2年前のこの時期、韓国社会を大きく揺るがせた事件がありました。 ソウル市公務員スパイ証拠ねつ造事件。 ソウル市公務員のユ・ウソン氏が北朝鮮に出入りしてスパイ行為をしたとして起訴されたのですが、調べてみると国家情報院が検察に提出した証拠書類は偽造されたものだったのです。
事件の真実が明らかになるのには、証拠ねつ造事件の被害者であるユ・ウソン氏の弁護人の役割が非常に大きかったのですが、とんでもない証拠ねつ造の実行者であるキム・ウォンハ氏の役割も終盤になって一役買いました。 彼は証拠ねつ造を世の中に告白し、モーテルで自殺未遂を起こし世の中を驚かせました。 その後、彼は監獄に監禁され、懲役2年(私文書偽造)を宣告されました。 今日、皆さんにこの事件を改めて説明する理由は、そのキム・ウォンハ氏が今月11日に刑期を満了し出所し、中国に追放されたことをお知らせするためです。 キム氏は出国直前に私にしたい話があると手紙を送ってきました。 15日、清州(チョンジュ)の外国人保護所で彼に会いました。
「記者さん、私がもう一度事件の転末を明らかにすれば、国政調査や特検のようなものを引き出せますか? もしそうなら、私は外国人保護所に今後も閉じ込められることになっても中国に行かずに真実を明らかにしたいと思います」。キム・ウォンハ氏は真剣に尋ねました。 私は冷静に助言しました。 そのような可能性はないように見えると。 特検や国政調査は国会で与野党が合意しなければできませんが、そのような可能性は低いと言わざるをえません。
キム・ウォンハ氏は捜査を担当した検事たち(イ・イクソン、イ・シウォンなど)がいかなる処罰も受けなかったという事実に今も憤慨していました。 当時「ソウル中央地検証拠ねつ造疑惑関連真相調査チーム」は、告発(私文書偽造など)されたイ・イクソン、イ・シウォン両検事の携帯電話も調べずに不起訴処分にし、最高検察庁監察チームは国家情報院の証拠ねつ造の事実を知らなかったという検事らの陳述を受け入れ、停職1カ月(職務怠慢)の措置だけを下しました。
キム・ウォンハ氏は16枚の肉筆の手紙を新たに手渡しました。 手紙には自身がいつどのようにして国家情報院の職員に会い、どんな指示を受け、その過程で検事たちは何をしたかが詳しく書かれていました。 注目すべき点は、既に明らかになっているように証拠ねつ造書類が8件(出入境記録など)ではなく、15件(出入国記録の他に瀋陽駐在韓国領事館確認書など)という説明でした。 「これほど多くの書類を偽造して法廷に提出しているのに、検事が分からなかったというのでしょうか。 韓国社会はそれを信じますか?」。キム・ウォンハ氏は抗弁しました。
証拠のねつ造を依頼した国家情報院の職員が、検事がさせたことだとして自身に依頼したというのが彼の主張です。 しかし、これは国家情報院の職員がキム氏に言った話であり、それを一緒に聞いた第三者がいるわけでもありません。 証拠のねつ造はすでに事実であることが明らかになったので、偽造された書類が8件か15件かは、世の中を驚かせるほどの新証言にはならないという判断です。
「私は過ちを犯しはしたが、その証拠をなぜねつ造したか、天は知っているはずなので監獄で聖書を読みながら耐えました」。キム氏は自身の希望が消えると大きく失望した表情でした。 イ・イクソン(現全州地検部長検事)、イ・シウォン(現法務研修院企画課課長)検事はどう思うでしょうか。
キム・ウォンハ氏の希望はもう一つありました。 彼は大韓民国の国籍を回復したいのです。 事実、彼は朝鮮族(中国国籍)ではなく1965年に北朝鮮を脱出した北朝鮮離脱住民だと言います。 キム氏の母親の故郷は慶尚南道の密陽(ミリャン)です。 1965年は韓中修交以前であるため韓国に来ることができず、中国に留まり朝鮮族のように暮らしていたというのがキム氏の説明です。 キム氏は昨年12月、法務部に大韓民国籍判定申請をしています。 キム・ウォンハ氏は国家情報院の職員が「国家情報院に協力すれば愛国者特別帰化で国籍回復を助けてやると言うので証拠ねつ造をした」と主張しています。 キム・ウォンハ氏は、自身の良心宣言により大韓民国政府を不快にさせたために国籍回復を拒否されるのではないかと心配しています。
キム・ウォンハ氏は18日に中国に追放されました。 すぐに中国当局の追加調査を受けなければならないといいます。 もしかしたら中国で追加処罰を受けることも考えられます。 ソウル市の公務員だったユ・ウソン氏は無罪判決を受けたものの、その後どこにも就職できず工事現場で肉体労働をしながら生計を立てています。 ソウル市公務員スパイ証拠ねつ造事件は、果たして韓国社会に何を残したのでしょうか。