登録 : 2016.11.07 05:44 修正 : 2016.11.07 07:47

6日午後、光州錦南路で故ペク・ナムギ氏の民主社会葬 
遺族を代表しペク・ミンジュファ氏があいさつ…市民約5千人駆けつけ涙

6日午後、光州錦南路で故ペク・ナムギ氏の霊柩車に続き市民たちが輓章を持って行進している//ハンギョレ新聞社
 農民の故ペク・ナムギ(69)氏は横断幕の中で鉦を叩きながら笑みを浮かべていた。オランダから来た孫のジオ君(4)が演壇に立った。ペクさんの末娘のミンジュファ(民主花)氏(30)が、息子のジオ君の手を握り、「農民歌」を歌った。生涯農民として生きたペク氏が好きだった歌だ。「3千万が眠りについたとき、私たちは目を覚まし~」と、恥ずかしそうに歌う孫の姿を天から見守っているだろうか。

6日、光州の錦南路での故ペク・ナムギ氏の路祭行事でペク氏の娘ミンジュファ氏(30)と孫のジオ君(4)が農民歌を歌っている//ハンギョレ新聞社

「317日間、思い切り悲しむこともできませんでした」

 6日午後12時50分、光州市(クァンジュシ)東区(トング)錦南路(クムナムロ)で市民約5千人が参加して開かれた「故ペク・ナムギ農民の路祭(出棺の際門前で行う祭式)」行事で、ペク氏の娘のミンジュファ氏はこれまでの思いを淡々と語った。ミンジュファ氏は「317日間一度も意識を取り戻せないまま亡くなったが、今まで思う存分に悲しむこともできなかった」と語り始めた。「父の死を悲しむ間も不安に震えなければならず、怖がらなければならず、怒らなければならなかった。しかし私たち家族のそばにいてくださった多くの国民の皆さんのおかげでそのような時間を乗り越え、解剖というむごい現実から父を救い出し、幸いこのように父は故郷に帰ることができました」。ペク氏の妻パク・ギョンスク氏(63)は娘の遺族あいさつを聞き、ハンカチで涙を拭いた。

 故人の遺体は5日夜、ソウルから故郷の全羅南道宝城(ポソン)の葬式場に運ばれ安置されていたが、同日午前、熊峙面(ウンチミョン)富春(ブチュン)村の生家で路祭を行なった後、光州錦南路に運ばれた。民主化運動をしていた故人は、5・18民主化運動の直前の1980年5月17日、戒厳を拡大した新軍部によって寮で逮捕され、獄中の身となって苦難を経験した。光州市5・18民主化運動関連者補償審議委員会は、ペク氏の5・18関連の補償者認定を審議している。

 この日の故人の光州錦南路路祭は、故ペク・ナムギ農民民主社会葬葬儀委員会のムン・ギョンシク常任委員長のあいさつで始まった。ムン委員長は「故人を殺人放水銃で倒れさせた後、捜査も、たった一言の謝罪も、責任者処罰も拒否して、死因を捏造するための解剖を強行しようとした殺人政権はもはや国民の総決起で崩壊している」とし、「いま生きている私たちがペクさんの遺産を継承し、責任者を処罰し、民主主義の正義を回復しよう」と訴えた。キム・ミョンソプ神父(天主教光州大司教区正義平和委員会副委員長)は「生命平和の人生を生きてきた故人は死なず、復活してわたしたちとともにいる」と追悼した。

6日、光州錦南路で行われた故ペク・ナムギ氏の路祭で遺族らが霊柩車をに続いて行進している//ハンギョレ新聞社

 故人の死について沈黙する韓国政府を批判する国際的連帯の声も上がった。国際食品連盟アジア太平洋地域委員会のヒダヤット・グリーンフィールド事務総長は「故人の死に対し韓国政府が沈黙するのは、われわれの闘争を沈黙させるためのもの」と批判した後、「127カ国の労働者が同行している。私たちは25カ国の言語で故人の死と犠牲と他殺について知らせ、共有した」と明らかにした。

 この日、バリトン歌手のチョン・チャンギョン氏が、故人が生前好きだった歌「織姫へ」を歌った。故人の復活を祈願する死霊祭公演も行われた。光州全羅南道教育文化院「ソット」の会員や歌手グループ「神明」のオ・スクヒョン氏など文化芸術家たちが、故人の魂を祀って苦しみを解き、道を開いて最後に行く道を追悼した。彼らは故人がカトリック信者だった点を考慮し「極楽世界へ行かれよ」という部分を「天主様の前に仕えよ」に変えて歌った。

市民の涙//ハンギョレ新聞社

 錦南路の運柩行進が始まる前、参加者は「あなたのための行進曲」を歌った。遺族は「殺人政権退陣せよ」と書かれた横断幕を持ち、霊柩車の後ろに立った。光州地域の歌手たちは「ともに行こうわれらのこの道を」や「枯れ葉は再びよみがえり」などの歌を故人に捧げた。錦南路に集まった市民も一緒に歌を歌い、故人の葬礼車に手を当て目をそっと閉じたまま黙祷を捧げ、最後に行く道を追悼した。ヤン・ジェソクさん(59)は「悲しくて路祭に参加した。安らかに眠られることを願う。私たちが故人の遺志を必ず成し遂げなければならない」と話した。

市民の黙祷//ハンギョレ新聞社

 「ペク・ナムギが倒れたアスファルトに行こう/血痕の鮮明な場で靴紐を括り付けよう…ペク・ナムギよ復活せよ/生ける者よ、ともに行こう~」。この日午後1時24分、運柩行列が始まった。演壇では野花のように生きた農民ペク・ナムギ氏の暮らしを追悼する弔詩が響いた。かすかに微笑んでいる故人の生前の姿を描いた大型の肖像画を先頭に、「生命平和の働き手ペク・ナムギ」と書かれた横断幕を棺に見立てて担いだ喪輿の担ぎ手たちが後に続いた。

6日、光州錦南路で行われた故ペク・ナムギ氏の路祭が終わった後、運柩行列が中央路を進んでいる//ハンギョレ新聞社

 霊柩車に沿って疲れた歩を踏み出した遺族らの後ろに「国家暴力を終わらせよう」、「特検を実施せよ」と書かれた100あまりの輓章(弔いの旗)を持った市民が長い列を作った。運柩行列は錦南路~大仁(デイン)市場~鶏林(ケリム)交差点~光州高校前を通り、北区西方市場まで続いた。故人の遺体は火葬された後、同日午後5時北区望月洞(マンウォルドン)の民族・民主烈士墓地の5・18区の墓地に埋葬される。

光州/文・写真 チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-11-06 15:51
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/768990.html 訳M.C(2612字)

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