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[寄稿]韓国軍のベトナム派兵

登録:2015-05-02 10:51 修正:2015-05-03 07:02
韓国社会の“メルケル精神”に誇りを持とう
ベトナム ビンディン省タイビン村で開かれたビンアン事件犠牲者49周年慰霊祭=ベトナムの社会的企業アマプ提供//ハンギョレ新聞社

 1975年4月30日戦争は終わった。 40年が過ぎたホーチミン市とビンディン省のクイニョン市を訪問した。国際市場の一場面のように韓進商社が役務をしていた所で、猛虎師団が上陸した場所だった。 それから50年余が過ぎたが、戦争は続いていた。 世界史のみならず韓国とベトナムでも。

 ベトナムは新しい時代に進むために戦っていた。 過去を忘れ未来に進もうと言った。 ホーチミン国立大学の韓国学科は、学科から学部に昇格した。 ベトナムに進出したサムスンの現地法人は、2014年にベトナムの全輸出の17%を占め、2015年1月現在で毎週2400人を新規雇用している。 ベトナムは米国との修交後、経済関係を越えて軍事的分野に関係を拡大しようとしている。

 表面だけを見れば、戦争が終わって忘れられたように見えるが、民間人虐殺事件が起きたところでは毎年慰霊祭が開かれる。 家ごとに家族単位で“タイハン法事”を行う。 韓国軍により死んだのでタイハン法事という。

終戦から40年、ホーチミンとビンディン省を行く

 2015年2月26日、ビンディン省タイソン県タイビン村で開かれたビンアン事件犠牲者49周年慰霊祭には、村のすべての人々が集まった。 タイビンの元の名前はビンアン(平安という意味)だったが、戦争が終わって帰ってきた人々は村の名前をタイビン(西側の栄光)に変えた。 虐殺事件以後、平安な村という名前は続けられなかった。慰霊祭には数百人の小学生も参加した。 あふれる太陽の光の下で辛そうに見えた。 どれほど荷が重くとも、村の人々は慰霊祭を忘れることはないだろう。 1004人が亡くなったビンアン事件を復元したビンディン省博物館の館長は、長い時間が流れたがそれでも過去を忘れることはできないと話した。 事件から50年余が経過し、韓国の市民団体が被害者を支援し慰霊祭に参加して10年の差月が流れた。 韓国の市民団体が送った弔花は壇上には置かれるが、まだ公式には認められていなかった。

 韓国でもベトナム戦争は終わっていない。 2000年に週刊ハンギョレ21がベトナム戦争での民間人虐殺事件を報道した時、ハンギョレ新聞社は参戦軍人らの攻撃を受けた。 2001年のベトナム戦争に関する学術大会は修羅場と化して、結局開かれなかった。 2010年、韓国教育部は一部の近現代史教科書のベトナム戦争関連記述に対して修正を要求した。 2013年、朴槿恵(パク・クネ)大統領がハノイのホーチミン廟を訪問した時、インターネットには「どうして敵の首長の墓に参拝するのか」というコメントが上がった。 2014年には検定教科書の一つに民間人虐殺問題が記述されたという理由で、その教科書の代表筆者が勤める大学にある保守団体の会員たちが押しかけた。

 当事者間でも評価は異なる。 ある“従軍記者”の評価は非常に否定的だった。 「ベトナムの政府指導層や青年学生支持層には韓国軍がベトナムのために成し遂げた業績より韓国が韓国軍派兵により得た国家実利面がより強く認識されているのは厳然たる事実だ。 少なくとも駐ベトナム韓国軍は、ベトナム人にとっては感謝すべきタイハンではなかったし、また今後もそうはならないだろう。 (中略)韓国軍の場合、ベトナム政府指導層にも感謝すべきタイハンにならなかった責任の一部は韓国政府にもあるということを否めない。韓国軍派兵が友邦ベトナムを助けるためというよりも、韓国軍派兵により得られる国家実利の面を過剰宣伝したことは、どう見てもマイナスでありプラスにはならなかった」(パク・フンウォン特派員、東亜日報 1971年9月27日付)。

 イ・セホ第2代駐ベトナム韓国軍司令官は、ベトナムでの経験が韓国の安保に多いに役立っていると評価した。 「単独作戦権の確保により韓国軍はベトナム戦参戦以来31万2853人が実戦経験を積んだ。これは北朝鮮が今でも最も恐れている点だ。換言すれば、現代戦の最新戦術教理、最新戦闘装備能力の保有、外国軍との連合作戦能力保有、山岳戦、ゲリラ戦などの実戦経験を体得したことにより現役・予備役を通して大きく活躍し国防力の強化に大きな資産として残った」。 野戦小隊長の評価はまた違う。 「実際にはベトナム戦で習得したことは殆どないと考えます。莫大な物量支援の下で一方的な争いをしたが、これは戦争というよりは共産軍討伐のような気がして、もし韓国で北朝鮮と戦争が起きたと考えれば、ベトナム戦と同じ物量を期待したり、またベトコン討伐と同じ観念を持つならば、それは大きな誤算になるだろう」(白馬第28連隊第8中隊第1小隊長ジン○○ 1978年12月5日口述 『証言を通じて見たベトナム戦争と韓国軍1』44ページ)。 ベトナムの人々の間でも韓国軍に対する評価は違う。「韓国軍は米軍以上によく戦った。それで韓国軍とは交戦しないようにした」という証言がある一方で、「韓国軍は新しい方式で民間人を虐殺した。米軍には見られない方式だった」という激しい蔑視もある(ディン・ バー・ホア ビンディン省博物館長インタビュー、2015年2月27日)。

1975年4月30日、戦争は終わったが
ベトナム戦は続いていた
虐殺地域では慰霊祭が開かれ
韓国での評価は交錯したままで
参戦軍人たちの間でも葛藤が…
韓国には省察する市民社会がある
ベトナムが積極的に取り組まなくとも
真実を明らかにしようとする努力をする
日本の極右勢力と異なるこの点は
国家の品格を高めることになる
メルケルに、謝り過ぎではないか?と

 戦争で被害をこうむった人々の間でも葛藤は続いている。「いつだったか、報勲病院に治療を受けに行くと、(枯葉剤)後遺疑症だという人が、ベトナム参戦者全員を国家有功者にすれば公平性に反すると言い、何の恩恵も受けられない一般ベトナム参戦者たちは絶対に国家有功者にしてはならないと熱弁を振るっていた。兵科を尋ねると、物資運転兵をしていたと言うので、軍番号は何番かと言うと予備師団の軍番号だと言い、本人の軍番号3個と国家有功者証を示して、お前なんか戦友じゃない、光州(クァンジュ)事態当時に武器庫を壊して武器を持ち出し、軍人や警察に銃を撃った逆賊以下の奴だと言うので、思わずそいつの横っ面をひっぱたくとそいつが申告して…」(以下略)(www.vietnamwar.co.kr)。

 もちろん政府の補償政策のためだった。 国家が動員した軍人に対して最後まで責任を負わないのだ。 ベトナム戦争に対する政府の立場も明確でない。1992年韓国とベトナムが修交した以後、金泳三(キム・ヨンサム)政府から盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府に至るまで韓国軍の参戦により生じた不幸な事件について政府次元での謝罪があった。 しかし、韓国の保守社会は今もその不幸な事件を全く認めようとしない。 韓国政府は何について謝ったのだろうか?

 ベトナム戦争に関連した歴史戦は、韓国を中心に国際的にも現在進行形だ。 アメリカのある放送メディアが老斤里(ノグリ)事件を調査し暴露した時、米国のまた別の保守メディアは韓国軍のベトナム民間人虐殺問題を持ち出した。 お前たちも全く同じだったのに、なぜ我々にだけそうするのかということだ。 慰安婦問題に対して全世界の共感が広がっている中で、日本の極右保守勢力も同じ方式で対抗した。 韓国軍が慰安所をベトナムで運営していたという資料を探し出して報道した。(ハンギョレ 2014年4月25日付参照) お前たちもベトナムで同じことをしたではないかということだ。 彼らの一部は現在ベトナムにある韓国軍関連資料を入手するために努力している。 ベトナム政府が犯罪行為だと指摘している戦後の調査資料を確保しようとしているわけだ。 もちろんベトナム当局はそれを拒否しているという裏話もある。

 このような状況で韓国政府は何をしなければならないか? ベトナムが過去を忘れて未来を見ようと言うので、腕組みして黙って見ていればよいのか? 韓国のみならずベトナムの新世代さえも関心がない事件だとして、黙って埋めておけば良いのか?

 2013年1月、ドイツ保守政党出身のアンゲラ・メルケル首相は、ワルシャワのユダヤ人ゲットー墓地前にひざまずいた。 ポーランドの人々はドイツに向かって言った。あまりに長く謝り過ぎでじゃないかと。メルケル首相の答えは極めて簡単だった。 「あなた方がもういいいというまで続ける。 ナチの犯罪は無限責任だ」。胸の奥底まで完全に許されたわけではないが、ドイツ社会の姿勢は被害者とその家族の心情を慰めている。

 東京大学で会ったある学生が質問した。 なぜ韓国は私たちにずっと謝れと言うのですか? 今まで何度も謝ったのに、まだ謝らなければならないのですか? そうだ。日本の政治家たちは過去に対して何度も言及した。 しかし、果たして日本社会がこれに対する共感を持っているかには疑問の余地がある。

 2015年4月4日、韓国とベトナムの歴史的な出会いがあった。 ベトナム戦争の民間人被害者と“慰安婦”被害者が韓国で出会った。 国籍も違い加害者も違うが、両者は戦争と国家により想像できないほどの傷を負った被害者だ。両者の出会いは、東アジアで戦争の悪循環を断ち切ることができる重要な意味を持つものだった。 ここには第2次世界大戦末期の沖縄上陸作戦当時の被害者、台湾の2・28事件被害者、済州(チェジュ)4・3抗争の被害者、朝鮮戦争時の共産軍討伐過程の被害者、1980年光州(クァンジュ)の被害者が共に参加しなければならない。 そして、日本の拉致被害者家族も共にしなければならない。 これらの被害者は、帝国主義と冷戦が作り出した非正常的状況で国家によって被害をこうむった人々だからだ。

 もちろんこのような事件の加害者も共に参加しなければならない。 自ら望もうが望むまいが、彼らがこのような事件の加害者になったのは国家による動員のためだった。 国家は国益という名分の下に構成員を動員し、彼らに拭えないトラウマを抱かせた。 50年が過ぎた今でも悪夢を見る参戦者たちがいる。 彼らは加害者である以前に被害者の状態から始まった人々だ。 その上、国家は彼らにまともな補償もしていない。 彼らが心から謝った瞬間、彼らはもはや加害者ではない。

 2013年12月、ソウル銅雀洞(トンジャクトン)の国立顕忠院(ヒョンチュンウォン)にあるベトナム戦戦死者墓地を訪問してこの連載を始めた。 そしてそれから1年半が経過した2015年5月、ベトナムを訪問した直後にこの連載を終える。 ベトナム戦争に関連してどうすれば1年以上の連載ができるか悩みに悩んだ。しかし、連載が終わるこの瞬間、まだしなければならないことがあまりにも多いことを感じた。 この連載が30回を越えて続いたが、その中では書けなかった問題、まともに分析できなかったイシューが、あまりにも多い。

50年が経過してから“慰安婦”問題が提起されたことを忘れまい

 この連載を継続できた動力は二つあった。 一つは参戦軍人の問題だった。 参戦軍人の存在は韓国以外の他国のいかなる研究成果からも見いだせなかった。 さらにはベトナムですら慰霊碑と憎悪碑以外には韓国軍に対する言及を探し難い。 ベトナムのすべての慰霊碑と憎悪碑には「アメリカ帝国主義者の傀儡」という修飾語が「南朝鮮軍隊」の前についている。 ベトナム戦争の専門家であるハノイ大学の教授は「お前たちが犯した過ちが何かあるか。全てはアメリカのせいじゃないか」と話した。 安堵しつつも一方ではあまりにやりきれない思いだった。

 アメリカの要請を受けて参戦したことは事実だが、ベトナムで果した韓国軍の役割は少なくなかった。 韓国軍は米軍が敬遠する地域に配置された。 ベトコンを経験したベトナムの人々の言葉を借りれば、米軍はあきれるほど戦えなかった。 韓国軍は違った。 韓国軍は恐ろしかった。2月に行ってきたビンディン省も米軍が平定できないので韓国軍にその役割を任せた地域だった。ビンディン省はベトナムの南部と北部をつなぐ最も重要な1号国道と内陸地域の平定のために、ベトコンに対する北ベトナムの支援を断ち切るために軍事戦略上重要な19号国道、およびアンケパス(AnKhePass) を結ぶ大変重要な地域だった。 ここを掌握すれば米軍と韓国軍の主要駐屯地を相互に連結することにより補給線を堅固にすると同時に合同作戦を繰り広げることもできた。 しかし、米国のどの新聞にも、いかなる研究成果からも韓国軍の文字は消えた。 そうした人たちを再び歴史の舞台に登場させたかった。 参戦軍人の一部が反戦運動に参加した米国と異なることが問題なのではない。 単に歴史研究の中で韓国軍が再び蘇るならば、ベトナム戦争に参戦した韓国軍に対する本格的な研究が継続される基本的な土台を作ることができると考えたからだ。

 第二に、ベトナム戦争に対する社会的認識を変えることによって、韓国は違うということを全世界に示したかった。 韓国社会は犯罪行為を美化し隠蔽する日本の極右勢力とは違う。韓国は過ぎ去った歴史に対して客観的・中立的に省察する市民社会を持っいる。 ベトナム政府が積極的に乗り出さなくとも、韓国の市民社会がすべての真実を明らかにしようと努力している。 そして、これを通じて帝国主義時代と冷戦の時代にあった問題をありのままに明らかにしようとしている。 このような過程を通じて国家のソフト パワーと品格を高めようということだ。

 ベトナムのすべての人々が韓国軍の参戦に対して敏感なわけではない。 ベトナムでも一方的統一により被害を受けた人が少なくなく、ボートピープルもたくさんいた。 しかし、韓国軍の活動過程で不幸な事件が発生した地域では、その事件を決して忘れないだろう。 韓国で強制徴用や慰安婦問題が本格的に議論され始めたのは、帝国日本が崩壊して50年が経過してこそ可能だった。 ベトナム戦争が終わって既に40年が経った。 ベトナムでは未だ発掘作業と事実復元作業が続いている。 どこにも死体以外には写真資料や文書資料がないためだ。 それにもかかわらず、韓国は日本とは違い、全てのものを準備していなければならず、これを通じて正しい和解を引き出さなければならない。 全世界で韓国のイメージを肯定的に変えられる大変重要な過程だ。 そのためにはベトナム戦争に関して誤っている社会的認識と半分だけの記憶を変えなければならない。

 1年を越えて連載し読まれた読者たちに感謝の言葉を伝える。 読者の応援がなかったとすれば連載を継続することは難しかった。 電話とメールをくれ、本も送ってくださった参戦軍人たちにも感謝申し上げる。この連載はベトナム戦争研究の終結ではなく開始に過ぎない。 ベトナム戦争に対するより多くの研究が出てくる架け橋の役割を期待してみる。<終>

パク・テギュン ソウル大国際大学院教授 //ハンギョレ新聞社

パク・テギュン ソウル大国際大学院教授

▲パク・テギュン:ソウル大で経済開発計画で博士学位を受けた歴史学者。 ソウル大国際大学院教授。歴史と大衆の疎通のために努力して韓米関係、南北関係など韓国現代史の主要事件の実体を明らかにするため孤軍奮闘してきた。『韓国戦争』という本を書いた。20世紀のもう一つの戦争であるベトナム戦争が韓国と世界に残した足跡を隔週で34回にわたり解きほぐした。

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/689426.html 韓国語原文入力:2015-05-01 20:37
訳J.S(6531字)

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