなかった。正義党は同日午後10時現在、1万8101人がノ議員の葬儀場を訪れたと明らかにした。
弔問客らの待機時間が長引くことを心配した正義党側が弔問の手続きを簡素化したことで、葬儀場の中でも一般弔問客と名士が入り混じった。正義党は弔問客が集まった24日からはできる限り単独弔問を受けず、献花や焼香、お辞儀などの手続きも省略した。10~20人の弔問客らが靴も脱がず、同時に葬儀場に入場し、黙祷することで、手続きを簡素化した。イ・ヘチャン元首相も、ソン・ヘウォン共に民主党議員も、多くの市民とともに入場して故人を称えた。
ノ議員の最期の道は文字通り「各界各層」の人が集まり、韓国社会の全ての分野で「オールラウンドプレーヤー」として走ってきた彼の政治履歴を裏付けた。サムスン電子半導体工場の白血病問題で闘い続け、最近、サムスンの調整合意を引き出したパンオルリム(半導体労働者の健康と人権の守り役)、復職闘争で勝利したKTX解雇乗務員などが葬儀場を訪れ、喜びを分かち合えないことを残念がった。
「マイノリティ」を代弁し続けた彼の不在がより大きく感じられる人たちもいる。2008年、ノ議員がソウル蘆原(ノウォン)丙選挙区から出馬した際、支持を宣言したタレントのハリスさんもこの日、葬儀場を訪れた。ノ議員は、性的マイノリティが戸籍上性別を変えられるよう「性転換者の性別変更などに関する特別法案」を発議したことがある。2005年「障害者差別禁止法」を代表発議したため、障害者団体の悲しみも大きい。障害者差別撤廃連帯は彼が死亡した後、直ちに追悼論評を発表し、団体の会員たちは車椅子に乗って葬儀場を訪れ弔問した。
ノ議員の政治的命運を分けた「サムスンXファイル事件」の当事者であるホン・ソクヒョン中央ホールディングス会長からソ・チョンウォン、ナ・ギョンウォン、ウォン・ユチョル議員(自由韓国党)などの保守政党の政治家らも、葬儀場を訪れた。正義党のある関係者は「亡くなってから、陣営を超えて人間的かつ合理的な面について共感を得られた人物というのがさらに切実に感じられる」と話した。