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仁川上陸作戦の傷癒えない月尾島で戦勝記念花火大会

登録:2015-09-14 23:48 修正:2015-09-15 07:01
月尾島の仁川上陸作戦=ハニTV//ハンギョレ新聞社

 1950年9月、仁川(インチョン)上陸作戦の過程で米軍の爆撃により月尾島(ウォルミド)住民数百人が死亡したり追い出され、未だ戻れずにいるのに、韓国海軍と仁川中区庁が戦勝記念祝祭を開き物議をかもしている。

 仁川環境運動連合、全教組仁川支部、民主社会のための弁護士協会仁川支部など34団体は、14日に共同声明を出して「残酷な戦争を楽しむ非常識な祭り」として「仁川上陸作戦月尾祝祭を直ちに中断せよ」と要求した。

 海軍と仁川中区は今年、仁川上陸作戦記念行事を初めて地域の祭りと合わせて開いたが、行事日程に花火ショーとロックコンサートが含まれたため問題になった。 「仁川上陸作戦月尾祝祭」は、戦勝記念行事として今月12日に始まり15日まで月尾島一帯と海軍仁川海域防御司令部で開かれている。

 これら団体は「仁川上陸作戦は6・25韓国動乱(朝鮮戦争)の戦況を逆転させた連合軍の作戦ではある」としつつも「作戦成功の陰には仁川市民の多くの犠牲があった事実を省察しなければならない」と強調した。

 2007年の過去事整理委員会の調査結果によれば、1950年9月10日米海兵隊航空団第15空母戦団戦闘爆撃機が月尾島に95発のナパーム弾を投下し、月尾島住民100人余りが亡くなった。 5日後の仁川上陸作戦のために北朝鮮軍400人が駐留していた月尾島を掌握するための作戦だったが、民間人と北朝鮮軍を区分しない無差別爆撃であったと評価された。

 また、月尾島から追い出された当時の住民は65年が過ぎた今もなお戻れずにいて、毎年9月に当時亡くなった家族の慰霊祭を合同で行っている。

 これらの団体は「今年、記念行事が初めて月尾観光特区文化祝祭と合わせて開かれた背景には、キム・ホンソプ中区庁長の無分別な金儲け観光開発政策と没歴史的な展示行政がある」と主張した。

キム・ヨンファン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/708765.html 韓国語原文入力:2015-09-14 17:19
訳J.S(916字)

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