2人の日本軍「慰安婦」被害者ハルモ二(おばあさん)が同じ日に亡くなった。これで慰安婦ハルモ二のうち生存者は42人になった。
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と女性家族部は17日、全羅南道海南(へナム)に居住していたコン・ジョムヨプさん(96)と中国黒龍江省に居住していたイ・スダンさん(95)が老衰のため他界したと発表した。
1920年に全羅南道務安(ムアン)で生まれたコンさんは、1935年に日本の絹工場への就職を約束した正体不明のスーツ姿の男の言葉にだまされ、日本軍に連行された。その後、中国の海城、上海、ハルビンなどで1943年頃までの約8年間、日本軍慰安婦として生活した。異性とつき合ったこともなかった16歳のあどけない少女は、海城で日本軍7人を初めて相手した。1945年に海南に帰国し、1947年に結婚したが、8年後に夫に先立たれた。故人には息子が一人いる。遺体安置所は全羅南道海南郡海南中央斎場であり、出棺は19日だ。
イさんは、1921年に平安南道粛川(スクチョン)郡で生まれ、中国ハルビンでの労働者募集の広告を見て志願したが、慰安婦になった。イさんは、ロシアと国境を接する東寧で慰安婦として生活した。第二次世界大戦が終わった後、日本軍に見捨てられ、政府も関心を払わなかったため故郷に帰れず、中国に残留するしかなかった。彼女は結婚したが、子供を産まないまま夫と死別し、これまで中国人の養子がイさんを介護してきた。晩年には、認知症の症状まで見せたイさんは、2005年に韓国政府の支援で韓国国籍を回復したが、高齢に加え、脳梗塞や動脈硬化など、健康状態が悪く、結局故国の地を踏めなかった。黒龍江省を管轄する駐瀋陽韓国総領事館は、現地当局にイさんの葬儀を韓国式に営むように要請し、葬儀の手続きを主管するように領事を派遣した。
現在、政府に登録された慰安婦被害者238人のうち、生存者は42人(国外2人を含む)になった。
韓国語原文入力:2016-05-17 20:58