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ノ・フェチャン議員の葬儀に連日数千人…この弔問の列が意味するものは

登録:2018-07-25 10:36 修正:2018-07-25 14:49
「重い荷を負わせてごめんなさい」 
「強者に対抗した政治家が逝ってしまった」 
「学生に交通費を渡してくれた方」 
弱者を代弁した「正義」の政治家としての記憶 
 
子どもの手を引いた家族、学生、会社員… 
ノ・フェチャンの葬儀場・焼香所の弔問に熱気
今月24日夕方、ノ・フェチャン正義党議員の安置所が設けられたソウル西大門区の延世大学セブランス病院の葬儀場で、弔問を終えたか順番を待つ市民らが列を作って行き来している=キム・ギュナム記者//ハンギョレ新聞社

 「庶民の立場で発言してくれた政治家」「弱者のために強者の前で堂々としていた国会議員」「大らかなおじさんのように笑っていた人」

 政治家ノ・フェチャンについて、平凡な市民たちが覚えている記憶だ。

 24日、ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学セブランス病院の葬儀場は、一日前に自ら命を絶ったノ・フェチャン正義党議員を追悼するために足を運んだ市民が長蛇の列をなした。35度を超える猛暑の中でも、二日間で8000人(24日夜10時基準)の弔問客が葬儀場を訪れた。葬儀から二日目を迎えたこの日の夜には、ノ議員の安置所のある地下2階から葬儀場の入口まで行列するほど、弔問客が絶えなかった。大学生、子どもの手を引いた家族、作業服を着た会社員など、さまざまな市民が列をなして立っている風景は、少数政党の国会議員だった彼がどれほど幅広い大衆から愛されてきたかをうかがわせた。

 追悼客は政治家ノ・フェチャンを弱者の代弁者として記憶していた。彼の言葉に共感し、彼の声に元気づけらえたというのだ。インタビューの間ずっと涙をこぼしていたパク・ミンジャさん(48)は「庶民の立場で共感できる言葉をたくさん言ってくれた。そんなふうに言える人は(政治家の中で)多くないと思う」とし、「これまでの人生が無駄ではないということを証明するため、私の小さな一歩でも役立てなければと思った」と話した。大学生のウォン・スンジェさん(20)「“大らかなおじさん”のように笑う姿、討論に出ても快活に説明していた姿が記憶に残る」とし、「サムスンと闘っていた姿、その堂々とした姿が格好よかった」と振り返った。ウォンさんは「いつも弱者のために強者の前で堂々としていたが、こんなふうに寂しく逝ってしまうなんて少し卑怯だと思った。直接来てみると、どれほどつらかっただろうかと思った」と声を詰まらせた。

 会社の半休を取って弔問に来たという会社員のキム・ジスさん(43)も「弱者を代弁する政治、強者らに抵抗する政治をするノ・フェチャン代表のような政治家は多くない」とし、「生き続けて弱者のための立法、制度を作ってほしかったのに」と無念さをにじませた。

 大衆的進歩政治家の道を歩んだノ・フェチャン議員の素朴な人柄を慕う人々もいた。「彼は既成の政治家たちとは違った」という説明だ。大学生のソン・ウングンさん(21)は「高校時代、ノ・フェチャン議員に直接会ってインタビューを交わした後、ご縁が続いた」と話し、「友達との関係に関するアドバイスをまじめにしてくれたり、地方から来た私に交通費5万ウォンを握らせてくれたりもした」と振り返った。

 政治家の死をめぐって、このように熱い哀悼が捧げられるのはめったにないことだ。この死から、ある人たちは2009年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の逝去を思い出した。弱者を代弁し、庶民と近かった政治家を「守ってあげられなかった」というトラウマが蘇ったようだった。実際に葬儀場で会った弔問客の一部は「盧元大統領の時もこうだった」と話した。20代の溶接工時代から交渉団体の院内代表を務めるまで、30年余りの間一度もわき目を振らず、疎外された人々と共にしてきた政治家ノ・フェチャンの正義が、「不法政治資金4000万ウォン(約400万円)」の逸脱を上回るという社会的信頼も大きいものとみられる。

 実際に弔問客らは、恥知らずな政治の現実の中で「正義の」政治家ノ・フェチャンが死を選択したことについて、口をそろえて残念さを伝えた。会社員のチョン・ギョンスクさん(50)は「不条理な社会で健康な政治家が先に逝かなければならない現実が悔しい」と涙を流した。葬儀場を訪れたチョン・ジョンフン延世大学連合神学大学院教授も「小さな傷のために命まで絶った方に対する無念が大きい。その跡を、生きている人々が努力して埋めていくべきではないかと思う」と話した。

今月24日午後、ソウル西大門区のセブランス病院の葬儀場に設けられた故ノ・フェチャン正義党院内代表の安置所に、ある弔問客が書いた手紙が置かれている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 手紙を残して追悼の気持ちを伝えた人々もいた。小学校4年生の子どもが残した手紙には「お父さんとお母さんがノ・フェチャン議員をとても好きだったのに、突然のことでとても悲しいです。正義党の本部でお会いしたかったのに、こういう場所でお会いして残念です」と書かれていた。また、他の市民は手紙を通じて「ここまで耐えて生きてきて、ご苦労されました。重い荷を負わせてごめんなさい。生きていく人たちはノ議員の言葉のとおり頑張ります」と誓った。

 ノ議員に向けた追悼の熱気は全国の焼香所を越え、国外にも広がっている。中国の北京、米国のロサンゼルスなどの韓国人社会でも焼香所を設け、弔問を受けているという。正義党は盧議員の葬儀の日程の5日のうち、25日までの三日間を正義党葬として行い、26日から残りの二日間は国会葬に昇格して行うことにしたと明らかにした。正義党葬の場合、イ・ジョンミ代表が常任葬礼委員長を務めるが、国会葬はムン・ヒサン国会議長が葬礼委員長を務め、葬儀の手続きを主管することになる。

今月24日夕方、ノ・フェチャン正義党議員の安置所が設けられたソウル西大門区の延世大学セブランス病院の葬儀場に立てられた案内表示板。弔問客が押し寄せ、病院側が立てておいた=キム・ギュナム記者//ハンギョレ新聞社
オム・ジウォン、ソ・ヨンジ、キム・ギュナム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/854720.html韓国語原文入力:2018-07-25 08:37
訳M.C

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