登録 : 2016.08.16 23:54 修正 : 2016.08.19 11:44

「3級機密文書」直接見つけ、前方師団の「枯れ葉剤作戦」を確認

7月21日午後、ソウル龍山区の戦争記念館で国内勤務の枯れ葉剤後遺症被害者のオ・ドンジュさんが被害状況について話している=キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞社
1967年に創設された第1遊撃大隊の部隊員
鉄柵に変わったDMZの一般前哨で勤務
射界清掃するために草木も赤色

1995年に糖尿病を皮切りに様々ながんを患う
がんの治療過程で枯れ葉剤の後遺症知る
昔の戦友4人も似たような症状で死亡

4年間357回の請願…認められず
3級機密の「第5軍団史」に決定的証拠
「1967~68年、前方10個師団の鉄柵に散布」

 「明らかに枯葉剤の後遺症なのに、国防部は私が枯れ葉剤散布地域で勤務したことがないと言っています。軍服を着て青春を国家に捧げましたが、(こんな風に)蔑ろにされるとは思いませんでした」

 先月21日、ソウル龍山(ヨンサン)戦争記念館で会ったオ・ドンジュさん(69・予備役陸軍元士<曹長に当たる>)は「悔しさ」を訴えた。勝訴したという喜びもつかの間、陸軍本部が控訴した事実を伝える彼の顔はひどくやつれていた。

 オさんは1966年に入隊し、江原道華川(ファチョン)の第7師団第8連隊での勤務を皮切りに、27年間を軍人として過ごした。入隊1年後の1967年8月15日には、第1遊撃大隊(大隊長キム・ボクトン)の初代部隊員となった。この部隊は、北朝鮮の頻繁な侵入に対抗するために創設された陸軍本部直轄の特殊部隊だった。米軍レンジャー部隊のような厳しい訓練を経て、部隊員に選抜された。部隊員たちは名誉の象徴として長さが1メートルにもなる「赤いマフラー」を首に巻いた。

 この部隊は1967年11月20日から12月4日まで江原道鉄原(チョルウォン)郡金化(キムファ)面五聖山の東側一帯にある第3師団の非武装地帯(DMZ)の一般前哨(GOP)地域で初めての作戦を遂行した。将校36人、兵士676人など大隊員全員が山岳地帯に投入され、夕方には待ち伏せをし、午前4時頃撤収する訓練を繰り返した。第3中隊は、将校5人と兵士160人で構成され、オさんは当時下士(三等陸曹に当たる)として第2小隊第2分隊長を務めた。

 オさんは「GOPに入ったら、木柵の代わりに鉄柵が新たに設置されていた。北側に向けて除草作業や射界清掃をするために木は切り倒され、葉は赤みを帯びているなど、散々な状況だった。索漠で荒廃した風景だった」と振り返った。射界清掃とは射撃の妨げにならないように、陣地の前の障害物をなくすことだ。

白骨師団歴史のコピー//ハンギョレ新聞社
 「これを見てください」

 オさんは歩兵第3師団が発行した白骨師団歴史(1947.12.1~1980.10.31)のコピーを取り出した。「射界清掃(1967.9.1~9.20)(軍)事作戦370(1967.8.23)に基づき、師団は9.1~9.30まで対スパイ作戦強化の一環としてDMZやGOP地域の木柵線の前・後方1キロメートルおよび主要補給路周囲の射界清掃で、延べ兵力792/1万8121人を動員し、実施した」とする記録があった。

 また、「1967.9.25~11.20に第3師作戦370(1967.10.6)に基づき、従来の木柵を金輪の鉄条網とU字輪型鉄条網に替えた。右側のCT674377地点からCT650392地点は、第18連隊と第22連隊が設置を担当し、左側のCT531407地点からCT554403地点までは第23連隊及び砲兵が設置を担当して工事を実施した」とする記録と共に、鉄柵工事を終えた写真が添付されていた。

 オさんは「鉄柵工事は1967年8月から始まった。草木が生い茂った地雷地域での作業に伴い、莫大な人命被害が発生したことを受け、人命の被害なく鉄柵を設置するために、ベトナム戦争で使われていた枯れ葉剤が韓国でも効果があるかどうかを試験したのが始まりだったと聞いている」と陳述した。枯れ葉剤の効果を聞いた部隊長らは先を争って管轄地域に枯れ葉剤を散布しており、このような状況は1968年上半期に鉄柵工事が終わってからも続いたという。

 オさんは1995年、突然糖尿病を患った。リンパ腺に異常が見つかり、甲状腺と肺機能にも問題が現れた。抗がん治療の過程で、症状がいずれも枯れ葉剤の後遺症という事実を知った。彼は枯れ葉剤後遺患者の登録申請が棄却されると、病に侵された体で仁川(インチョン)の自宅からソウル龍山(ヨンサン)の国防部や忠清南道鶏龍(ケリョン)市の陸軍本部、国家報勲処などに出向き、自分と関連する記録を探した。昔の戦友たちにも連絡し、小隊長や中隊長など4人の所在を見つけ出したが、似たような病を患ってこの世を去った後だった。4年間357回も請願を出したことからも、彼がどれほど細かく自分の兵役記録を追跡したかが窺える。

オ・ドンジュさんが集めた枯れ葉剤関連資料//ハンギョレ新聞社
 そのうち、2014年、3級機密に分類された「第5軍団昇進30年史」を閲覧し、第1遊撃大隊が第3師団地域で作戦を行っており、第3師団で射界清掃があったことを確認した。また、仁川報勲支庁に対し「枯れ葉剤の患者登録申請の却下決定の取消し」を求める訴訟に敗訴したことを機に、イ・ユホ弁護士と出会い、報勲処の代わりに国防部・陸軍参謀総長を相手に訴訟をしなければならない事実を知った。オさんは枯れ葉剤患者として登録されていない休戦ラインの枯れ葉剤被害者の苦痛を新聞に寄稿したキム・ドンユンさんにも連絡し、機密解除された米軍の機密文書、木草統制計画(CY-68)と、この文書に記録されている1967年に散布された枯れ葉剤の成分も確保した。

 先月7日の大田(テジョン)地裁の勝訴判決は、このような過程を経て成し遂げた成果だった。

 オさんは1967~68年、前方10個師団がいずれも休戦ライン近くの木柵を鉄柵に替える工事の際に枯れ葉剤を撒布しており、塹壕や交通路などにも枯れ葉剤が撒かれたと主張し、こう語る。

 「国の命令を受けて作戦するうちに患った病であり、私の体が証拠なのに、枯れ葉剤後遺症患者として登録してくれないなんて、悔しくて(真実の究明を)止めるわけにはいかなかった。国がこんなことをしてはならないと思う。(がんに)効き目のある新薬を使うためには、毎月数百万ウォンの薬代を用意しなければならない。すでにこの世を去った人たちと、まだ苦痛を強いられている戦友たちの名誉を回復させてあげたい」

 陸軍本部は1審判決の直後に控訴した。

チェ・イェリン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2016-08-16 22:01

http://www.hani.co.kr/arti/society/area/756998.html訳H.J

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