金銅観世音菩薩坐像
瑞山浮石寺の主尊仏だった可能性
流出経緯の法的判断前に“拘束の身”
銅造如来立像
流出記録なく“日本返還”の世論へ
検察は「簡単に決められない」
大田市(テジョンシ)の大徳団地にある国立文化財研究所の考古室収蔵庫には、二点の仏像が検察の接近禁止札をつけられたまま保管されている。2012年10月に対馬の海神神社と観音寺から韓国の窃盗犯らが盗んで持ち込み、当局に押収された後、同研究所が委託保管中である14世紀高麗時代の金銅観世音菩薩坐像(長崎県指定文化財)と8~9世紀統一新羅時代の銅造如来立像(日本重要文化財)だ。仏像は法的問題が解決するまで展示や研究などが一切認められないため、ほこりを払う保存処理がされているにすぎない。職員が許可なしに触ることもできない。
高麗と新羅の造形美を備えた秀作である二つの仏像は、現在の国内法上でどんな位置づけがされているのか。返還論争の渦中にある仏像を保管している文化財庁と、管理権をもつ検察と裁判所の考えはどうなのか?
結論から言うと、二つの仏像はこれから先もしばらく(あるいはかなり長い間)おちついた所蔵場所にたどり着けない境遇にある。今年1月、窃盗犯らの嫌疑が確定した二つの仏像に文化財保護法による押収判決が下され、検察は8月初めに判決を執行した。押収執行は占有権を犯罪者から移す行為だ。所有権が国家に帰属したのではない。したがって所有権を明らかにする専門的調査と返還をめぐる法理検討、難しい外交協議が必要になる。文化財庁側は「今月初めに裁判所からの電話で、押収措置は完了したが、処理の問題は内部意見があり論議中なので、処理方針が決まり次第、通報するという連絡がきた」と話した。
金銅観世音菩薩坐像の場合、数十年前の仏像内部にあった伏蔵を分析してみると、忠清南道(チュンチョンナムド)瑞山(ソサン)に現存する浮石寺(プソクサ)の中心仏である主尊仏だった事実が分かった。常識的に考え、高麗末に西海岸を襲った倭寇の強奪説がある程度の説得力をもって受け入れられる状況にあった。
このため寺側と信徒の集まりは、盗難仏像が国内に持ち込まれた事実が知られた後に返還禁止仮処分申請を出した。昨年2月、大田地裁はこれを受け入れ、流出経路が分かるまで返還を許可しない判決を出した。搬出経緯が十分に把握されたとする法的判断がされるまでは、期限なしで宙に浮いた状態におかれることになった。
保管以外には一切接近が禁止されたため、裁判所の具体的な処理方針が出ではじめて、仏像の細部情報や搬出経緯などの調査が可能というのが文化財庁の説明だ。学会の一角では仏像の色合いや造形的特徴が高麗のものとは異なり、浮石寺の仏像でない可能性もあるという見解まで出され、この先も激しい論争を巻き起こしそうだ。
銅造如来立像も容易には解決されない。この仏像の流出記録は残っておらず、裁判所の判決も適用されなかった。文化財返還運動家の慧門(ヘムン)僧侶が返還を要求する行政訴訟を提起(『ハンギョレ』8月23日付1、4面)しているほど、韓日の学会や市民社会では返還世論の共感が広まっている。しかし、実際に仏像を押収した検察は「返還については簡単に決定できる事案では決してない」と明らかにしている。
カン・ギョンピル大検察庁検事長は、「先に返還や不可方針を打ち出す状況ではないと考える」と語った。所有権未定のまま押収が執行されたので、日本側が被害者として所有権を取り戻すための「交付請求権」を先に行使すれば検討できるという論理だ。
刑事訴訟法484条には、押収執行後3か月内に正当な権利がある者が押収物の交付を請求した時は、検事は破壊または廃棄するものでなければこれを交付しなくてはならないという規定がある。日本側が請求すれば、検察が法理的かつ歴史的検討を経て返還に関する決定を下し、その後、後続手続きをとるなり、返還不可により日本政府が訴訟を起こすなり、方向性が決まるというのだ。
しかし、現在二点の返還を要求してきた日本政府が銅造如来立像の一点だけを要求する可能性はほとんどないというのが文化財関係者の見方だ。検察関係者は「国際法と外交争点となっている事案なので、日本が交付請求権を行使する一般的な手続きより、外交の窓口を通した返還協議になる公算のほうが高い」と見通した。
韓国語原文入力:2014.08.28 19:46