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[ルポ]故・朴正熙大統領生誕祭に地元の亀尾市が約4億円計上…

登録:2016-05-23 09:44 修正:2016-05-23 16:51
「半神半人」偶像化が進む亀尾市朴正熙路107を訪ねる

朴正熙追悼事業が盛んな亀尾市
銅像、生家、体育館…毎年事業
来年の生誕100周年祭迎え
28億ウォンのミュージカル制作も推進

亀尾の今日を作った「半神半人」と礼賛
在任時に田舎の寒村を産業団地に開発
市長「道義的レベルの追悼行事」
経済的效果のない偶像化に批判

朴正熙元大統領//ハンギョレ新聞社

 慶尚北道亀尾(クミ)市朴正熙(パクチョンヒ)路107。これは朴正熙元大統領(1917~1979)が生まれた場所を示す道路名住所だ。亀尾市は、朴元大統領生地一帯の道路名住所を「朴正熙路」と命名した。もとの地番は、慶尚北道亀尾市上毛洞171。この道路名住所を訪ねると、朴元大統領が生家が現れる。

 19日午後1時、朴正熙元大統領の生家に通じる道には「セマウルへ!世界へ!未来へ!」というスローガンが刻まれたセマウル運動のシンボル像があった。セマウル帽をかぶった4人の男がシャベルを持ったり手押し車を引いて力強く前に進む姿をしている。像の周辺には朴元大統領の行跡や業績が書かれた掲示板がいくつか建っていた。「朴正熙大統領、セマウル運動の創始者、祖国近代化の主役」と書かれた大きな掲示板も見えた。

 像から右の道に沿って1.5キロ進むと、高さ5メートルの朴元大統領の銅像が現れる。2011年11月に義援金6億ウォン(現在のレートで約5500万円)で作られたものだ。銅像の後ろには、朴元大統領が書いた詩、夫人の陸英修(ユクヨンス)氏と一緒に撮った写真、「セマウル歌」の歌詞などが刻まれた大理石の壁があった。大理石の壁の近くには、セマウル歌が流され続けていた。その背後では「セマウル運動テーマ公園造成事業」の工事が行われていた。

 朴元大統領の銅像周辺で会った住民のパク氏(75)に、朴元大統領をどう思うか尋ねてみた。彼は「あの方のおかげで我々は貧困から脱し、今こうしてご飯も食べていけるようになった。君のような若い人たちは朴正熙が好きじゃないと言うけど、一度でもひもじい思いをしたら、しっかりした考えを持つようになるだろう」と声を荒げた。

高さ5メートルの朴元大統領の銅像//ハンギョレ新聞社
慶尚北道亀尾市朴正熙路107にある朴正熙元大統領の生家。朴元大統領は1917年にここで生まれた=キム・イルウ記者//ハンギョレ新聞社

 セマウル運動のシンボル像がある場所に戻り、左側の道に沿って進むと「朴正熙大統領民族中興館」が現れた。朴元大統領の遺品などが展示されている。民族中興館の記念品売り場には、セマウル帽と朴元大統領夫妻の写真が焼き込まれた皿や額縁などが売られていた。

 民族中興館からさらに進み現れるのが朴元大統領の生家だ。1917年に生まれた朴元大統領が、1937年に大邱師範学校を卒業する時まで住んだ家だ。生家は崩れ落ちそうな状態だったが、5・16軍事クーデター3年後の1964年に現在の姿に復元された。生家の隣には朴元大統領夫妻の追悼館がある。追悼館の入口にある芳名録で、ソさんとイさんが書き残した「亀尾経済を助けてください」という文字が目についた。

 朴元大統領が死んでから37年たつが、亀尾市は今も故人のために大忙しだ。亀尾市が朴元大統領を素材にした28億ウォン(約2億6000万円)のミュージカル「孤独な決断」(仮称)の制作を推進することが分かったためだ。亀尾参与連帯など市民団体は毎週水曜日に亀尾市役所入口でミュージカル制作反対の1人デモを続けている。同連帯は「朴元大統領追悼事業に税金を使うのは経済的効果もない行き過ぎた偶像化」とし中断を求めている。

2002年に亀尾体育館から名前を変えた朴正熙体育館=キム・イルウ記者//ハンギョレ新聞社

 亀尾市は今まで、朴元大統領追悼事業に多額の資金を使ってきた。復元された生家に加え、銅像や追悼館がすでに作られているが、亀尾市は2012年3月に58億5千万ウォン(同、約5億4000万円)かけ朴正熙大統領民族中興館を建設した。2006年2月からは286億ウォン(同、約26億4000万円)かけ「朴正熙大統領生家周辺公園化事業」(7万7千平方メートル)を推進している。2013年10月には870億ウォン(同、約80億円)かけ「セマウル運動テーマ公園造成事業」(25万平方メートル)も開始させた。

 また、亀尾市は2014年6月に5400万ウォン(同、約500万円)かけ「朴正熙大統領テーマソングの発掘・普及事業」もした。200億ウォン(同、約18億円)かけた朴元大統領生家近くの「朴正熙大統領歴史資料館」も建設される計画だ。これに先立つ2002年には、亀尾市広坪洞にあった亀尾体育館の名称を「朴正熙体育館」に変えた。

870億ウォンの予算をかけるセマウル運動テーマ公園造成事業の現場=キム・イルウ記者//ハンギョレ新聞社

 毎年、朴元大統領が生まれた日(11月14日)や、亡くなった日(10月26日)にそれぞれ開かれる生誕祭と追悼祭をする亀尾市の予算も日増しに増えている。2012年の追悼祭予算は686万ウォンだったが、朴槿恵(パククネ)大統領が就任した2013年に1470万ウォンへと大幅に増えた。生誕祭の予算も2012年の7350万ウォンから2013年に7742万ウォンに増やされている。亀尾市が過去7年間(2009~2015年)に生誕祭と追悼祭に使った予算は合計5億3338万ウォン(約5000万円)だ。亀尾市では来年40億ウォン(約3億7000万円)かけ朴元大統領100周年生誕祭を実施する計画がある。

 亀尾参与連帯は声明を出し、「朴元大統領に対する一方的な美化と偶像化が懸念される。また事業規模があまりにも大きく、財政負担になる。このような事業で得られる経済的利益や効果にも疑問」と指摘した。

 亀尾市は先祖代々の墓を中心とした田舎の村だった。1962年1月1日、亀尾面から亀尾邑に昇格している。この田舎の村が韓国最大の内陸の産業団地に開発されたのは朴元大統領在任中(1963~1979年)。1969年に亀尾国家産業1団地、1977年に亀尾国家産業2団地、3団地が作られ始めた。盧泰愚(ノテウ)大統領在任中(1988~1993年)は、高牙、海平、山東の3つの農工団地が建設された。金大中(キムデジュン)大統領在任中(1998~2003年)は亀尾国家産業4団地も造成された。

 亀尾の産業団地と農工団地の面積は2596万5千平方メートルに及ぶ。昨年12月基準で3206社で11万1689人が働いている。亀尾市の人口は41万人余りだ。

亀尾市が出す朴正熙・元大統領生誕祭の予算//ハンギョレ新聞社

 2005年に初めて輸出額300億ドルを達成。慶尚北道の23市郡の総輸出額の60%以上が亀尾から出された。1978年2月15日、亀尾邑は亀尾市に昇格。亀尾で経済開発を経験してきた年配の人の間では「朴元大統領が今日の亀尾を作った」との認識は強い。

 2013年11月14日の朴元大統領生誕祭に参加したナム・ユジン亀尾市長は、記念辞で「朴正熙大統領は半神半人(半分は神、半分は人)」と語った。2014年の地方選挙で慶尚北道知事に出馬したパク・スンホ元浦項市長は「亀尾市の名を朴正煕市に変えよう」と提案したこともある。昨年、朴元大統領の生家を訪れた人は51万9211人にもなる。

 ナム亀尾市長は「盧武鉉大統領や金大中大統領も生地で追悼行事をするのだから、朴正熙大統領もそうした道義的レベルで亀尾市も各種の追悼行事をする。この問題をあまり理念の問題としてとらえるべきでなく、朴大統領が生まれて発展させた亀尾の地域特性と見て欲しい」と話した。

 しかし亀尾は今、経済不況に見舞われている。2007年に349億ドルまで上がった亀尾地域の輸出額は、2009年に289億ドルに落ち込んだ。それ以降、輸出額は2010年から再び値上がりし、2013年に367億ドルを達成したが、再び落ち始め、昨年は273億ドルでしかなかった。亀尾はかつて韓国の総輸出の10%を占めることもあったが、今は5%に比重が下がった。亀尾には社員300人以下の企業が多く、業種も多角化されているため、他の地域に比べ落ち込みはそれほど早くはない。

 亀尾参与連帯のチェ・インヒョク事務局長は「経済不況に加えて企業が首都圏に相次いで流出しており、かつて成功を収めた亀尾の経済も次第に厳しくなっている。中央政府に頼らず、朴元大統領追悼事業に予算も減らし、住民福祉拡大などに充てねばならない」と話した。

亀尾/キム・イルウ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-05-22 20:04

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/744957.html 訳Y.B

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