5月21日と27日、数回ヘリ射撃
武装ヘリ3機、19日から出撃待機
新軍部の「自衛権」主張覆す証拠
戦闘機爆弾装着出撃待機が
「光州爆撃用」なのか追加調査が必要
「仮面を被ったサタンであるか、もしくは、聖職者ではない」
全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領は昨年『全斗煥回顧録』を通して、1989年2月に国会の光州特別委員会聴聞会で5・18当時戒厳軍のヘリ射撃を目撃したと証言した故チョ・ビオ・モンシニョール神父をこのように非難した。 チョ神父は当時聴聞会で「80年5月21日午後1時半から2時の間に、旧全南道庁の方から社稷公園方向にヘリが飛んで行く時ぴかっと光が見え、同時に連続3回にわたって天地を揺るがすような機関銃の音が聞こえた」と証言した。 全元大統領がカトリック神父をサタンという極言で非難したことから分かるように、5・18での戒厳軍のヘリ射撃は微妙な問題だった。
全元大統領の主張と異なり、80年5・18当時ヘリ射撃があったことが明らかになった。 国防部の5・18民主化運動特別調査委員会(特調委)は7日、「80年5月21日と27日、光州に出動した40機余りのヘリのうち、一部の攻撃ヘリ500MDと機動ヘリUH-1Hが市民に向けて数回射撃を加えた」と明らかにした。 5月21日のヘリ射撃は戒厳軍の鎮圧作戦の野蛮性、残虐性、犯罪性を如実に見せてくれる。 特調委は「5月21日、旧全南道庁付近と光州川を中心にヘリ射撃をして、デモ群衆を強制的に解散させた」と明らかにした。 非武装の光州市民にヘリ射撃を加えたのは「武装デモ隊に対する自衛権次元の発砲だったという戒厳軍の主張をひっくり返す証拠で、非人道的かつ積極的な殺生行為」であり、「計画的・攻勢的性格」であると特調委は説明した。5月27日の旧全南道庁鎮圧作戦時のヘリ射撃は集団殺害ないし良民虐殺だったと説明した。
特調委は「5月22日、第103航空隊長など操縦士4人がコブラヘリ2機にバルカン砲(20ミリ)500発ずつを積んで光州に出動し、5月23日、戦闘兵科教育司令部でバルカン砲1500発を受領した」として「大量殺傷能力を取り備えた攻撃用コブラヘリコプターからもバルカン砲射撃をした可能性がやはり非常に高い」と明らかにした。
5月21日ヘリ射撃確認は5・18発砲命令権者を探し出すのに重要な糸口になり得る。今回の調査で新たに明らかになったのは、陸軍航空隊所属のヘリなど戒厳軍の武装時点だ。戒厳軍側は5月21日午後7時30分に戒厳司令官の自衛権保有の宣明がなされるまでは光州に武装ヘリは投入されなかったと主張したが、実際には5月19日から光州に司令部がある陸軍第31師団に武装ヘリ3機が待機していた事実が明らかになった。
特調委側は「5月21日朝8時に(最高警戒態勢の)“珍島犬1”が発令された」と明らかにした。珍島犬1は接敵(敵を前にしている)状況を仮定したもので、「非正常な命令系統によって成されたもの」だ。 実弾配給命令は5月21日明け方4時30分、戒厳司令部で開かれた会議で軍の自衛権発動とともに決定された。5月21日午前11時まで光州・全南・全北のすべての部隊に1人当り90発の実弾が支給された。これは旧全南道庁前の集団発砲(5月21日午後1時)等の発砲命令と関連して「武装デモ隊に対する自衛権的次元の措置だった」という全元大統領など新軍部側のこれまでの主張を覆す重要な証拠だ。
京畿道水原(スウォン)の第10戦闘飛行団での戦闘機の空対地爆弾装着待機と、慶南泗川(サチョン)の第3訓練飛行団での攻撃機に対する異例の空対地爆弾装着待機の事実も確認された。通常、空軍戦闘機は北朝鮮戦闘機の南下を防ぐために空対空武装をして待機する。 しかし特調委は「現在としては、それが光州を爆撃するためのものという明確な根拠資料は見つけることができなかった。通常の措置ではなく非常措置だったという事実までは確認した」と説明した。