日本政府の「法的責任」を否定して、「慰安婦」の多様な姿を強調し、日本軍と慰安婦たちが「同志的関係」だったと著書「帝国の慰安婦」で宣言した「朴裕河<パクユハ>事態」以降、韓国社会は二つに割れている。これに加え、韓日政府が慰安婦問題に関する12・28合意を発表したことで、議論は朴槿恵(パククネ)大統領に対する政治的賛否に広がっている。私たちが日本に法的責任を求めることができる理由は何なのか、両国の様々な研究成果から分かりやすく紹介してみる。
日本軍「慰安婦」問題に対する韓日政府当局間の12・28合意以後、この問題をめぐる韓国社会の亀裂は、以前よりも深く、鋭いものになったようだ。朴槿恵大統領は13日、年頭記者会見で、昨年の12・28合意について、政府が「最大限の誠意を持って最高のものに導く合意になるように努めた」と抗弁したが、被害者ハルモニ(お婆さん)と韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などの運動団体は、今回の合意の白紙化を求め「韓日日本軍『慰安婦』合意の無効と正しい解決のための全国行動」を発足させた。ソウル中学洞の駐韓日本大使館前の「平和の碑」(少女像)周辺では少女像を守ろうとする若い学生たちと、彼らに対抗する「大韓民国父母連合」などの保守団体が激しい舌戦を繰り広げているが、挺対協と学生たちを政権の脅威と見なす警察は、彼らに無理やり出頭要求書を送り付けている。
■「簡単」で「中立的な」言葉の提示に失敗
このような極度の混乱の最中、衆議院議員を6期務めた自民党重鎮の桜田義孝・元文部科学副長官(66)は今月13日、「慰安婦は売春婦だった」という“妄言”を行っており、安倍晋三首相は18日、参院予算委員会で「今まで政府が発見した資料には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見られなかった。この立場に何ら変更はない」と述べた。韓国社会が慰安婦問題への理解をめぐり鋭い対立を続ける間、日本の公職者たちが相次いで口にした納得しがたい発言が紹介されたことで、韓国社会が一種の“集団パニック”に陥ったではないかとさえ思える。
このような混乱の最大の原因は、植民地時代の朝鮮で慰安婦がどのように募集されたのか、さらには、この問題が日本政府に本当に「法的責任」を問うことができる戦争犯罪なのかについて、韓国の学界とマスコミが「簡単で中立的な」言葉で説明するのに失敗したことにあると思われる。小説家のチャン・ジョンイル氏が今月15日付のハンギョレのコラムで、これまでハンギョレが報道したいくつかの記事とコラムを批判しながら、「事実を確認しようとする努力と、その結果で得られた確かな意見の表明がなければ、政論紙になれない」と主張したのも、このような混乱と不信の一断面として受け止めることができる。
朝鮮で慰安婦の動員は、どのように行われたのだろう。残念ながら、これを明確に示す朝鮮総督府(日本政府)の公文書はまだ見つかっていない。そのため、朝鮮で行われた慰安婦動員の研究は、新聞や雑誌などの2次資料か慰安婦被害者の証言、外国の資料に含まれている関連記述に頼らざるを得ない。
日本の「内地」(日本植民地時代に日本本土は「内地」、朝鮮などの植民地は「外地」と呼ばれた)で行われた慰安婦動員の様子が垣間見られる資料は、いくらか残っている。このうち、学界で最も注目されるのは、1996年、日本警察大学で発見された過去の内務省警保局資料だ。この資料を通じて、日中戦争勃発の初期的な1938年の日本陸軍がどのような手続きを通じて慰安婦の女性を補充していったのか、概要が確認できる。
文書で確認されているのは、中国戦線で慰安所を作り、慰安婦を徴収した「主体」は、日本陸軍という揺るぎない事実だ。当時、上海にいた日本総領事館警察署長は、長崎県の水上警察署長に「前線陸軍慰安所ニ於テ稼業スル酌婦」の募集と、彼らが上海まで渡航できるように協力を求める公文書、「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日)を送る。これによると、当時の「中支那(中国中部)方面軍」が「将兵ノ慰安方ニ付、前線各地に軍慰安所を設置スルコトトナレリ」とし、これに、在上海陸軍武管室、憲兵隊、日本総領事館のとの間で任務分担が決まっていた事実と、また軍の指示を受けて、「稼業婦女(酌婦)」を募集するために、日本内地と朝鮮に要員が派遣されたという事実を伝えている。そのために、日本と朝鮮に派遣されたこれらの上海総領事館が発行した身分証明書と「臨時酌婦営業許可願」「承諾書」などの行政作業に必要な書式などを揃え、売春業者など「業者」に、「皇軍慰安所作酌婦3000人の募集」への協力を要請することになる。
日本各地を飛び回る業者たちの活動はすぐに日本の警察当局に捉えられる。警察は、「今回支那事変ニ出征シタル将兵慰安トシテ在上海軍特務機関ノ依頼ナリト称シ」、神戸の売春業者が「約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナツタ」(「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件(群馬県知事)」より)、「酌婦ハ年齢16歳ヨリ30歳迄前借ハ500円ヨリ1000円迄稼業年限2ヶ年之カ紹介手数料ハ前借金ノ1割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ」という内容を宣伝している事実を把握し、これを内務省に報告する(「北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件(山形県知事)」より)。日本軍部が主体となって前借金を餌に女性を2年間の売春に従事させる、典型的な「人身売買」を実施したわけだ。
軍が直接このような「人身売買」を主導したのは、当時日本の警察にも非常に衝撃的なこととして受け止められていたようだ。山形県、群馬県、茨城県、高知県などの各県の警察は、日本内務大臣に「軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス」、「一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スル」、「銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス」、「公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スル」と報告している。実際、和歌山県警察は、このような業者が婦女をおびき出して誘拐しようとするのではないかと、不審を持って任意同行を求め捜査に突入した。しかし、彼らの背後に本当に軍がいることが確認されると、彼らを直ちに釈放するに至る。永井和京都大学教授は、昨年9月に『世界』に掲載された論文「慰安婦問題―破綻した『日本軍無実論』」で「この募集が軍の依頼によるという事実が証明された時点で、犯罪の容疑が色濃かった行為が犯罪でなくなった」と指摘している。
警察の相次ぐ反対意見に、内務省は困惑した。内務省は、中国戦線での戦争を遂行すべき軍の要請と警察の反対を、両方満足させられる折衷案を見つけた。その文書が1938年1月23日に出された内務省警報局長の通牒「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」だ。これによると、内務省は「現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者」だけに、海外に渡航できる身分証明書を発行し、この場合にも、親権者の同意を得て女性本人が直接警察署に出頭しなければならないという厳しい制限を設けた。
安倍首相、韓日合意してからも
「強制連行を直接示す記述見られない」
すべての証言、資料は一定の方向を指す
日本軍の指揮の下、日本と朝鮮で
詐欺、いかさまで強制連行したということ
日本で募集業者の活動摘発した
警察「皇軍の威信失墜」報告
朝鮮人慰安婦のうち、未成年者が
半分以上だったという米軍資料も発見
婦女売買条約の適用から挑戦を除外
■朴裕河教授の主張が空しい理由
植民地朝鮮でも内地の日本と同様の方法で慰安婦募集が行われたと推定され。しかし、非常に興味深い違いがある。朝鮮には日本内地と違って内務省警保局長の通牒が伝わらなかったものと見られるからだ。
この違いについて和田春樹・東京大学名誉教授は、昨年5月に出版した著書『慰安婦問題の解決のために:アジア女性基金の経験から』で「朝鮮、台湾でも女性の募集に向けた要請が行われた。内地のように総督府、都知事、末端の警察などの協力が要請されなかったはずがない。(ところが)植民地の警察が、日本からの警察や東北地方の当局のように(軍が主導する慰安婦女性の募集に)反発したかは疑わしい。総督府は東京の内務省より中国現地軍の要求に応えようとする態度を見せた可能性が高い」と指摘した。通牒は、基本的に、行政当局内部に意見の相違がある際、これを調整するために作られるものだ。植民地朝鮮の警察は内地の警察とは異なり、自分らの娘でもない幼い女性を保護しようとする観念が不足していただろうとする指摘である。
もう一つの理由は、日本政府が、当時自国が登録した国際条約である「婦女売買に関する国際条約」を、植民地である朝鮮と台湾のには適用されないように、「留保」したからだ。金富子・東京外国語大学教授はこれについて、「日本軍は、このような国際法のすき間を通じて、日本では国際法の縛りにより徴集できない、未成年で、売春業に従事したことがなく、性病がない女性を植民地である朝鮮や台湾で大量に募集して慰安婦にした」と指摘している。日本と植民地である朝鮮との差別はこのように明らかだったため、朴裕河世宗大学教授がハルモニたちと日本軍が「同志的関係」だったと主張する「帝国の慰安婦」の論理は空しいものと言わざるを得ない。
それでは、朝鮮人女性は、具体的にどのような方法で動員されたのだろうか。これを確認するためには、被害ハルモニたちの証言に耳を傾けるしかない。アニメ『少女の話』で有名なチョン・ソウンさん(1924〜2004)は、「里長が来て、日本に千人針を作る工場に行って、1〜2年だけ苦労すると、(連れて行かれた)父が帰って来る」という証言を残している。女性の動員に植民地末端組織が積極的な役割を果たしたことを示す証言だ。
道を歩く処女の髪の毛を引っ張って拉致していく「人間狩り」のような強制連行があったことを示す証言もある。一例として、カン・スンジャさん(仮名、1922年生まれ)は17歳の時、大聖堂に水くみに行って「刀を差し帽子被った」日本の軍人と思われる人に、就職させてあげるといわれて、強制的にトラックに乗せられたという証言を残している。結局、朝鮮での慰安婦動員は、日本とは異なり、売春の経験がない未成年者が多く、その手法も、当時の日本の刑法でも犯罪になり得る「就職詐欺」がほとんどだった。一部の被害者たちの証言が事実だとすると、場合によっては「拉致」に当たる強制連行もあったものと見られる。日本政府や朴裕河教授などは、就業詐欺の主体は業者という理由で日本に法的責任がないとの見解を示しているが、業者の動員が、日本政府の徹底した保護と管理の下で行われたものであることを考えると、これまた空しい主張と批判せざるを得ない。
朝鮮人慰安婦のほとんどが売春経験のない未成年者(少女)だったことを証明する客観的なデータがある。1944年8月10日ビルマ(現在のミャンマー)ミッチーナ陥落後の掃討作戦で逮捕された朝鮮人慰安婦20人に対する「米国戦時情報局心理作戦班」の「日本人捕虜尋問報告」という文書が残っているからだ。これによると、「これらの女性の中には、『地上で最も古い職業』に以前からかかわっていた者も若干いたが、ほとんどは売春について無知、教育も受けていなかった」と、捕虜としてとらわれた女性の「ほとんど」が売春経験のない人であることを明らかにしている。文書には、彼らの年齢も示されているが、動員時点である1942年8月を基準に年齢を換算すると、平均年齢が21.1歳とされる。この20人のうち、未成年者は半分以上の12人だ。
■京城陸軍司令部に募集依頼
最後に紹介する資料は、2012年6月落星垈経済研究所が京畿道坡州(パジュ)の私設博物館の「タイムカプセル」で発見した『日本軍慰安所管理人の日記』だ。これによると、当時の日本の南方軍総司令部が1942年2月5日、日本軍が占領したビルマの慰安サービスのため、京城の陸軍司令部(朝鮮軍司令部)に依頼して703人の女性を動員したことが確認されている。彼らは「第4次慰問団」という名で1942年7月10日、釜山(プサン)を出発することになる。第4次慰問団の存在が確認されたからには、その前には第1、2、3次慰問団もあったと思われ、第5、6、7次慰問団もあったかもしれない。このデータを分析した「実証主義者」であるソウル大学のアン・ビョンジク名誉教授は、慰安婦制度について、次のような結論を下している。
「旧日本軍が組織した慰問団の存在は、慰安婦が単に慰安所業者の営業手段として個別に募集されたものではなく、日本軍部によって計画的に動員されたという事実を意味する。このような観点からすると、昔の日本の軍部が慰安婦問題について『関与』をしたという現日本政府の認識には問題があると思われる。日本軍部によって組織されたので、慰安所業者と慰安婦は軍属同様の待遇を受けた。(中略)(前線の)慰安所では、廃業(慰安婦をやめること)が困難であった。その理由は、軍編制の末端組織に編入され、軍部隊と共に移動するしかなかったからではないだろうか。このような境遇を『性的奴隷状態』と呼んでも構わないではなかろうか」(『日本軍慰安所管理人の日記』2013年)
次に紹介するのは永井和教授の最終的な結論である。
「軍から慰安婦経営を委託された民間業者や募集業者が詐欺・偽計によって女性を慰安所に連れて来て仕事をさせた。また、慰安所の管理者である軍は、これを処罰せず、事情を知っていながら、放置した場合、日本軍が強制連行をしていないと抗弁することはできない。そんな犯罪被害者である女性が、自分が日本軍によって強制連行されたと感じても、驚くべきことではない」(『世界』2015年9月号)
韓国語原文入力:2016-01-22 20:07