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[インタビュー]米国に謝罪求める前に日本の責任も問うべき

登録:2016-05-24 02:27 修正:2016-05-25 09:33
韓国人被爆者のため30年間戦い続けた市場淳子氏
「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の市場淳子会長=キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

「韓国人が日本に強制連行されたのは 
原爆よりもさらに苦しく大きな悪」
オバマ大統領に韓国人被爆への謝罪も要求

 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(以下、市民の会)の市場淳子会長(60)は、韓国人原爆被害者問題の解決のために戦ってきた、この問題の「生き証人」だ。 17日にハンギョレの取材に応じた市場氏は、オバマ米大統領の広島訪問に対する彼女の見解を示すと共に、韓国原爆被害者運動の40年史を分かりやすく証言してくれた。市場氏はオバマ大統領の広島訪問に対する韓日間の異なる観点について、「広島が『その日ですべてが消えてしまった』と言うだけだと、核は絶対悪となり、日本が侵略戦争で多くのアジア人を苦しめた事実が埋もれてしまう。核が人類に大きな被害をもたらしたのは明らだが、韓国人の立場からすると、日本の植民地支配と侵略の方がより大きな苦しみだった」と指摘した。インタビューは17日、新大阪駅の喫茶店で行われた。

ー韓国人被爆の問題に長年関心を持ってこられましたね。

 「故郷は広島県だけど、(原爆が投下された)広島市ではない。市からちょっと離れた福山という田舎だった。だから両親が被爆したようなことはなかった」

ー韓国人原爆被害の問題に初めて関心を持ったきっかけは?

 「私は1956年生まれだ。 1960年〜70年代の日本社会は、韓国人被爆のような問題には関心がなかった。1975年に大学に進学し、京都に行った。そこで初めて、日本が朝鮮を植民地支配したことと、被爆者のうち韓国人(朝鮮半島出身者全員を指すものとして韓国人という言葉を使用)が約10%という事実を知った。1975年には『孫振斗(ソンジンドゥ)裁判』(韓国人孫振斗氏が日本に密航し、自分の原爆被害を訴えて被爆者手帳の交付を求めた裁判)が行われていた。当時の日本社会では韓国人に対する差別意識があまりにも強かった。『在日』の立場からすると、日本人は差別をする人たちだから、なかなか友達になれず、平等かつ対等に会話することも難しかった。日本政府関係者は、さらに強い差別意識を持っており、韓国人被爆者たちが外務省と交渉した際には、非常に冷ややかで差別的態度を取っていた」

ー1971年に現在代表を務めている「市民の会」が結成されました。

 「私は1979年から参加することになった。 1979年1月に現地で韓国人被爆者を調査する現場調査があった。最初から市民の会に参加した先輩に同行し、初めて調査に行った。 1979年に活動を始めたから、すでに30年を超えた」

ーその間、紆余曲折がありましたね。 

 「1967年に韓国で韓国原爆被害者協会(当時は韓国原爆被害者援護協会)が結成された。 1978年に孫振斗裁判が原告の一方的な勝利に終わったため、**私たちはこの問題がもっと容易く解決されると思っていた。その後、40年もかかるとは思っていなかった。しかし、それからあまり成果もなく時間だけ過ぎる時期が続いた。当時の協会を率いていたシン・ヨンス会長(辛亨根・元広島総領事の父親)、ソ・ソクウ会長などは本当に貧しい生活を。郭貴勳(クァク・グィフン)会長は高校の先生だったたので収入があったけど、協会の役員のほとんどは健康状態が悪くてまともに働けず、商売をしてもうまくいかなかった。特にシン・ヨンス会長は顔に『ケロイド』が激しく、商売がうまくいかなかった。あまり経済事情がよくない方たちが協会で活動していた。さらに、日本政府との交渉を行っても、これといった成果があがらなかった。そのような状況が、日本政府が1991年から韓国人被爆者問題の解決のために40億円を拠出するまで続いた。(協会結成から)日本政府からの支援を引き出すまで24年から25年かかった。当時の協会役員は自分たちも大変だったのに、もっと困難な境遇にある会員たちのために献身的に活動していた」

ー当時の韓国の被爆者たちの事情はどうでしたか?

 「初めて韓国に現場調査を行ったのは1979年1月だった。冬だったのでとても寒かった。被爆者はほとんど貧民街で暮らしていた。シン・ヨンス会長の後をついて狭い路地を上っていくと、ほとんどが水道も引けない家だった。練炭もなく、子供たちが狭い布団に入って体を寄せ合っていた。一部の被爆者たちは昏睡状態に陥っており、寝たきりの生活だった。当時被爆した方たちは、社会的に下層にあったので、(日本に住んでいたとしても)教育を受けられず、日本語ができなかったため、同行したシン会長が通訳してくれた。汚れた布団に横になっていた被爆者たちは、病院にも行けず、天井に漢方薬や薬草を吊り下げて乾燥させていた。私たちが訪問し、少額の見舞金を渡すと(それがありがたくて)泣きながら受け取っていた。あの方たちの話を直接聞きたくて、韓国語を勉強した。翌年の1980年には大邱(テグ)で約150人の被爆者たちを集めて集団面接調査を行ったことも憶えている。集まった方たちは日本をかなり恨んでいた」

ー協会の役員たちが韓国を訪れるのに、かなりの費用がかかったと思いますが。

 「市民の会で募金をして交通費や宿泊費などに当てた。ところが、協会の方たちが日本に来たら、朝鮮総連系の人たちに会う可能性があるということから、帰国後安全企画部(現在の国家情報院)から取り調べを受けた。韓国は1987年の民主化まで、被爆者が自分の被害について声をあげることがとても難しかった」(これは、ほとんどの日本の強制動員被害者が共通的に言っている事実だ。日本軍「慰安婦」被害者ハルモ二の金学順(キム・ハクスン)さんの歴史的な初の証言が出たのも、韓国の民主化と深い関連がある。金さんが初めて証言したのは、韓国が民主化されてから4年後の1991年8月だった)

ー孫振斗裁判で日本に住んでいない韓国人たちも被爆者手帳を交付されるようになりました。しかし、1974年、厚生労働省公衆衛生局長は、韓国人被爆者が手帳を交付されても、韓国に戻ると、効力を停止するという内容の、いわゆる「402号通達」を出しましたね。当時の韓国人被爆者たちは、これをどう受け止めていましたか?

 「私たちは1990年までそのような通達があることも知らなかった。中央政府が地方自治体に送る『通達』だから、外部には公開されない。数年経つと出版社が通達集を出版したが、その中に(『旧原爆特別措置法に基づく健康管理手当は海外に居住した場合に受給権を失う』という旧厚生省の)『402号通達』が含まれていることを、ある弁護士が見つけた。それまでも韓国人被爆者たちが日本に訪問治療に来て、手帳を交付されても、返るときには無効になる。何を根拠に無効にするか教えてもらえなかった。(この措置が不当であると)裁判をしようとしても、根拠がなければできない。私たちは孫振斗裁判で完全に勝訴をしたため、再び裁判をしなくても、問題をうまく解決できるものと考えていた。ところが韓日両国政府は、一部の被爆者のみに渡日治療を実施するなど、少しずつ部分的な対策を示すだけだった。そのたびに『完全な補償ではなく、不十分な対策』と批判しても、(これを拒否すると)他の対策もないから受け入れるしかなかった」(以降、この通牒の存在を知った郭貴勳会長が1998年10月に通達を無効にすることを求める、いわゆる「郭貴勳裁判」を起こし、2003年に勝訴した。韓国人被爆者問題の解決の過程で「孫振斗裁判」と「郭貴勳裁判」が非常に重要な意味を持つ)

ーオバマ大統領の訪問をどのように見ていますか?

 「韓国メディアは『日本が被害国になる』という理由で批判しているようだ。日本では個人的には『オバマ大統領が原爆投下について謝罪しなければならない』と声をあげる人もいるが、被団協(原水爆被害者団体協議会、日本最大の被爆者団体)などの大きな組織では、謝罪と賠償を口にしない。本当に奇妙な状況だ。これが日本社会の持つ最も深い矛盾ではないかと思う。日本社会は、戦争を起こした天皇の責任を追及しなかった。悪いことをした人が一度も国民に謝罪したことがなく、中国や朝鮮半島のように侵略された人たちには誰も謝罪していない。 (これに触れるのは)日本社会のタブーだ。米国に謝罪を求めるなら、論理的に考えると、当然日本の責任も問わなければならない。だから、これ(公に謝罪を求めること)ができない構造があるようだ。本当に奇妙な状況だと思う」

ー市民の会は、オバマ大統領に韓国人被爆者に対する謝罪を要求しました。

 「19日にオバマ大統領に声明文を送った。実はその前に、韓国の協会から連絡がきた。日本の被団協が謝罪・賠償を求めるなら、韓国協会も一緒に提出したいということだった。だから被団協の幹部に確認したが、まだそのような計画はないと言っていた」

ー広島ではオバマ大統領と被爆者との面談を要求しています。

 「広島では原爆の被害が絶対的な問題という雰囲気がある。日本は侵略をしたが、その問題よりも、とにかく広島に核爆弾が落とされたのだから、核が絶対悪であり、核兵器が悪いという論調だ。しかし、韓国人の立場からすると、侵略で名前を失い、故郷での暮らしが破壊され、土地を奪われ、強制連行されたのが、原爆よりも苦しいことであり、より大きな悪だ。だから、韓国人にとって、核は絶対悪ではない。核は、あくまでも人間が起こした様々な戦争の状況の中で使用されたものであって、このような政治的な分析を抜きにして『核が絶対悪である』ということから出発すると、何も解決できなくなる。なぜ核爆弾が落とされたのかというと、日本が侵略戦争を起こし、米国が(その後展開される)冷戦で核のヘゲモニーを握るため、先に落としたものだ。だから、日本の原爆被害者たちが『その日ですべてが消えてしまった』と言ってしまえば、核は絶対悪となり、日本が侵略戦争をして多くのアジア人を苦しめたことが埋もれてしまう。核は明らかに人類に大きな被害をもたらした。それは事実だ。しかし、韓国人の立場からすると、それももちろん苦しみを伴う出来事だが、より大きな苦しみは侵略されたことになる」

ー現在の市民の会の状況は?

 「会員たちが高齢になった。亡くなった方もいるし、年金生活になったため、会費を出せない方もいるが、新規加入者もいるので会員は600人程度を維持している。(最初に活動を始めた当時)私たちがこのように勝てるとは誰も思わなかった。韓国協会の方々の状況を見ると、何もしないわけにはいかず、負けてもいいから何でもやる必要があったから戦った。自分たちも貧しくて体も悪いのに、自分たちよりももっと体が悪くて、貧しい人たちのために熱心に活動した方が多かった。以前は韓国協会に支部が7つあり、各支部にそのような方々がいた」(現在の韓国人被爆者問題は、2015年に日本在住の被爆者たちとは異なり、1年に30万円と決まっていた治療費の上限が廃止された。市民の会はこの問題が日韓条約で解決されたのかどうかをはっきりさせ、日本政府からの謝罪と賠償を得る問題が残っているというころで運動を続けている。そのために、協会は憲法裁判所の決定に基づいて今も韓国政府を対手にソウルで裁判を闘っている。そして必ず解決すべき被爆2世の問題も残っている)

大阪/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力: :2016-05-23 16:28

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/745019.html 訳H.J

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