1980年5・18光州民主化運動時に旧全羅南道庁前における空輸部隊の集団発砲当日の午後、作戦に投入されたヘリコプターから空中火力支援の一環で射撃をした可能性が提起された。
15日、光州市(クァンジュシ)「5・18真実糾明支援団研究分析班」が出した『5・18ヘリコプター射撃総合報告書』によれば、80年5月21日第1航空旅団31航空団506大隊ガス散布用500MDヘリコプター5機と、61航空団202・203大隊輸送用UH-1Hヘリコプター10機が投入された。5月21日は、光州錦南路(クムナムノ)の旧全羅南道庁前で戒厳軍空輸部隊の集団発砲で市民34人が銃弾に撃たれ亡くなった日だ。61航空団のUH-1Hの操縦士(准尉)は、1989年2月の検察の調査で「80年5月21日午後2時、8~10機程度の航空機で縦隊隊形、高度1000で道庁周辺の偵察飛行中に地上から航空機に機関銃が発射され、指揮機から任務の取消を通報され帰隊した」と述べた。
だが「5月21日午後1時、集団発砲の直後に軍のヘリコプターが偵察飛行だけしたという主張は辻褄が合わない」という指摘が出ていた。5月21日午後2時前後は、ヘリコプター射撃を目撃したという証言が集中した時間帯だ。光州市の研究分析班は「当時投入された輸送用ヘリコプターで兵力を交替するのはあきらめて、空輸部隊は徒歩で朝鮮大学などに退却した。この過程で(ヘリコプターから)道庁周辺に機関銃キャリバー50などが乱射された可能性がある」と明らかにした。5月21日のヘリコプター射撃の有無は、新軍部の暴力性を示す重要な根拠になりうる。
旧全羅南道庁付近の全日ビルに対するヘリコプター射撃は、5月27日午前4時から5時30分の間、61航空団202・203大隊所属のUH-1Hヘリコプターによって強行された事実が確認された。市の研究分析班は「全日ビルのヘリコプター射撃は陸軍本部の5月22日付『ヘリコプター作戦計画を実施せよ』という公式作戦指針に従って事前に企画され実行されたことが37年ぶりに確認された。だが、ヘリコプター射撃をした当事者やヘリコプター発砲命令者はベールに包まれている」と明らかにした。これに先立って国立科学捜査研究院は全日ビル10階の弾痕は、80年5月にヘリコプターが停止状態で機関銃を乱射してできた可能性が高いという調査結果を発表したことがある。ユン・チャンヒョン光州市長は「国家が立ち上がりヘリコプター射撃など5・18の真実糾明をしなければならない」と話した。