「ペク・ナムギ農民に対する国家暴力の真相究明と責任者及び殺人政権を糾弾するための闘争本部」は1日午後4時、ソウル鍾路区大学路(テハンノ)で「ペク・ナムギ農民追悼大会」を開いた。追悼大会には主催側の推算で市民3万人(警察推算7000人)が集まり、「ペク・ナムギ農民死亡の真相究明」と「責任者の処罰」を叫んだ。
喪服姿で追悼舞台に上がった次女、ペク・ミンジュファ(民主花)さんは、「『放水銃による死亡が明白なら、なぜ解剖に同意しないのか』と尋ねる人がいる。こんなに死因の証拠が溢れているのに、父親の遺体を再び手術台に上げて政治的な手に毀損させたい子供がどこにいるでしょうか」と話した。ペクさんは「父を二度も三度も殺すようなことは、絶対にさせない」としながら涙を流した。
闘争本部と市民たちは午後5時頃から、大学路から鍾路(チョンノ)区庁前の交差点まで3.5キロメートルを、「私たちがペク・ナムギだ」などと書かれた立て札とペク・ナムギ農民の遺影を持って行進した。闘争本部は先月29日、ソウル鍾路区普信閣(ボシンガク)交差点から西大門区(ソデムング)警察庁前まで行進することをあらかじめ警察に申告したが、警察は追悼大会当日、「行進区間は主要道路である」との理由で、行進を禁止した。デモ隊は大学路を出発して鐘路1街の鍾路区庁入口の交差点まで進んだが、警察に遮られ、それ以上行進できなかった。鐘路区庁入口の交差点はペク・ナムギ農民が放水銃によって倒れた場所だ。市民らはこの場所に臨時焼香所を儲け、ペクさんの遺影写真の前に献花しながら故人を追悼した。ペクさんの魂を慰める鎮魂曲が鐘路区庁入口の交差点に鳴り響いた。
同日の追悼大会には、「労働改悪・成果退出制度の廃棄を求める汎国民大会」を開いた民主労総・公共運輸労組、「セウォル号惨事900日文化祭」を開催した4・16連帯も参加した。セウォル号家族協議会のユ・ギョングン執行委員長は「このままだと、もうすぐ追悼するために集まる人がいなくなるかもしれない。誰もがセウォル号で死んだり、放水銃に倒れる可能性があるのが現実だ。これ以上、何の罪もなく犠牲になる人がいないように、この場にいる私たちが(行動を)共にしなければならない」と話した。ペク・ナムギ闘争本部は今月8日、全国各地で同時多発的に追悼集会を開く予定だ。同本部は「ペク・ナムギ農民に対する国家暴力の真相究明と責任者の処罰のため、特別検事の任命を求める署名運動」も全国的に拡大する計画だと明らかにした。