「(1979年10月26日)朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が亡くなる日、崔太敏(チェ・テミン)氏が令嬢・朴槿恵(パク・クネ)嬢に『今日、大統領と昼の約束をして、周囲の人を残さず遠ざける』ように言った。その日の昼12時50分頃、崔太敏氏に令嬢・朴槿恵嬢が電話して『父に頼んだが、今日ではなく3日後に二人きりでと言われた』と話したという。崔太敏氏は朴正煕元大統領の死を予感していたわけだ。それで令嬢・朴槿恵嬢が崔太敏氏を一層信じるようになったのだろう。これはすべて崔太敏氏が私にした話だ」
国政壟断の張本人、崔順實(チェ・スンシル)氏の父親の崔太敏氏(1912~1994)の側近として知られるチョン・ギヨン牧師(79・写真)は4日午前、忠清南道瑞山市(ソサンシ)海美面(ヘミミョン)烏鶴里(オハンリ)の忠誠教会でハンギョレ記者と会い、このように語った。チョン・ギヨン牧師は、大韓基督教長老会総合総会の総会長を務めていて、長老会総合総会は1970年代に崔太敏氏に牧師の呼称を与えた。
チョン牧師はこの日、崔太敏氏が当時、令嬢・朴槿恵嬢との関係について「私たちは霊的な家族、夫婦のようなものであり、肉体に対する浅ましい話はしてくれるな」とか「我らの神がこの方を助けろと言い、陸英修(ユク・ヨンス)女史の霊魂が私に助けろと言った。それで助けているんだ、低俗な身体の関係ではない」と言ったと伝えた。
彼はこの日午前、朴槿恵大統領の2回目の対国民謝罪を見守った後、大統領の下野や弾劾を主張せずに(呪術に憑かれて)傷ついた大統領をよく助けて国の安保を守らなければならないと主張した。
以下はチョン牧師との一問一答だ。読者の理解を助けるために、彼の主張をほとんどそのまま載せる。
-崔太敏氏は元々どういう人なのか。
「崔太敏氏は修業に励む人だ。呪術師だ。崔氏は独立活動家の子孫だ。日帝警察の独立軍討伐情報を知るために黄海道(ファンヘド)安岳の警察署に給仕として入る。崔氏は達筆で博識だ。検事長に手紙を書いたが(崔氏が)達筆なうえ博識で(感動したという)。趙賢宗(チョ・ヒョンジョン)氏が日本で法学部を出て警察署幹部として来る。検事長が趙氏に給仕の崔氏と兄弟のように過ごせと話し、その時に崔氏が警察に特別採用され巡査になったという」
月刊「プルピッ(草色)牧会」1984年7・8号には、崔太敏氏を応援した趙賢宗牧師が1938年、ピアソン聖経学校と日本大学法文学部宗教学科を卒業し、解放になるとすぐに帰国して警察幹部職を経て憲兵少佐として予備役に編入したと紹介している。趙牧師は1969年に大韓基督教長老会ソウル老会で牧師按手を受けて70年に総合総会の第2代総会長に選ばれた。
-崔太敏氏はどのようにして朴槿恵大統領に会ったと話したか。
「解放後に韓国に戻ってきた趙賢宗氏は、韓国軍の憲兵になり、崔太敏氏はすることがないから山に入って修業に励んだ。洞窟の中に修業に励んでいると、普段から崔氏に食べるための米を持ってきていた青年が訪ねてきて(崔氏はこの青年は山の神のようだと言ったという)ある日『今、国喪が出ました』として(1974年8月15日)朴正煕元大統領の夫人、陸英修女史が亡くなった話をした。その青年が『(陸女史が)今、先生に会いにそこまで来ました』と言い、崔氏が出かけてみると、午前中の太陽がまぶしく照りつけるのに、陸女史が岩の上にスカートをふわりと広げて座っていた。その姿が生々しかったという。崔氏は夢ではないかと思って自分をつねってみたが痛かった(夢ではなかったという話だ)。陸女史が『私たちの娘の(朴)槿惠が、私が死んでああしているが、私と娘の間には秘密がある。それを手紙に書いて送れば先生に会うと言うだろう。会ったら娘に力を貸してやって欲しい』と話したという。崔氏が手紙を書いて、ソウルの光化門(クァンファムン)郵便局に送ったところ、大統領府から崔氏の当時の龍山(ヨンサン)の自宅に電話があり『黒の乗用車を差し向けるから乗って来るように』と言ったという。崔氏が令嬢・朴槿恵嬢に会い、母親から聞いた秘密の話をしたところ、令嬢・朴槿恵嬢が気絶したという。キリスト教ではそれを入神という。夢のようにその中に入ることだ。そこで令嬢・朴槿恵嬢が母親の陸女史に会ったところ「崔太敏さんを行かせるが、きっとお前を助けてくれるだろう」と言ったという。その時から令嬢・朴槿恵嬢は崔氏を完全に信じることになったのだ」
-崔太敏氏は本当に牧師なのか。
「趙賢宗氏は憲兵を除隊した後、基督教長老会総合総会長だった。崔太敏氏が令嬢・朴槿恵嬢のそばにいて権限が大きくなると、趙氏が崔氏に聖書の民数記のバラク王が呪術師バラムを利用する話をして『呪術師ではなく牧師をしろ』と言った。趙氏が崔氏に「お前は牧師だ」と言うので牧師になったのだ。その当時はキリスト教徒が多くなかったので、総会がいいかげんに指名して牧師を作っていた時期だ。神学の勉強をしていなくとも。韓国の基督教が過度に乱立していた時期だ。それで崔太敏氏が牧師という肩書きを持つことになった」
-崔太敏氏はどうして救国十字軍を作ったのか。
「朴正煕元大統領が1972年10月に維新を行い、キリスト教は反対勢力になった。朴正煕大統領が崔太敏氏に『お前はもう牧師なんだから、基督教の既存勢力を抑える団体を作れ』と言った。そのようにして作ったのが救国十字軍だ。救国十字軍を作ってソウルから済州(チェジュ)まで全国に支部を置いた。そこに姜信明(カン・シンミョン)牧師を総裁として迎えた。各支部の役職一つのことでも機関らは全く動けなかった。支部構成ができた後に、崔氏が自ら総裁に就任する。その時、令嬢・朴槿恵嬢を名誉総裁にかついだ。ソウル西大門(ソデムン)の聖潔教の場所を9億ウォンで買い取り、3億ウォンをかけて高齢者用の漢方無料病院を整えた。医師は医師協からきて当番制で勤めた。崔太敏氏は『健康保険は高齢者漢方無料病院から始まったのだ』と言った。趙賢宗氏が崔氏は金持ちだから総合総会長をするようにと言った。その時から総合総会を中心に救国布教団が動き出した。趙賢宗牧師が(救国布教団の)招集責任総裁となる。総裁は趙賢宗、崔太敏、朴槿恵の3人だった」
-当時、朴槿恵と崔太敏の関係は。
「その時、崔太敏氏と令嬢・朴槿恵嬢が部屋に入れば、一日中出てこないという噂があった。そんな悪い噂が出ていることを当時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長が情報報告を上げ、朴正煕大統領が二人を呼んで直接訊いた。朴槿恵氏は崔氏を積極的に擁護した。崔氏は『私たちは霊的な家族や夫婦のようなものであって、肉体に関する浅ましい話はしてくれるな』と言ったという。この話を朴正煕大統領が聞いて納得した。金載圭部長には情報を上げるならしっかりしろと言った。崔太敏氏は令嬢・朴槿恵嬢を神格化した。途方もなく尊重した。一度も戯れ言は言わなかった」
-朴槿恵と崔太敏の仲で思い出すことは。
「((1979年10月26日)朴正煕元大統領が亡くなった日、崔太敏氏が当時令嬢・朴槿恵嬢に『今日、大統領と昼の約束をして、周囲の人を残さず遠ざける」ように言った。その日昼12時50分頃、崔太敏氏に令嬢・朴槿恵嬢が電話して『父に頼んだが、今日ではなく3日後に二人きりでと言われた』と話したという。崔太敏氏は朴正煕元大統領の死を予感していたわけだ。それで令嬢・朴槿恵嬢が崔太敏氏を一層信じることになったのだろう。これはすべて崔太敏氏が私にした話だ」
-80年代、崔太敏氏はどのように過ごしたのか。
「朴正煕元大統領が死んで、崔太敏氏は2~3年潜伏した。私は崔氏に朴正煕元大統領が死んだ後に初めて会った。80年代初期だ。80年代、崔太敏氏が総合総会長をしている時、私が副総会長をした。ソウル江南(カンナム)に朴正煕大統領の研究室があったが、そこが総合総会の事務室になった。江南に200坪規模でマンナム(出会い)教会を建てて、老人大学と老人奉仕団を運営した。オリニ(子供)大公園には槿花奉仕団という看板を掲げ、平日はそちらを槿花教会として使った。私が若くして副総会長を務めたので、ねたみや嫉妬が多かった。崔太敏氏は言葉が粗かった。崔氏が他の牧師に『オイ、この野郎。お前たちはシャーマンが持つ霊力もないくせに、何が牧師だ。情けないやつらだ。この方は私より霊力が強いので私が迎えた方だ』と言った。崔氏は私にはぞんざいな言葉を一度も言わなかった。私に何か言うようにと言うので『今後よろしく』と言ったところ、女性秘書に金入り封筒を持ってくるよう命じ、私にくれた。家に帰って見てみると600万ウォンだった。その当時の600万ウォンといえば、マンション2世帯分だ。私と会うことをとても喜び、行かなければ来いと言って、本当に親切にしてくれた」
-その後、崔太敏氏はどのように過ごしたのか。
「1993年に会おうと言われて崔氏に会った。崔太敏氏はボディガード6人を連れていた。他の人は彼らを見てカルジャビ(刃物を振り回す人の蔑称)と言っていた。図体が大きい人々。崔太敏氏が私に『牧師様、将来朴槿恵氏が大統領になります。選挙運動をしなければならないので、朴槿恵氏に力を貸してください。槿花奉仕団が全国に70万人の組織があるので、これを主軸に選挙運動をしなければならない。牧師様が引き受けてください。資金は朝興銀行安国洞(アングクトン)支店に13億ウォンあり、貯まった利子が9000万ウォンあります」と言った。基督教界では霊眼という。その霊眼で人を見つめると、目が奥に引っ込み、真っ黒で、神がかって見えた。その時、崔太敏氏に『オイ、この野郎。お前は何様だ。俺は神の使いだ』と言うと、崔氏の顔が少しゆがんだ。眼が真っ赤になり、からだが震えた。その時の姿を今でも生々しく思い出す。崔氏が倒れそうだったので飛び出した。それが1993年10月だ」
崔太敏は1994年に慢性腎不全症で亡くなった。だが、崔氏の影は朴槿恵大統領の身辺を離れなかった。1998年、朴槿恵大統領が大邱(テグ)達城(タルソン)の再・補欠選挙で当選し政治を始めた時、崔太敏の娘、崔順實の夫の鄭允会(チョン・ユンフェ)氏(現在は離婚)がそばで朴大統領を助けた。鄭允会氏は秘書室長という職責で2000年まで朴槿恵議員室の活動を総括した。鄭氏は大統領府の「門番3人組」(イ・ジェマン前総務秘書官、アン・ポングン前国政広報秘書官、チョン・ホソン前付属秘書官)を1998年に自ら選んだ人物として知られる。
-崔氏について記憶に残っていることは。
「崔氏はたくさん仕事をした。未来の仕事を。朴槿恵大統領との関係はどれくらい深いのかと尋ねたところ、真顔になって「我らの神がこの方を助けろと言い、陸英修女史の霊魂が私に助けろと言った。それで助けているんだ、低俗な身体の関係ではない」と言った。崔氏が朴槿恵大統領を語る時、神聖な存在だと感じた。崔太敏氏は達弁ではなかった。たいがい4次元的な話が多かった。霊的な話。この頃大統領が話すのを見れば、崔氏がしていた霊的な話が多い」
チョン牧師は他のマスコミとのインタビューで「正しい歴史を学ばなければ魂が不正常な人になる」とか「本当に切実に望めば宇宙が出て来て助ける」という朴槿恵大統領の発言を聞いて、崔太敏氏を思い出したと話した。
-現在、崔順實氏など崔太敏氏一家の財産は相当あると言うが。
「崔太敏氏一家が初めは生活が苦しかった。崔氏の話では、自分が修業に励んでいる時はコメがなくて他人にもらって食べていたという。ところが大統領のそばにいるようになると、(人々が)しこたま持って来てくれた。企業も持って来るし、救国布教団の役職をもらうために持って来て。13億ウォンは○○が持って来たものだと言った」
-今日、朴槿恵大統領が2回目の対国民謝罪をした。
「もう朴大統領は正気を取り戻した。今さら大統領の手を縛っていたら、戦争の時に誰が国軍を統率するのか。弾劾を主張するのは良くない。大統領が呪術に憑かれても、それを追い払えなかったのは基督教の責任だ。傷を負ったら保護するのが当然で、追い出すことは正しくない。今日の談話を見て、実際涙が出た。あの軟弱な女、孤独な女。呪術に憑かれたら人間の力では勝てない。今はそこから抜け出したので、傷を負わせた私たち基督教徒が大統領に力を集中する祈祷を捧げなければならない」