春に勝つ冬はない。2008年に解雇されたYTNのノ・ジョンミョン、チョ・スンホ、ヒョン・トクス記者が、解職から3225日、実に9年ぶりに再びマイクを握ることになった。過去の政権の「放送掌握とジャーナリスト弾圧」の信号弾になったYTNが、今は「放送正常化」の信号弾を撃つことになった。
YTN労使は、解職者復職労使実務交渉団が6月から7回の会議を経て、今月2日に暫定合意に至ったと4日明らかにした。復職案の具体的な内容は労使それぞれ8日の拡大幹部会議と労働組合代議員大会で構成員に報告する計画だ。合意案は、今後理事会議決さえ経れば直ちに効力を発揮する。労使は今月中に3人一括復職を完了する計画だ。
■逮捕・拘束・解雇…民主化以後初めてのジャーナリスト大量解職事態まで
李明博(イ・ミョンバク)政権の「言論掌握」は、放送会社の理事・社長など経営責任者を相手にした「人的掌握」行為から始まった。韓国放送(KBS)、文化放送(MBC)の公営放送はもちろん、政府の株式持分が多いYTN、聯合ニュースなど公営メディアが主な対象だった。1993年、聯合ニュースの子会社として設立されたYTNは、聯合ニュースから分離したが、主要株主が韓国電力、KDN、韓国馬事会、韓国人参公社などで、株式所有構造から公営の性格が強い。YTNの社長は公企業関係者らが含まれたYTN理事会で内定した後、株主総会を経て選任される。
2008年5月29日、YTN理事会は第17代大統領選挙当時の李明博候補キャンプの言論特別補佐官出身であるク・ボンホン氏を社長に内定した。全国言論労働組合YTN支部は「落下傘社長」に強く反発し、株主総会を阻止しようとしたが、同年7月17日、YTNは外注ガードマンを動員して奇襲的に株主総会を開き、40秒でク氏を社長に選任した。彼は社長選任後、YTNが報道の公正性を守るために維持してきた「報道局長推薦制」を無力化した。労組の闘争はさらに強硬にならざるをえなかった。会社側は組合員12人を業務妨害の疑いで告発し、一部の組合員は逮捕・拘束までされた。その後、当時の首相室がYTNを査察し、記者らの逮捕と社長選任に介入した情況が明らかになった。
会社側は「解雇」という刃物も振り回した。2008年10月6日、労組の前現職幹部であるノ・ジョンミョン、ヒョン・トクス、チョ・スンホ、クォン・ソクチェ、チョン・ユシン、ウ・チャンギュンの記者6人を解雇し、6人に停職、8人に減給、11人に警告処分を行い、計33人を懲戒した。これは1987年の民主化以後、最初に発生したジャーナリスト大量解職・懲戒事態として記録された。6年余りにわたる解雇など懲戒無効訴訟で、1審裁判所は6人の解雇をすべて不当と判決したが、2審裁判所はこれを覆し「3人の解雇は不当、3人の解雇は正当だ」と判決した。2014年には最高裁(大法院)も2審判決を確定した。「解職者の復職」という放送正常化課題は、労使交渉を通じてのみ可能になったが、朴槿恵(パク・クネ)政権時にYTNの経営側は何もしなかった。
■放送正常化の第一歩も「ろうそく市民」の力
ノ・ジョンミョン記者はこの日、ハンギョレの電話取材で「ろうそく市民、そして会社内で公正放送と解職者復職のために闘ってくれた同僚、この二本の軸のうち、一つでもなかったならば復職は不可能だっただろう」とし「文化放送、韓国放送の正常化の闘いに連帯し、YTNを正しく立て直すことで報いる」と話した。
ろうそく市民の力で政府が交替に至った5月、朴槿恵政権時に選任されたチョ・ジュンヒ当時社長が任期を10カ月余りを残して自主辞退した。6月から労使間で解職者復職交渉が始まった。リュ・チェウンYTN企画調整室長はハンギョレの電話取材で「第19代大統領選挙前から水面下での交渉は始まった。解職者の復職は会社構成員の大部分がYTNの未来のために必ず解決しなければならない課題と認識してきた。ただし、最高裁判決まで出た後なので、意見調整と合意が必要な部分があっただけ」と話した。
YTNは記者解職事態以後、ますます放送の公正性が毀損されたという批判を受け、その間に総合編成チャンネル4局、報道専門チャンネル1局がスタートし、YTNの視聴率は9位に下落した。信頼性の回復と円滑な経営のためには、解職者復職問題をこれ以上放置できない状況に直面したのだ。
YTNの決定が他の公営メディアはもちろん、文化放送に関連した最高裁判決にも影響を与えるかが注目される。韓国放送、文化放送、YTNの2012年ストライキと関連した各種訴訟で、裁判所は「公正放送は言論労働者の重要な勤労環境」という趣旨の労組勝訴判決を下したことがある。文化放送の解職ジャーナリスト6人も1・2審ですべて不当解雇だとの判決を受け、最高裁判決だけが残った状態だ。