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6・25 発掘現場の子供用ゴム靴 子供も避けられなかった‘虐殺の傷痕’

原文入力:2010-06-24午後10:29:23(1116字)
仏甲山 遺骸発掘過程で
ビー玉など子供の物が出てきた

ソン・ジュンヒョン記者

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黒いゴム靴。40~50代には幼時をはるかに思い出させる追憶の素材だ。メダカを捕まえる網となったり、砂場ではブルンブルン~トラックに変身し、ビー玉やメンコを入れる器でもあった。韓国でゴム靴が生産され始めた1920年代以降、1980年代初期まで黒いゴム靴はいつも故郷と幼年の記憶に誘う‘タイムマシン’だった。

だが、記憶することさえぞっとする黒いゴム靴もある。25日で60周年をむかえた韓国戦争の時に犠牲になった民間人遺骸発掘現場から出た子供用ゴム靴(写真)がそうだ。永い歳月に腐ってよじれたゴム靴には、幼い子供も避けることが出来なかった‘虐殺の傷痕’が深く抉られている。

1951年2月20日、国軍11師団2大隊は全南、咸平郡、仏甲山で‘共産軍’を討伐するという理由で咸平・長城・霊光地域の避難民たちをパルチザンやその同調者に追い立て集団射殺した。‘真実・和解のための過去史整理委員会’は2008年12月‘咸平、仏甲山民間人集団犠牲事件’当時、多くの民間人が無残に射殺されたという真実糾明決定を下し、昨年 咸平郡海保面一帯で160余具の遺骸を収拾した。発掘過程で黒いゴム靴とビー玉、鉛筆などが出てきた。ゴム靴の主人は5,6才にもなっていただろうか。友達とビー玉をしていて連行されたのだろうか、あるいは唾をつけた鉛筆で、足し算引き算の問題を解いていた時だったのだろうか。大人用ゴム靴の半分にもならない大きさの黒いゴム靴は発掘者たちの胸を抉った。

1951年全南、羅州郡では11才だったヤン・ヘジュン(71)氏が3才上の兄を失った。ヤン氏は「警察が畑で住民たちを集めて機関銃を撃った。銃に撃たれ倒れた兄にゴム靴で水を汲んで飲ませたが亡くなった」として過去の記憶に身震いした。

軍警だけでなく左翼によって犠牲になった子供たちも多かった。同じ年、全南、和順郡、北面院里でチャン・ジャンアム氏一家9人がパルチザンに連れて行かれ命を失った。その日に1才の誕生日をむかえた孫は誕生日がそのまま死亡日になり、生後4ヶ月と9才の孫2人も犠牲になった。

ソン・ジュンヒョン先任記者 dust@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/427394.html 訳J.S