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[記者手帳]対北朝鮮制裁後

登録:2016-03-27 22:38 修正:2016-03-28 07:20
パク・ビョンス先任記者 //ハンギョレ新聞社

 北朝鮮の核危機が始まったのは、1993年に北朝鮮が国際原子力機構(IAEA)の特別査察に反発し、核拡散禁止条約(NPT)脱退を宣言してからだ。 すでに23年前になる。 それでも未だに危機は進行中だ。 国連の北朝鮮核制裁決議も今回が6回目だが、一時は1994年のジュネーブ合意や2005年の9・19共同声明など希望もあった。 しかし再び元の木阿弥だ。

 変わったことがなかったわけではない。 金正日(キムジョンイル)国防委員長時期の核実験挑発は交渉過程から出た。 2006年10月の最初の核実験は6カ国協議9・19共同声明以後、米国のバンコ・デルタ・アジア(BDA)制裁に対する抗議であった。 2009年5月の2回目の核実験も6カ国協議の膠着局面が長期化しこれに対する不満の性格が強かった。

 しかし、金正恩(キムジョンウン)時代の北朝鮮ははるかに攻勢的に変わった。 2013年2月の3回目の核実験は交渉局面とは関係なかった。 2012年4月と12月に相次いで「銀河3号」を発射し、かろうじて成功させた朝米間の「2・29合意」を破綻させた後、国連の制裁が出され、それに対する反発で核実験を強行した。 今年1月の4回目の核実験も、その前に牡丹峰(モランボン)楽団の突然の中国公演取消など異常の兆候はあったが、概して突然の挑発と受け止められた。

 制裁局面でも以前にはなかった場面が見られる。 今回のように韓国が開城(ケソン)工業団地中断など全ての南北関係を制裁にかけた前例はない。 朴槿恵(パククネ)大統領のオール・オア・ナッシング的な二分法思考のためかもしれないが、とにかく韓国政府の「オールイン」は歴代最強の国連安保理対北朝鮮制裁が出される上でもそれなりの役割を果したものと見える。 さらに中国までが制裁決議案の誠実履行を約束しているので、対北朝鮮制裁包囲網は前例なく強固に見える。 北朝鮮の対応も特別だ。 小型化核弾頭の模型公開、再進入実験公開、固体燃料ロケット実験など、大量破壊兵器の技術の誇示がいつにも増して露骨だ。 北朝鮮核局面が単純に繰り返されているのではなく、さらに感情的で刺激的な様相が加わり危機が深まっているわけだ。

 今回の対北朝鮮制裁がどれくらい効果があるかを見極めるには、おそらく数カ月の時間が必要だろう。 問題はその数カ月後の制裁局面以後であろう。 朴大統領が2月16日に国会演説で「今こそ北朝鮮を実質的に変化させるための根本的な答えを見つけなければならない」として、体制崩壊を挙論したことと、韓国外交部のユン・ビョンセ長官が今月24日に「韓仏リーダーズフォーラム」の基調演説で、「北朝鮮の核と人権問題の究極的な解決策は朝鮮半島の平和統一」と強調したことを見れば、韓国政府は北朝鮮体制の崩壊を念頭に置いているようだ。

 しかし、このような構想がうまくいくだろうか。 依然として対北朝鮮制裁効果を意のままにできる中国は、一貫して非核化、安定、交渉のどれ一つも欠けてはならないという立場だ。 制裁は交渉へ進むための飛び石という認識だ。 米国も大きく違わないと見られる。 米国務省のダニエル・ラッセル東アジア太平洋担当次官補は22日、ドイツはベルリンのヘルティ公共政策学校で「北朝鮮の崩壊は我々の戦略ではない」として「核問題を巡る信頼に値する交渉過程」の必要性を強調した。 「行くところまで行ってみよう」という韓国政府とは違い、制裁局面以後を考えている。

 それでも韓国政府が圧迫一辺倒に固執するならば、制裁局面以後の朝鮮半島情勢は米中など強大国が主導する公算が大きい。 韓国が独自に北朝鮮の譲歩を勝ち取ることは難しいためだ。 韓国政府が朝鮮半島主導権を発揮するには、今からでも漠然とした「北朝鮮崩壊論」から抜け出して、制裁局面以後を想定した現実的な「大きな絵」を持たなければならない。 そしてその絵により米中の協力を説得しなければならない。 その絵には当然ながら対話と交渉が排除される理由がない。

パク・ビョンス先任記者 suh@hani.co.k

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/737016.html 韓国語原文入力:2016-03-27 18:59
訳J.S(1806字)

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