登録 : 2016.07.27 02:26 修正 : 2016.07.27 08:03

1994年の米朝ジュネーブ交渉当時 
仲間外れにされた韓国の「情報乞い外交」
2005年の6カ国協議「9・19共同声明」で  
輝いていた韓国の「創意的協力外交」 
2016年にラオスARF会議場に 
再び登場した出待ちと情報乞い 
韓国外交の悪夢は再現されるのか

25日午後(現地時間)、ラオス・ビエンチャンの国立コンベンションセンターで開かれた中朝外相会談開始前に、中国の王毅外交部長(左)がドアの前まで出て来て北朝鮮のリ・ヨンホ外相を出迎えている=ビエンチャン/連合ニュース
 25日午前11時頃(現地時間)、ラオス・ビエンチャンの国立コンベンションセンター1階の貴賓休憩室(12号)と15号会議室前。韓国や日本など各国取材陣でひしめいていた。午前11時開始予定の朝中外相会談を取材するためだった。

 ところが、12、15号前で「出待ち」をしていたのは記者たちだけではなかった。韓国外交部所属の若い外交官たち数人の姿もあった。15号は朝中会談の場所で、12号は、中国とASEAN外相会議が南シナ海問題で予定より長くなったため、リ・ヨンホ北朝鮮外相が中国の王毅外交部長を待っている間、休憩していたところだ。北朝鮮核問題の交渉で実務を担当する外交部朝鮮半島平和交渉本部のある若い外交官が語った。「ここ(朝鮮半島平和交渉本部)で働く間、北朝鮮外交官と一度も交渉を行ったことがない。とても残念だ」。15号室前の若い外交官は忙しく行き来する中国外交部関係者たちを引き止めて話を聞き出そうとしていた。記者のように、外交官も「取材」をする。しかし、関係が良い国同士では外交官があえて「情報乞い」をする必要がない。主要外交行事後には「デブリーフィング」(事後説明)をしてくれるからだ。若い外交官たちの「出待ち」と「情報乞い」、韓国外交の悪夢は再現されるのだろうか?

■1994年の「情報乞い」、外交の悪夢

 1980年代末に始まったいわゆる「第1次北朝鮮核危機」は1994年10月21日、朝米ジュネーブ基本合意の採択と発表で解消された。米国による「北朝鮮の寧辺(ヨンビョン)核施設への爆撃」まで取りざたされていた「戦争危機」を、ジミー・カーター元米大統領の訪朝および北朝鮮の金日成(キムイルソン)主席との面会で脱し、米朝が1カ月間にも及ぶ難解な交渉を最後まで諦めなかった結果だ。この過程で、北朝鮮に対する強硬策を固守した金泳三(キムヨンサム)大統領が率いていた当時の韓国政府は、何も貢献したことがなかった。1994年6月の「戦争危機」当時、金泳三政権は国家安全保障会議(NSC)を招集して「仮想戦争図上演習」を行い、イ・ホング当時統一院長官は「いかなる代償を払っても、北朝鮮の戦争の企図を懲罰する」と声を張り上げた。最近よく見かける場面とあまり変わらない。

 無能と傲慢のせいで「仲間外れ」にされた金泳三大統領は、朝米のジュネーブ交渉が佳境に入った1994年10月8日、米紙ニューヨークタイムズとのインタビューで「米国が北朝鮮に騙されている」として、「邪魔立て」をしようとした。その頃、大統領府は、朝米両国が何を話し合っているのかを「リアルタイムで報告」するように、現場の外交官たちを責め立てていた。会談が行われたスイスのジュネーブで勤務していた韓国外交官たちは、1か月近く米国交渉代表団を「出待ち」し、「情報乞い」をしなければならなかった。北朝鮮交渉代表団とは一言も会話を交わせなかった。「外交官として悲惨な気持ちだった」。現場にいた元外交官は当時の苦い経験をこう振り返った。

■2005年9・19共同声明、外交の絶頂

 6カ国協議の9・19共同声明(2005年9月19日)は、北東アジアにおける脱冷戦の青写真だ。1998年、北朝鮮「金倉里(クムチャンリ)核疑惑施設の発見」とテポドンミサイルの発射(1998年8月31日)が重なった朝鮮半島の安保危機の流れを、2000年の南北首脳会談と米朝関係正常化の推進で急激に変えた「金大中(キムデジュン)・イム・ドンウォンプロセス」(別名「ペリー・プロセス」)と共に、韓国外交の金字塔と呼ばれる。9・19共同声明は、いわゆる「第2次北朝鮮核危機」の勃発(2002年10月)以降、鋭く対立してきた米朝両国を6カ国協議議長国である中国と共に韓国が仲裁・調整し、「創意的協力外交」を展開したことで生まれた。

 9・19共同声明の最後の争点は、北朝鮮の軽水炉提供の要求をどのように処理するかにあった。北朝鮮は「軽水炉の提供」を平和的核利用の保障とみなしたが、米国は「軽水炉の提供」に難色を示した。韓中両国は「適切な時期に軽水炉提供問題を協議」するという文言を盛り込むことで、米朝間を隔てる絶壁の架け橋となった。「軽水炉提供」に言及しながらも、「適切な時期に協議する」という但し書きをつけることで、「創造的曖昧性」を動員した外交的妙策だった。

 韓国は朝鮮戦争当時、互いに銃を向けた中国と協力し、いつでも交渉の場を離れる準備ができていた唯一の同盟国の米国と、「敵であると同時にパートナー」の北朝鮮を交渉現場に留まらせた。この過程で、韓国は韓米だけでなく、南北協議も数え切れないほど行った。南北協議が終わると、米国や日本など各国の交渉代表らがデブリーフィングを聞くために韓代表団を訪れた。朝米協議が終わった後は、相手の真意をどう解釈したらいいのか諮問を受けるため、米朝の代表が韓国代表のもとに駆け寄った。9・19共同声明の誕生過程は「北朝鮮」が韓国外交の負の遺産であると同時に、活動の幅を広げて地位を高められる「資産」になる可能性を示した。9・19共同声明が韓国外交の頂点であり、金字塔と呼ばれるのもそのためだ。

■2016年の朝鮮外交の困った現実

 ラオスで24~26日に行われたASEAN地域フォーラム(ARF)などASEAN関連の外相会議が露呈した外交の現実には、困惑せざるを得ない。「南北の対峙、韓中の軋轢」が如実に現れた。約10年前、9・19共同声明を発表する際、韓国の協力パートナーだった中国は、在韓米軍への高高度防衛ミサイル(THAAD<サード>)配備の決定以降、韓国に対する不満を露わにしてきた。中国は、4回目の核実験と国連安全保障理事会決議2270号の採択以降、国際的孤立を余儀なくされていた北朝鮮をかばう「外交的演出」で、韓国の選択を圧迫した。今、韓中の間に冷ややかな空気が漂っている。南北の外交長官は向かい合って交渉する場面もなかった。ユン・ビョンセ外交部長官はTHAAD配備の決定を「責任ある政府が当然すべきこと」だと言うが、北朝鮮核問題を北朝鮮外交官らと交渉を通じて解決していくことを望んでいる若い外交官らは、「出待ち」と「情報乞い」に駆り出されている。「出待ち」と「情報乞い」に象徴される1994年の韓国外交の悪夢は再現されるのか?

ビエンチャン(ラオス)/イ・ジェフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-07-26 19:17

http://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/753980.html訳H.J

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