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「日本政府が産業慰安婦の募集に関与した証拠」展示

登録:2017-08-14 23:28 修正:2017-08-15 06:27
東京の高麗博物館、30日から4カ月間 
「貧しい女性たちをそそのかし売春を強要 
日本人に知らせることが重要」
東京の新大久保で8月30日から開かれる「朝鮮料理店・産業『慰安所』と朝鮮の女性たち」展示会のポスター。写真の中の人物は1923年、神戸の朝鮮料理店の女性たちの姿で、1939年朝鮮労働者強制動員以後の産業慰安婦と直接の関連はない=高麗博物館提供//ハンギョレ新聞社

 日本の市民と在日同胞が韓日交流のために作った東京・新大久保の高麗博物館では、今月30日から12月28日まで「朝鮮料理店・産業『慰安所』と朝鮮の女性たち」という展示会が開かれる。1992年「朝鮮料理店と産業慰安婦」という論文を発表し、今回の展示会準備にも参加した樋口雄一氏は「植民統治下で最も弱い境遇に置かれた女性たちがどんなことを体験したのか、日本人たちに知らせることが重要と考えて展示会を開くことになった」と話した。

 高麗博物館が収集した文書の中には、1944年鳥取県知事の武島一義氏が当時の日本政府内務長官と朝鮮総督府の警務局長に送った公文書「半島人(朝鮮人)酌婦の流入と稼動状況に関する件」が含まれている。日本政府が朝鮮で産業慰安婦募集と斡旋に関与したことを証明する公文書だ。

 この文書には、日産輸送飛行工業株式会社鳥取工場新設工事のために、半島人(朝鮮人)1000人を募集したが「慰楽施設がなく治安上の問題が生ずる恐れがあるため」朝鮮と満州から女性20人を連れてきたという内容が記されている。「(鳥取遊郭には)酌婦50人余りがいるが、内地人(日本人)の需要を充足することにも不足している。半島人酌婦は鮮満(朝鮮と満州)方面で仕事をした者から出されて内地生活(日本語と日本での生活)に問題がない」とも記されている。

 樋口は「産業慰安婦」は、日本の企業が依頼して朝鮮人業者を通じて募集したケースが一般的だったと推定されると話した。当時は「産業慰安婦」という用語は使われず「酌婦」などと呼んだと話した。1910年頃から存在した朝鮮人対象の朝鮮料理店で働いた女性たちが、戦争中に産業慰安婦として動員されたケースが多かったが、鳥取県知事が送った公文書などから推察すれば、朝鮮の貧しい農家から連れてきた可能性もあると話した。彼は「産業慰安婦研究はあまり進んでいない。このような研究をしても日本の学界から評価を受けることもできず金にもならないためだ」として「ヘイトスピーチ(日本右翼の朝鮮人などに対する嫌悪発言)が広がる舞台である新大久保でこうした展示をすること自体、非常に勇気が必要なことでもある」と話した。

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/806782.html 韓国語原文入力:2017-08-14 22:11
訳J.S(1224字)

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