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[インタビュー]慰安婦問題知らせるため、大学生が自転車で米大陸横断遠征

登録:2016-08-25 02:15 修正:2016-08-25 11:36
自転車の米大陸横断「3Aプロジェクト」第2期
キム・ハンギョルさん(24・慶熙大学体育学科)、キム・ヒョングさん(24・漢城大学情報通信工学科)、キム・テウさん(23・慶熙大学体育学科)ら3人の「3Aプロジェクト」チーム=ワシントン/イ・ヨンイン特派員//ハンギョレ新聞社

大学生3人、砂漠渡り山脈を越え2カ月間慰安婦問題を知らせに 
「スペックよりも心が惹かれることがしたい」「やり遂げるために」休学 
「12・28慰安婦合意は当事者の意見が反映されておらず無効」 

 米ロサンゼルスからワシントンまで、65日間3400マイル(約5472キロ)を自転車で走った。7月のうだる暑さのなか米国南部の砂漠を渡り、8月末は豪雨のなか中部と東部を隔てるアパラチア山脈を越えた。日本軍慰安婦問題を米国人たちに知らせようと、韓国からやって来た3人の大学生は、雨の降る道で滑り、脱水状態に陥り、膝の痛みをこらえてペダルを踏み続けた。

 互いに顔も知らなかったキム・ハンギョルさん(24・慶熙大学体育学科)、キム・ヒョングさん(24・漢城大学情報通信工学科)、キム・テウさん(23・慶熙大学体育学科)の3人は、「3Aプロジェクト」で一緒になった。「3A」とは、日本政府が慰安婦を強制動員した事実を認め(Admit)、これに対し謝罪し(Apologize)、さらに被害を受けた元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちに魂と心を添わせ同行する(Accompany)という意味を込め、昨年スタートした大学生の「自転車米国横断」プロジェクトだ。3人の大学生は、昨年の第1期生たちの「面接」を受けて選抜された。

 意欲だけで始めた大遠征だった。ヒョングさんを除いて自転車にまともに乗った経験もなかった。昨年よりも関心は広がったが、支援は不足していた。韓国から出発するとき彼らが手にしていたお金は、所属する大学で用意してくれたお金を合わせて500万ウォン(約45万円)だけだった。飛行機のチケットもそれぞれ個人のお金で買った。日本のマーケットを意識した自転車会社が後援を避けたりもした。幸い、ロサンゼルス、ダラス、シカゴなど、韓国人が多く住む米国の大都市で彼らの意思に心を共にし、誠意で補充してくれた。

 現地時間22日にバージニアに到着し、23日フェアファックス郡庁舎に設置された日本軍慰安婦の平和ナビ(蝶)記念碑の前で記者会見を行った彼らに、このプロジェクトに参加した動機を尋ねた。ハンギョルさんは「このプロジェクトに参加していなければ韓国でアルバイトや英語の勉強など、いわゆる『スペック作り』をしていただろう」と言い、「でも今回は、本当に心が惹かれることをしたかった」と話した。ハンギョルさんは高校2年のとき、母親とともに京畿道広州(クァンジュ)市の「ナヌムの家」でボランティア活動を行った後、毎月1000ウォンずつ募金をしてきた。

 ヒョングさんは軍隊から除隊した後、自転車が趣味になった。自転車に慣れた頃、目標を持って自転車に乗りたくなった。彼は第1期「3Aプロジェクト」の活動を知り、何か意味のあることができると思った。日本軍慰安婦問題に関連する本も読み、記事も漁った。彼は今回の取り組みの準備のために今年は休学した。「せっかくやるならしっかりやろうと思った」と語った。

 テウさんは普段から人権問題に関心が高かったという。彼は「昨年の韓日政府間の12・28慰安婦問題合意を見て、被害者のハルモニの意見が排除された韓日政府間合意がはたして国際法的に可能なのだろうかという疑問を抱くようになった」と話す。

 米国の地理もまともに知らない状態で出発した旅程では、多くの思わぬアクシデントに出くわした。8月11日にシカゴを出発し、ワシントンに22日に到着した12日間の日程は、彼らにとって特に手強い区間だった。ワシントンでの行事に参加する日程のため、一日も休まず強行軍を行った。さらに、6日連続で雨に降られた。雨足が強いときは10キロ先も見えなかった。前が見えないことも心配だったが、後ろの車に自分たちが見えないのではないかということが一番心配だった。雨で滑り、打撲傷を負い、ブレーキが故障して冷や汗をかきながら下り坂を下りたこともあった。上り坂と下り坂が何度も繰り返されるアパラチア山脈は、なかなかゴールを告げてくれなかった。最年少のテウさんは膝がびりびりする症状も抱えた。

「3Aプロジェクト」の移動経路 //ハンギョレ新聞社

 大遠征初期の6月末から7月初めまで、10日以上かかったカリフォルニア州やテキサス州の砂漠区間も彼らを苦しめた。46度を超える天気、果てしなく続く砂漠の中で脱水症状にもなった。しかし必ず最低限60~70マイルは進まなければ宿にたどり着けなかったため、ペダルを踏み続けなければならなかった。自転車のスポークが折れたり、パンクすることも日常茶飯事だった。

 1日5~6時間、休憩や食事を合わせれば8時間ほどを外で過ごした。食事はお金を節約するため、サブウェイやバーガーキングのようなファーストフード店で済ませた。 それでも田舎を通るときにはファーストフード店すらなく、携帯食の「エネルギーバー」を食べて乗り越えたという。ハンギョルさんは「体重が8kgも減った」と話した。宿は自転車旅行者たちに寝床を無料で提供してくれる「ウォームシャワー」を主に利用した。

 彼らは自転車の旅で会った米国人のうち、テキサス州フォートワースで出会った2002年米国ハンドルサイクル・チャンピオンのミッチェル・ボンド氏が最も印象に残ったと語った。彼らの話を聞いたボンド氏は、自分が獲得したメダルのリボンをほどいて三等分し、学生たちに分けてくれた。共感の印だった。ABC放送やFOXニュースをはじめ、地方の小さなメディアまで合わせれば約10社の米メディアに報道された。

 彼らはこの日の記者会見で12・28合意について「被害当事者の意見を尊重せずになされた合意であるため無効だと思う」と話し、「日本政府の心からの謝罪がなされるまでこのプロジェクトが継続されるよう支援する」と改めて強調した。

 彼らは28日にワシントンを出発し、9月2日ニューヨークに到着した後、9月7日にニューヨークの日本総領事館前で水曜デモを行い、84日間の大遠征を締めくくる。

ワシントン/イ・ヨンイン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力:2016-08-24 20:11

https://www.hani.co.kr/arti/international/america/758161.html  訳M.C

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