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600年ぶりに浮石寺に戻る金銅仏像

登録:2017-01-26 22:16 修正:2017-01-27 05:59
大田地裁 
「日本で盗んだ金銅菩薩像、浮石寺に返還」判決 
「歴史記録から略奪と推測され、当初の所有者に返すのが当然」
600余年ぶりに忠淸南道瑞山にある浮石寺に再び奉安されるようになった高麗観世音菩薩坐像=資料写真//ハンギョレ新聞社

 日本で盗んで韓国に持ってきた仏像が、数百年前に韓国が奪われたものであれば、誰に戻すのが正しいだろうか。2012年10月、K氏(74)ら文化財窃盗団が日本の対馬にある観音寺(クァンウムサ)から盗み、韓国国内に密搬入して回収された金銅観音菩薩座像(金銅菩薩像)の返還可否をめぐって火が点いた所有権論議の方向が決まった。

 大田(テジョン)地裁民事12部(裁判長ムン・ポギョン)は26日、大韓仏教曹渓宗(チョゲチョン)浮石寺(プソクサ)が政府を相手に起こした「金銅観音菩薩座像引き渡し請求訴訟」で「政府はこの金銅菩薩像を浮石寺に引き渡せ」として原告勝訴判決を下した。また「浮石寺は、金銅菩薩像を保管する能力が充分にあり、仮執行も許容する」と付け加えた。

 裁判所は判決文で「日本の観音寺の住職が1951年に発見したこの金銅菩薩像の腹藏遺物を見れば、「天暦3年(1330年)高麗國瑞州(ソジュ)で32人が布施をして菩薩像を作り浮石寺に奉安した」という記録があるが、瑞州は現在の瑞山(ソサン)の高麗時代の地名だ。曹渓宗も瑞山浮石寺が高麗瑞州の浮石寺だと明らかにしていて、この金銅菩薩像の当初の所有主は浮石寺」と明らかにした。

 裁判所は続けて「仏像に新しく金を着せたり補修したり移す場合には、腹蔵遺物などにその事実を記録するが、1951年に発見された腹蔵遺物には移したという記録はなく、仏像を作った事実が記録されているため、この菩薩像が正常な交流過程を通じて日本に渡った可能性は少ない」と説明した。また「観音寺は朝鮮で悪行を犯した倭寇集団の頭目の河野平左衛門モリチカが仏教を修養して1526年に創建したという研究記録がある。この菩薩像は頭にかぶる宝冠がなく焼け焦げた跡もある。したがって、浮石寺に奉安した菩薩像が観音寺に存在したというのは、倭寇によって略奪されたと推測されるので浮石寺所有とみるべきだ」と説明した。

 浮石寺の円牛(ウォンウ)住職は「裁判所が歴史的事実を根拠に賢明な判断をした。日本に不法流出したと推定される7万点あまりの文化財を取り戻す出発点になることを期待する。金銅菩薩像は、判決文どおり本寺である修徳寺(スドクサ)の聖宝博物館に奉安する計画」と話した。

 金銅菩薩像は丈50.5センチ、重さ38.6キロで、1973年に日本の有形文化財に指定された。K氏ら文化財窃盗団が検挙されると観音寺は盗難文化財として金銅菩薩像の返還を要求したが、浮石寺側は略奪されたものであるので当初の所有主に返さなければならないとして対抗し、韓日間で論議になった。

 日本の菅義偉官房長官は26日、定例記者会見で「こういう判決が下されたことに対して非常に遺憾に思うし、迅速に仏像が日本に返還されるよう韓国に適切な対応を要求して行く」と話した。

ソン・インゴル記者、東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/780372.html 韓国語原文入力:2017-01-26 18:24
訳J.S(1376字)

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