「没収ではなく凍結」措置に一縷の希望
南北の選択次第で反転の余地もある
南北関係が破局に向かって突き進んでいる。 朴槿恵(パククネ)政権が北朝鮮の4回目の核実験とロケット発射に対応し、国際社会の対北朝鮮制裁を牽引するとして開城(ケソン)工業団地の稼働全面中断措置を取ると、北側は南側人材の追放と工業団地の南側資産凍結、工業団地閉鎖措置で正面から対応してきた。 南北当局の出口なき力較べの渦中で、南北関係の最後の砦である開城工業団地の息の根が完全に切られる状況だ。
北側の祖国平和統一委員会が発表した「重大措置」は、開城工業団地に限定されない。 北側は南北間の軍通信線と板門店連絡窓口も閉鎖すると明らかにした。 交流協力どころか南北間の非常連絡窓口まで閉ざされたわけだ。
開城工業団地は2004年12月15日の試験稼動以来、2008年12月1日の北側の「12・1措置」で翌年9月1日まで運営に支障が起きたことがあり、北側の3回目の核実験の直後の2013年4月8日には北側の労働者撤収措置と南側の稼動中断方針が対抗し、165日間にわたり運営が中断された。 だが、その渦中でも北側は南側人材を全員追放したり工業団地を閉鎖はしなかった。 北側は2013年2月、内閣機関である民族経済協力委員会が乗り出し「開城工業団地に少しでも触れるならば軍事地域に作り直す」と言ったが、見えすいた脅しに過ぎず実行することはなかった。 今回は状況が以前とは完全に違っている。
南北関係史で今回の事態に比肩される事例は、金剛山(クムガンサン)観光事業しかない。 北側は2008年7月11日の金剛山観光客パク・ワンジャ氏狙撃死亡事件以後、観光中断事態が長期化すると金正日(キムジョンイル)国防委員長のヒョン・ジョンウン現代グループ会長面談(2009年8月17日)、「観光再開のための実務接触」提案(2010年1月14日)などを繰り返し「和解の手」を差し出した。 そんな中で2010年3月26日に天安(チョナン)艦沈没事件直後の李明博(イミョンバク)政権の5・24対北朝鮮制裁措置を前後して、南側資産凍結・没収、南側人材順次追放などの措置を取り、2011年8月23日に南側人材を全員追放した。 現在、金剛山観光地区の南側資産は、政府・公企業の資産は没収、現代峨山(アサン)など民間企業の資産は凍結状態にある。
金剛山観光中断事態の展開過程は、今回の事態の深刻性と共に、将来を推測する比較基準を提供する。 金剛山観光中断事態では、南側の観光中断措置から北側の南側人材全員追放まで3年1カ月と12日かかった。 開城工業団地は南側の全面中断通知の翌日に北側が全員追放で正面から対抗した。 金剛山観光の中断が北側の過ちのせいであることに加え全面的に南北間の懸案であるのに対し、今回の事態は北側の自衛権・主権的行為(核実験・ロケット発射)の主張と、南側の国際社会の対北朝鮮制裁を先導しようとする「骨を削る決断」(開城工業団地全面中断)の主張が平行線を描いている。 解決の糸口を見つけることは今回の方がはるかに難しい。
希望の糸口が全くないわけではない。 北側が開城工業団地の南側資産に対して“没収”ではなく“凍結”措置を取った点に注目する必要がある。 一応「情勢の影響を受けず工業団地の正常運営を保障する」という2013年の8・14南北合意を破棄した主体が南側当局であることを主張し、求償権を行使しようとする性格の措置とみられる。 一方で“没収”ではなく“仮差押さえ”であるので、交渉の糸口にはなりうる。 南北当局の選択によっては反転の踏み石にできる余地を排除する必要はない。
しかし、南北当局が力較べを続け開城工業団地が永久閉鎖されるなら、そこへ北側の人民軍部隊が再び入る可能性が高い。 朝鮮戦争当時に北側人民軍の主たる攻撃路であった西部戦線の「平和的緩衝地帯」がなくなるわけだ。 世界3大信用評価機関であるムーディーズは「韓国は地政学的位置が国家信用等級に影響を及ぼす3カ国(韓国、台湾、イスラエル)の一つで、北朝鮮の脅威を除去することはできなくとも統制はできなければならない」と指摘している。 開城工業団地の永久閉鎖は韓国にとって安保危機はもちろん経済危機までもたらしかねない複合リスクだ。