引き揚げられたセウォル号から海水と油が抜ければ、セウォル号は惨事から3年ぶりに沈没した海域を発ち、木浦(モクポ)新港に向かう。しかし、セウォル号の遺族たちは当分の間、東巨次島(トンゴチャド)を離れない予定だ。
全羅南道珍島郡(チンドグン)鳥島面(チョドミョン)東巨次島の山の尾根で、1年6カ月間「セウォル号引き揚げ家族監視団」の活動を行っている故チョン・ドンス君の父、チョン・ソンウク氏(4.16セウォル号惨事家族協議会・船体引き揚げ分科長)は26日、「セウォル号が発っても離れることはできない」とし、「家族たちは東巨次島に残って海底捜索の過程を最後まで見守る」と話した。家族監視団は犠牲となった檀園高校生徒の1組~10組まで各クラス別に平均3人の母親・父親を当番に決め、一週間ずつ交代する体制で監視活動を行ってきた。海底捜索作業が終わるまで、従来の監視体制を維持するという意味だ。
東巨次島のこの山は、引き揚げのモニタリング活動のための根拠地という意味のほかにも、セウォル号の遺族たちには格別な意味がある場所だ。セウォル号惨事の犠牲者の母親・父親たちは東巨次島を訪れると、監視小屋を越え絶壁のような道に沿って海辺に下りていくことがあった。幅が狭く、草が生い茂り、岩だらけの往復50分あまりかかるこの道をあえて下りて行く理由はただ一つだ。セウォル号引き揚げ現場をより近くで見るためだ。「こんなに近いのに。救命胴衣を着た子どもたちがセウォル号の中にじっとしていないで外に出れば、ぷかぷか浮いてこの近い東巨次島に着いて生き延びることができたのに…」。野山の下の海辺に下りてみて、母親・父親たちは胸を叩いて嘆いたという。山の尾根と海辺をつなぐ”絶壁”のような道のそばには「ごめんなさい」、「ありがとう」、「会いたい」、「愛してる」など、母性と父性がそのまま込められた黄色いリボンが結ばれている。
28日頃セウォル号が木浦に向かって出発すれば、引き揚げを任された上海サルベージが海底捜索を行う。捜索開始時点は、上海サルベージと海洋水産部が協議中と伝えられている。上海サルベージは昨年3月、横200メートル、縦160メートル、高さ3メートル、網目2センチメートルの長方形の四角いフェンスを沈没したセウォル号周辺に設置した。海水部の関係者は「セウォル号が移動すれば、潜水士を投入して流失防止フェンスの内部捜索を行う予定」としながらも、「まだ開始時点や潜水士の投入規模、完了期間については決まっていない」と話した。