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全斗煥政権、80委員会作り空輸部隊員の手記も操作

登録:2017-10-24 06:41 修正:2017-10-24 13:19
[国防部特別調査委員会の調査] 
1985年に光州真相究明の要求が激しくなると 
党・大統領府や安企部など権力機関を網羅し 
「80委員会」を秘密裏に設置、運営 
 
軍事研究所、部隊員の体験手記を作成 
「地面射撃」の単語が修正液で消され 
80委員会「不利な内容は修正」明記
今月23日午前、ソウル龍山区国防部のブリーフィングルームで行われた5・18特別調査委の中間調査の結果発表記者会見で公開された全斗煥政権の80委員会関連資料。特調委は全斗煥政権が1985年6月に80委員会を構成して5・18民主化運動に対する政府レベルの対応策を設けたと発表した/聯合ニュース

 全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が1985年6月に急いで「80委員会」を構成したのは、5・18民主化運動をめぐる真相を究明せよという要求が高まり、汎政府レベルの対応策作りが至急な課題として浮上したためだ。

 1985年5月23日、ソウル地域の5大学の学生73人は、ソウル乙支路(ウルチロ)の米文化院を奇襲占拠して3日間座り込みを行い、光州(クァンジュ)虐殺の真相を明らかにするよう要求した。5・18民主化運動が全国的な問題に浮上すると、国会でも野党議員の攻勢が集中し、当時のノ・シニョン首相とユン・ソンミン国防部長官などが困難に見舞われた。第5共和国政府が「光州事態真相究明関係長官対策会議」を開いたのは、米国文化院の奇襲占拠から13日後の6月5日だ。

■一瀉千里に作られた80委員会

 関係長官対策会議はすばやく進められた。首相室の行政調整室長を委員長として「光州事態真相究明委員会」を設置・運営することに決定し、内務部、法務部、国防部、文化公報部、陸軍本部、保安司令部、治安本部、大統領府、民政党、国家安全企画部(安企部)などを参加させた。具体的な業務推進のために実務委員会を編成することにして、機構の性格を隠すために「80委員会」と名前を定めた。80委員会は収集整理チーム、分析作成チーム、支援チームの計3つの実務チームと、彼らを管理する審議班などで構成され、実務責任は安企部第2局長が担った。5・18民主化運動のヘリコプター射撃および戦闘機出撃待機に関連する国防部の特別調査委員会(国防部5・18特調委)は、偽装名称の使用背景について「この機構が外部に知られることを阻止する措置と見られる」と説明した。

 80委員会は5・18関連資料の収集や、白書の発刊、広報対策の樹立を目標とした。当時の85年6月6日の会議資料によると、「部長指針」による作業の方向を第1段階総合白書の発刊と第2段階の広報対策樹立に区分し、各機関別収集資料のリストを具体的に規定している。イ・ゴンリ国防部5・18特調委委員長は「『部長指針による作業方向』という表現から、部長は安企部長を指すものとみられる」と話した。当時の安企部長は5・18当時、特戦司令部作戦参謀だったチャン・セドン氏だった。当時、80委員会が各機関に要求した資料は包括的だ。例えば、陸軍本部の場合、5.18関連の核心争点である戒厳指揮体系、作戦命令の根拠、作戦指揮体系、日付・地域・部隊別の作戦状況、鎮圧過程、実弾使用量などを報告するよう要求している。

 80委員会の活動結果は軍の記録の歪曲の試みにつながったと疑われる。国防部5・18特調委は1988年に軍事研究所が発行した光州事態作戦参加要員体験手記をその実例に挙げた。この体験手記は、1985年と1988年の2回にわたり27人を対象に作成されたが、1985年当時、指針に「軍に不利な内容は再送付して修正すること」と明記されているということだ。ある空輸部隊の要員が「暴徒を200~300メートルの距離から地面射撃と空砲射撃で追いはらった」と書いた体験手記の内容で「地面射撃」という単語が修正液で削除された痕跡も確認された。地面射撃は地に向かって射撃したという意味とみられる。通常、空砲弾は空に向かって撃つ。地面に撃つと弾丸がはねて人が怪我をする可能性もある。

 イ・ゴンリ委員長は「1981年6月8日に提出された体験手記によると、5月21日の道庁前の集団発砲の場合、午後1時30分に自衛権保有の命令が通達されたというような内容があり、特に「ひざ撃ち」の姿勢で集団射撃したという衝撃的な内容もある」とし、「これは88年に軍事研究所が発行した体験手記との内容に差があり、特定の事件ではさまざまな修正が行われていることがわかる」と話した。彼はこのような違いについて「80委員会のような政府レベルの組織的介入があったものと推定される」と話した。

 5・18特調委はしかし、80委員会の具体的な活動内容や白書の発行有無などを具体的に確認できてはいないと明らかにした。イ・ゴンリ委員長は「当時発刊された白書を保存しているか、国情院に確認を要請する計画」だと述べた。

■ヘリコプター射撃疑惑立証する物証は見つからず

 国防部5・18特調委は、5・18当時の戒厳軍のヘリコプター射撃と戦闘機出撃待機疑惑と関連して、目撃者など50人を調査して内容を分析したが、まだ二つの疑惑を立証する新しい証拠は確保できていないという。5・18ヘリコプター射撃疑惑は1995年にも検察の捜査線上に上がったが、当時5・18に関連する告訴・告発事件を捜査した検察はヘリコプター射撃被害の主張を一蹴し、「該当者たちはヘリではなく戒厳軍の小銃などに当たって負傷したもの」と発表した。検察が「成功したクーデターは処罰できない」とし、新軍部勢力について「公訴権なし」という決定を下した時だ。イ委員長は「当時も目撃者たちの証言があるにもかかわらず、(捜査当局は)軍公職者の供述と軍資料をもとに、ヘリ機銃掃射はなかったと説明した」とし、「(政治的な状況のために当時の)被害者や目撃者たちの証言は価値評価がまともになされなかった」と説明した。5・18特調委は新しい証言者・情報提供者を発掘しているとし、積極的な情報提供も要請したが、新たな物証を確保できるかどうかは未知数だ。

パク・ビョンス先任記者、キム・ジウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/815693.html 韓国語原文入力:2017-10-23 23:52
訳M.C(2640字)

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