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[インタビュー]「サハリン同胞の境遇は『歴史の中のセウォル号』と呼ぶに値します」

登録:2015-05-22 01:41 修正:2015-05-22 05:47
テレビ広告初出演の作家・趙廷来氏
『太白山脈』の趙廷来氏 //ハンギョレ新聞社

 「どうしてこのような広告を無視できますか。 提案が来てすぐに受諾しました」。『太白山脈』を書いた作家、趙廷来(チョ・ジョンネ)氏(72、写真)が初めてテレビ広告のモデルとして“才能寄付”することになった過程は簡単明瞭だった。 多くの企業から数億の広告料を出すと言われも一切見向きしなかった彼だ。 その上、今は教育問題に関連した長編小説の執筆に余念がない。 ところが今月8日、原稿用紙を脇に片付けて、広告撮影のために釜山・慶尚南道の地域放送KNNの撮影チームを京畿道・城南(ソンナム)の自宅に迎え入れた。執筆中には他の活動を一切しないことで有名な趙廷来氏が、一体何の広告のためにこれほど容易に心を開いたのだろうか。

 趙廷来氏が出演することにした広告は、光復70年を迎えて進められている「サハリン韓人歴史記念館」建設募金広告だ。 歴史記念館の建設は「釜山我が民族相互助け合い運動(常任代表 ムウォン僧侶)が中心になって、忘れられていたサハリン強制徴用者とその子孫を再び記憶するために行なっている事業だ。広告は5月18日から8月中旬まで、 KNNを通して電波に乗る。

「サハリン歴史記念館」建設募金のために
KNN放送の広告モデルとして“才能寄付”

20余年前のサハリン訪問の記憶が忘れられず
同胞を思い胸が痛んでNGも

国家が同胞を忘却どころか見捨てたも同然
民間募金が「政府の関心」の誘い水になることを願う

 負担感のためだろうか。 作家は「NGなしに一回で撮影を終えよう」と何回も強調したが、結局NGを出した。

 「祖国に忘れられ、歴史に押さえ付けられ、それでもその子孫たちは民族の魂を抱いています。サハリン韓人に… 」と言いかけて、作家はカメラの前でしばらく沈黙した。 もしかしたらサハリン同胞の境遇が思い浮かんで、彼の心が一瞬波立ったのかも知れない。

 「その方々を思う度に本当に胸が痛みます」。

 作家は小説『アリラン』の取材のために 1990年代にサハリンを訪問した時に感じた胸の痛みを今も忘れることができない。 当時、作家は彼らが連れて行かれた港や、労務者として働いた炭鉱などを見て回り、生活した村々にも訪れた。

 「徴用で強制連行された人たちが作った村の名前には『育成村』というのもありました。 独立運動家を育成するという思いを込めた名前でした」。 彼らは徴用の苦痛の中でもそのようにして「我が民族の独立」を常に夢見ていたのだ。 作家は当時その現場を見て回りながら、「日帝時代に我が民族の一員ならば誰かが遭わざるを得なかった事を代わりに負った彼らの苦痛はどんなに大きかっただろうか」と思い胸を痛めた。 そして「この苦痛を共に感じることができなければ同胞とは言えない」と思った。 彼は 「作家の役割とは果して何か」と何度も自問しながら、アリランの相当部分をサハリン強制徴用の話に割いた。

 だからアリランは小説でありながら、同時に同胞を忘れないことを願う作家のそんな思いを込めた文でもある。 しかし作家のそんな願いを受け入れて実践した政府は今までなかった。

 「国家の名前があるだけで、国家ではありません。 責任を負うべきことに本当に責任を負おうとする政権はありませんでした。 サハリン同胞に対する韓国政府の態度は忘却以上のものです。ただ見捨ててしまったのです」

 それは、今の政府がセウォル号に閉じこめられた生徒たちを見捨てたのとまったく同じことだったと彼は指摘する。 そんな点でサハリン同胞の境遇は、「歴史の中のセウォル号」と呼ぶに値するというのが彼の考えだ。 しかしこれからは変わらなければならない。

 「一番重要なことは、ロシア政府が彼らを尊重するように私たちが行動しなければならないということです」

 彼は、そうなるためには一回きりの関心ではなく持続的な関心を示すことが重要だと強調した。 実際「サハリン韓人歴史記念館」は、そうした持続的な関心があって初めて建設だけでなく建設後の運営が可能な空間だ。

 「韓人歴史記念館が生きた歴史教育の空間となることを願っています。強制徴用者の子孫であるサハリン同胞と祖国の後裔とが出会う場所になって欲しいと思います。 例えば、その二人が一緒に同一の台本で別々に練習をして一緒に公演するといった素敵な姿も夢見ることができるでしょう」

 記念館建設事業を推進する「釜山我が民族相互助け合い運動」のリ・インス事務総長は、昨年12月に常任代表のムウォン僧侶(釜山・三光寺の住職)と共にサハリンを訪問してから、事業推進が本格化されたと説明する。 ムウォン僧侶たちはサハリンの同胞団体とともに「サハリン韓人歴史記念事業会」を立ち上げた。 本部を釜山に、支部をサハリンに置くことにした。 本部を釜山に置いたのは、サハリン強制徴用者の70%が釜山・慶尚南道の出身者であるという事情も作用した。 しかし、だからと言って募金運動を釜山・慶尚南道地域だけに局限するわけではない。 記念事業会は今年4月14日、外交部傘下の法人として登録した。

 記念事業会は総事業費300億ウォンのうち30億ウォンを募金を通して調逹する計画だ。 このように民間が先に立って動けば、政府も呼応して乗り出すだろうというのが事業会の考えだ。 民間の募金事業が、政府が意味ある事をするように“誘い水の役割”をしてくれることを期待するというわけだ。 記念事業会は今年活発な活動を行ない、来年には必ず記念館建設に着工すると明らかにした。

 趙廷来氏が再びカメラの前に立った。「…サハリンの韓人に私たちの歴史を知らせ、同胞愛を伝える事業に、皆さんの関心と声援を期待します」。 サハリン同胞に対して自分の熱い思いも伝えようとするかのように、作家の表情は穏やかながらも真剣であった。 そして今度は“OK”が出た。

文・写真 キム・ボグン ハンギョレ平和研究所長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

後援口座 釜山銀行442-6320-0(預金者 釜山我が民族相互助け合い運動)

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/691580.html 韓国語原文入力 :2015-05-17 19:31
訳A.K(2659字)

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