日本軍「慰安婦」被害者のハ・サンスクさんが28日午前逝去した。享年89。
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は「日本軍“慰安婦”被害者のハ・サンスクさんが28日午前9時10分頃、持病による敗血症で死亡した」と28日明らかにした。ハさんが亡くなって日本軍「慰安婦」被害を受けた生存者は36人に減った。
ハ・サンスクさんは1928年、忠清南道瑞山(ソサン)で生まれた。礼山(イェサン)で暮らしていた1944年、16歳で「工場に行けば金を稼げる」という日本軍「慰安婦」募集者の話にだまされて、京城(ソウル)、平壌(ピョンヤン)、丹東(タントン)、新義州(シンウィジュ)、天津を経て、中国湖北省の武漢漢口の日本軍慰安所に連れて行かれた。慰安所で8カ月近く収容生活をしたハさんは、翌年日本が敗戦して解放をむかえたが、「日本軍に辱められた体で故郷の人々に会わせる顔がない」という理由で帰国をあきらめ、中国人と結婚した。子供を産むことができなかったハさんは、夫の子供3人を実子のように育て、1994年に夫と死別してからは末娘と共に過ごした。
ハさんは解放以後、中国に「朝鮮」国籍で残ったが、南北分断の過程で中国国内の朝鮮国籍者が全員北朝鮮国籍に分類されたために、1999年韓国政府の国籍回復判定によりはじめて韓国国籍を取り戻すことができた。中国で60年近く暮らし、2003年に故郷の土を初めて踏んだ。2000年12月、東京で開かれた「日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」に証人として参加するなど、生前には「慰安婦」被害を証言する活動に積極的に参加した。2013年にソウルで開かれた「第1回世界日本軍慰安婦を記憶する日の記念国際シンポジウム」では「結婚もしない若さで(慰安所に)入ってきました。日本はこんな悪いことをしておきながら『そんなことはない』と言うが、嘘をつけば済むと思っているのですか。私は(日本政府が)過ちを犯しましたという言葉を聞かなければならず、それまでは私は死ねません」と話し、涙で訴えもした。
ハ・サンスクさんは昨年、中国人の隣人と言い争って、2階の階段から押されて倒れ健康が悪化した。肋骨と骨盤を骨折する重傷を負い、韓国に戻って病院生活をした。挺対協は「(ハさんが)最近回復して安心していたが、結局公式謝罪と法的賠償を受けられずに逝去された。天国で安らかに休まれることを願う」と故人の冥福を祈った。葬儀室はソウル江東区の慶煕大学病院葬儀場12号室に整えられた。