セウォル号を迎えた全羅南道木浦の至る所が黄色に染まっている。
木浦市民たちは先月31日にセウォル号が木浦(モクポ)新港に到着したことを受けて、予定されていた春の花祭りを取り消し、街中に黄色い旗を掲げ、胸には黄色いバッジをつけた。西海岸高速道路で、木浦新港埠頭に行く6車線の上下通り7.7キロメートルには、約1000個の横断幕とバナーが設置された。自動車専用道路の木浦大橋にも黄色いリボン約200本が飾られ、遠くに船体が見える木浦新港の垣根は、3万本を超える黄色いリボンで埋め尽くされた。波のように揺れる黄色い旗越しに、木浦の象徴である儒達山(ユダルサン)もレンギョウを見事に咲かせていた。
木浦地域の40以上の市民団体は「セウォル号を忘れない木浦地域共同実践会議」を発足させ、市民の参加を促す追悼ムードを率いている。彼らは2日午後3時、木浦新港垣根の前で「恋しい、会いたい」をテーマに追悼集会を開いた。1千人を超える参加者たちは、黄色い傘で「人が何より大切」という字を作って、行方不明者の帰還を願う人間の鎖をつなげた。さらに同日午後5時から2時間にわたり、木浦駅からターミナルまで3.4キロメートルを歩く街頭行進を行った。彼らは、セウォル号惨事の収拾が完了するまで、週末にセウォル号を記憶する文化行事を開く予定だ。
セウォル号の追悼には進歩と保守、団体と個人の違いはなかった。横断幕のなかには「最後の一人まで待っています」という市民ハン・ボンチョル氏などの個人だけでなく、三鶴洞(サムハクトン)長議会、萬戸洞(マンホドン)住民自治委員会、木浦北港商人会、木浦水産業協同組合など各種団体の名前が書かれていた。市民団体はミネラルウォーターや海苔巻き、ラーメン、お茶、お餅、薬などを持って遺家族たちのテントを訪れた。
若年層は積極的に現場でボランティア活動に乗り出した。黄色いリボンを配っていたチョン・サランさん(11・連山小学4)は「母に苦しい人々を助けなければならないと教えられた。準備したリボンが無くなって心配だ」と話した。友達のチョ・アヒョンさん(11・連山小学4)さんは「帰ってこられなかったお姉さん、お兄さんのことを考えると涙が出る。早く家族のもとに戻ってきてほしい」と言いながら目を潤ませた。木浦市民のキム・エスンさん(45)は「かわいそうで残念だ。待つ親は胸が締め付けられる思いだろう。行方不明者の遺体が戻ってくる日まで力になる」と誓った。チョン・テグァン木浦文化連帯代表は「このような市民の気持ちを知らないかのように、海洋水産部が木浦新港の焼香所の設置に反対している。必ずセウォル号が見える場所に焼香所を設置し、犠牲者を追悼して行方不明者を待ちたい」と明らかにした。遺体がまだ見つからない檀園高生徒のホ・ダユンさんの母親、パク・ウンミさん(48)は「木浦市民たちが、自分のことのように考えてくれて感謝している。娘が私のもとに戻ってくるまで市民の応援を信じて待つ」と話した。
黄色いリボンがはためいている木浦新港周辺には、1日平均1万人以上が訪れて、セウォル号の船体を眺めながらため息をついた。木浦市は、木浦駅・ターミナル~木浦新港を結ぶ循環バス12台を配車し、追悼客に無料で提供している。木浦市は国民的哀悼の雰囲気を考慮し、今月8~9日に予定していた「花咲く儒達山祭り」を取り消した。市は「木浦を崇高な人間愛のあふれる愛の都市、治癒の都市にしよう」と市民たちに呼びかけた。また、市のホームページに訪問客の案内ページを設けて、敬けんな心でセウォル号のバッジをつけようと呼びかけている。木浦を訪れたキム・ビョンイルさん(47・光州広域市)は「市内のいたるところに黄色い旗がなびくのを見て、木浦は暖かい都市だと思った。木浦が珍島(チンド)彭木(ペンモク)港のようにセウォル号を記憶する空間になりそうだ」と話した。