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[インタビュー]慰安婦被害者記念造形物「暴力の痕跡」、15年かけ韓国に

登録:2015-08-13 23:35 修正:2015-08-14 09:19
チェ・イムジャ氏とジョナサン・シーソン氏
ジョナサン・シーソン氏(左)とチェ・イムジャ氏 =キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

日本の妨害と韓国の無関心のため国連本部で展示できず

 「光復70周年を迎えても謝罪の一言も受けられずにいる日本軍慰安婦被害者たちの運命同様、この作品も15年が過ぎて数奇な受難を経験しました」

 アジア地域の慰安婦被害生存者53人の“手”を彫刻した造形作品「暴力の痕跡」を持って故国を訪問した在米同胞のチェ・イムジャ氏(63)と、この作品のプランナーであるジョナサン・シーソン氏(64)は12日、言いたいことが非常に多そうだった。

 スイス出身で国連国際和解調節機構(IFOR)に務めていたシーソン氏は、1993年から第2次世界大戦中にアジアで行った日本の対人類犯罪調査作業を進めた。 日本軍慰安婦問題の深刻性を確認したシーソン氏は、98年に英国の美術家アンドリュー・ワード氏とともに韓国をはじめフィリピン、台湾を訪れ慰安婦被害者53人に直接会ってインタビューした。 「私たちが特に“手”に注目した理由は、慰安婦被害者の手に苦痛な過去がそっくり刻まれていたためです」

「暴力の痕跡」は13日から慶南道立美術館で公開される//ハンギョレ新聞社

 二人は写真を撮ることを嫌がる被害女性たちを説得し、握りしめた拳を開いてもらい画仙紙の上に木炭で描いた後、拇印を押して日付を入れて肉声録音までした。ワード氏はこの絵一枚一枚を透明なアクリル板で挟み、照明を入れて屏風のように立てた造形物二つを製作し「暴力の痕跡」と名付けた。

 だが、当初は国連本部に設置しようと思った二人の意図は、今日まで実現できなかった。 国際機構に莫大な財政支援をしている日本の見えざる妨害工作のためと彼は考えている。「国連本部で展示をするには、加盟国の後援が必須条件です。日本政府が反対すれば米国など周辺国は顔色を伺うだけで、本来の当事国である韓国や中国政府までが関心を示しませんでした」。シーソン氏は「本当に理解に苦しむ現象」と批判した。

 その代わり作品は99年5月にオランダのハーグを皮切りに、フィリピン、マニラ、南アフリカ共和国のケープタウン、台湾の台北などを巡回展示して日本軍の蛮行を知らせた。 チェ氏とこの作品の縁は2003年に結ばれた。当時、フィラデルフィアで非営利団体の国際女性開発院を運営していた彼女は、市立中央図書館で2カ月間にわたり米国内で初めて展示を主管した。

 「95年に北京で初めて開かれた世界女性大会に参加して、そこで慰安婦問題を知って衝撃を受けました。挺身隊対策協(韓国挺身隊問題対策協議会)を通じて慰安婦被害者二人を招請するなど、計8回かけて米国市民社会に歴史の真実を知らせる活動をしてきました」

 その後、2004年に作品はペンシルバニアで中国系アメリカ人が南京虐殺などを知らせるために私費をはたいて作ったアジアン・ホロコースト博物館に委託展示した。 だが、2006年に博物館が財政難で閉鎖されたため再びチェ氏が運営中の汎アジア老人福祉院に戻ってきた。 「当然展示する空間がなく、最近まで9年間、解体して倉庫に保管しておかなければなりませんでした。いつも慰安婦被害たちに申し訳ないと感じていました」。そうするうちに今年1月、コネチカット州ニューヘイブンで開かれた国際老人学カンファレンスで会った慶南道立居昌大のキム・ジョンギ総長の斡旋で、作品はついに慶南道立美術館に居場所を得ることになった。チェ氏は「韓国で永久展示空間が見つかり本当に良かった」と安堵した。

 シーソン氏は「慰安婦被害者が全員亡くなったとしても、慰安婦問題は決してなくなりはしない」とし、「人権には国籍がないので、韓国・日本はもちろん国際的な連帯活動により二度と再発しないよう解決方法を見つけなければならない」と強調した。

 「暴力の痕跡」は13日から慶南道立美術館で公開される。

キム・ギョンエ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/704348.html 韓国語原文入力:2015-08-13 18:44
訳J.S(1751字)

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