国連制裁の経済的効力
北朝鮮と中国、両国間の交易は日々増加傾向だ。 大韓貿易投資振興公社(KOTRA)の「北朝鮮対外貿易動向統計資料」によれば、北朝鮮の貿易依存度は中国側に急速に集中している。 2004年の48.5%から2009年に79%、2011年には89%に急増した。2012年、北朝鮮の対外貿易額全体のうち88%(68億ドル)が中国だ。 北朝鮮の貿易会社が銀行を経由せずに現物取引、現金、密貿易など多様な方法で取引している点を考慮すれば、中国税関の公式統計よりはるかに大きいと推定される。 統計上の貿易額が大きいのか、非公式貿易規模がさらに大きいのかも計り難い。 北朝鮮が援助ばかりに頼っている国家だという偏見は、輸入、輸出統計を見れば砕け散る。 昨年の北朝鮮の対中国輸出額は22億7900万ドル(46.4%)、輸入額は26億3000万ドル(53.6%)だ。
丹東は交易の前進基地だ。 朝中関係に精通した韓国外交部当局者は「中朝間の全体交易量の60%以上が地理的に近接した東北3省で、このうち70%以上が丹東で行われている」と話した。
K氏は言った。 「事務室にある丹東の会社目録によれば5800余社ある。 しっかり目を通せば北に関連した企業が半数以上だ。 3000社として、一つの会社の人員は3~8人だ。 計算すればざっと2万人になる。 この人たちが物資を一つずつ輸入するとすれば、元請けに関わる人、物流、通関…貿易過程はこのように6、7段階を経る。 この段階に関わる人員に新義州観光まで加えれば、30万の丹東の人口の半分はあそこを見ながら暮らしていることになる。 北側だって丹東を見ているだろうし」
2012年以後、毎年18万人を超える北朝鮮の人々が中国を訪問している。 不法滞留労働者などは集計対象に含まれない。 丹東では北朝鮮離脱者ではない北朝鮮の人を簡単に見ることができる。 韓国人が数少ないビジネスホテルの朝食をとる食堂とか、エレベーターとか、1階フロントとか。 北朝鮮の人々がいっぱいいる。 カン博士と私はエレベーターの階数を代わりに押してあげ、床に置かれた荷物を持ってあげ(駅に行っても北朝鮮の人々は本当に荷物が多い)、天気の話をしたりした。
両国間の交易は核実験と国連や韓国の制裁により凍りつくのだろうか。 マスコミが現に報道しているようにだ。 「ここ丹東は北朝鮮依存度が当然高いだろう。 今までの丹東市長は揃って親北朝鮮だったよ。 北朝鮮とも親しいのだろう。 韓国の主要人物が丹東を訪問しても、北朝鮮の顔色を見て冷遇するとか。 ところが昨年だったか、市長と書記(市長より党中央が派遣した党書記の方が格が上)が揃って親韓国的な人物になった。 習近平体制になってから韓中関係が良くなったし、習近平の人脈が地方まで波及したから。 それで昨年、韓国領事館と丹東市政府が「韓中友好の夜」行事を初めて実施した。 他の東北3省では以前からやっていたけど」。(韓国人対北朝鮮事業家L氏)
朝中貿易統計を見れば、国連制裁との相関関係は少ない。 2013年韓国開発研究院イ・ソク研究員の「朝中貿易の決定要因:貿易統計とサーベイ・データの分析」報告書によれば、国連制裁は北朝鮮の対中国輸出より輸入に大きな影響を及ぼすと推定されるが、その効果は制裁後の1,2四半期に限られ非常に一時的なものだった。 2013年北朝鮮の3回目の核実験で国連安保理決議2094号が採択されたが、この時も朝中貿易額は最高額を更新した。 韓国との関係が友好的な習近平主席が4回目の核実験にはきっぱりと北朝鮮を制裁するだろうという予想もある。 だがそうではないという見解が優勢だ。 韓国開発研究院のイ・ジョンギュ研究委員は「北朝鮮の対外貿易:2015年評価および2016年展望」で「国連安保理決議が推進されているが、中国経済が保七、すなわち7%成長率の維持も達成できずにいる中で東北3省を中心とする地域の景気萎縮は政府の負担を加重させる」と展望した。
刺身屋のテーブルに座りアサヒビールを飲みほして
「金が力」と言う北朝鮮駐在員
米国製のシャツを着てサムスンのスマートフォンを使う
40年以上にわたり北朝鮮で生きてきた彼は
北朝鮮を乞食とは見ないと言って笑った
韓国、北朝鮮、中国、3国の会食
焼肉を焼いていた北朝鮮の女性労働者たちと
同席してぎこちなく乾杯した
翌日、彼女たちの工場に行った
ミシンの前で目で挨拶を交わした
そして昼休み、皆が席を離れた
北朝鮮の労働者300人を雇用している
朝鮮族L氏の舌がもつれた
「うちの子が中国で初めての月給を
もらった時、何を買うか分かる?
70%がぬいぐるみを買う、熊や犬のぬいぐるみ」
丹東に到着した初日は「国際3・8婦女節(国際婦人デー)」だった。 中国と北朝鮮は女性のための公休日を設けている。 朝鮮族のK社長は貿易事務室、Kの友人は北朝鮮の労働者が働く縫製工場を経営している。 K氏の友人は北朝鮮安全代表(労働者代表)と女子職員3人を工場の外に呼び出して焼き肉で会食をした。 私とカン博士は他の食堂に立ち寄ったが席がなくて彼らのいる店に席を移した。 北朝鮮の労働者が働く水産物工場を経営する朝鮮族のL社長もいた。 パディングジャンパーにズボン姿の北朝鮮の女性労働者たちと男性の労働者代表は他のテーブルで焼き肉を焼いていたが同席することになった。
20代序盤と見える女性労働者は全く酒を飲めなかった。 このテーブルで酒をチビチビと飲む人は私をはじめ女性4人だけだ。 酒が飲めない者同士は目くばせだけで話が通じる。 その女性労働者は社長から酒杯を受け取ると、どうすればいいかという目で私を見た。「受けるだけ受けて、別に飲まなくてもいいよ」と頭を軽く振ってあげた。 労働者たちは殆ど喋らない。 時々微笑を浮かべた。 表情は明るく見えた。 北朝鮮の労働者たちは昨年から外出できなくなった。 北朝鮮の領事部が社長に外出を禁止するよう通知を送った。 水産物加工工場社長のL氏は私とカン博士を北朝鮮の労働者に「延辺の人」と紹介した。 実際、L社長も私をカン博士の後輩研究者と理解していて本当の身分は知らなかった。
丹東で過ごした8~16日、私は色々な人になった。 ある席では予備人類学研究者、出身学校でもないソウルのある大学の後輩だった。 またある席では、おい、お前と呼ばれた。 深く北朝鮮に関わったり、10年余り働いた人は徹底的に影にならなければならない。 「隠れた存在」であってこそテバン(貿易相手を指す言葉。北朝鮮側のパートナー)が負担を感じない。 対北朝鮮事業家は記者たちには言いたいことではなく、言えることだけを言う。 それで8泊9日間、肩書ではなく名前の“ユリ”で過ごした。 国際婦女節だからと、男たちは女たちにビールの一気飲みを薦めた。
食事を終えた4人の北朝鮮労働者が席から先に立ち上がった。 L社長が北朝鮮の女性たちに話した。 「この姉さんと握手しなくちゃ」3人の女、3人の労働者、3人の北朝鮮の妹の手を握った。 何も言わずに微笑を交わした。
L社長は徐々に酔いが回っていった。 水産加工業を営むL氏は北朝鮮の労働者300人余りを雇用している。 「私たちの工場には嫁入り前の年頃の子たち、23、25、祖国に帰れば嫁入りする子たちがいるけれど。時には見ていて気持ちがちょっと何ですね。 うちの子たちが中国で初めて月給もらった時、買う物が何だか分かりますか? 私たちの会社では70%がぬいぐるみを買うんです。 ハハハ、熊とか犬のぬいぐるみ。 それで私は訊きました。 『なぜこれを買うの?』。 すると(ぬいぐるみを)抱いて寝たいからって。 あと6カ月とか1年だから嫁入りして使うものを買ったんだと」。
L社長は酒がますます回ってろれつが怪しくなった。「私は本当に…私たちは民族として…彼女ら(北朝鮮の労働者)も分かる。 私は政治みたいなものとは関係ない。 本当に妙な関係だ、ここは。 今日だって韓国から来たと本当のことを言えば、彼女たちは握手しない。 私が延辺から来たと言った時「お前たちは分かっても分からないふりをしろ」と言ったよ。 敵ではなく韓民族として一杯飲もうという意味だ。 私たちは本当に民族の団結を、統一のために…でも私たちはメインではない。 私たち中国籍には国がない。 祖国がない。 朝鮮族は北朝鮮に行けば在外同胞、あっち(韓国)に行けば海外同胞。かわいそうな人間だ。 あなた方が韓国から来た、南朝鮮から来たと言えば、どれほどいいだろう。 涙が出るじゃない。 (国籍を)言えば今は別れなければならない」
L社長のぼやきは続いた。「思想ってあるじゃない。 私はそれが嫌いなんだ。 私は職員を率いているけど仲がよい。 私は金のために努力しているのに。 それでもあの子たちは私を尊重してくれる。 月に豚を2頭つぶして。 一日か二日、思いっきり食べさせる。 『食べたい?』全部食べろ。 私の気持ちだ。 ところが南北は私の気持ちなんか分かっていない」。 L氏の話は酔いのために時に自嘲気味だった。 「私は中国籍だけど。 私は関係ない。 私は金さえ儲かれば良い。 私は気を遣うのが嫌だから…ちょっとそうなの」。 L氏の工場では中国と北朝鮮の労働者が一緒に働いている。 それでラインは二つある。 北朝鮮の労働者が作った製品は韓国の会社には納品できない。 北朝鮮の労働者が作った製品はヨーロッパに、中国の労働者が作った製品は韓国に行く。 2010年5月24日、南北経済協力が禁止されたためだ。
ミシン台に座る
翌9日午前9時、昨日会った労働者たちが仕事をする縫製工場に行った。 プレゼントに果物一箱を買って行った。 工場の広場には掘っ立て小屋のような小さいビニールハウスがある。 労働者が自ら漬けたキムチの貯蔵庫だ。 1階は廊下の両側に労働者たちの寄宿舎の部屋が並んでいた。 シャワー施設が見える。 階段を上がると工場につながる。 「アリラン、アリラン~~白頭山(ペクトゥサン)でアリラン~~私たちは~~白頭山に行きます」スピーカーから歌が流れている。 工場にお客さんが時々訪ねて来るのか、労働者たちは私たちをしげしげと見るようなことはしない。 昨日会った女性労働者がミシン台で服を縫っている。 私たちは無言で目で挨拶を交わした。 「こんにちは」。彼女がにっこりと笑う。 工場の階段には雑種犬一匹が暮らしている。 工場に勤める朝鮮族の管理者に犬の名前を尋ねた。 「サングン」。韓国の芸能番組に出演して有名になった犬の名前だ。 北朝鮮の労働者たちには「サングン」の意味を知らないが。
昼の12時になると女性労働者が歌を消した。 労働者たちが下階の食堂に揃って降りて行った。 ガランと空いた工場を歩き回りミシン台に座った。 前日手を握った3人の友達、20代序盤の労働者も寄宿舎で熊や子犬のぬいぐるみを抱いて眠るのだろうか。
※次回は直接平壌に電話をして、10~20年にわたり北朝鮮と交流してきた韓国人の対北朝鮮事業家の話をお伝えします。 最近、開城(ケソン)工業団地が閉鎖されました。 しかし、経済交流は開城工業団地だけで行われているのではありません。