18日、ソウル都心で行われたセウォル号1周年追悼集会後、警察は「2008年の米国産牛肉輸入反対キャンドル集会のような不法・暴力集会が再燃した」とし、関係者5人の逮捕状を申請した。しかし、集会の進行状況を検討して見ると、米国産牛肉輸入反対集会とは性格が異なるセウォル号追悼式に、7年前の鎮圧作戦をそのまま適用した警察の過剰対応が、衝突を拡大させた原因と見られる。
参加者はなぜ行進に出たのか
車両の壁設置を止めていた遺族の連行ニュースに
追悼式中断し光化門へ行進開始
光化門広場は、行進不可地域?
外交機関の業務ない時は可能
家族協議会「緊急集会は適法の判例あり」
警察「急迫な危険と判断」
主催側 「警察の過剰対応」
一部の不法行為は主催側の責任?
警察、主催側に損害賠償請求予定
「個々の行為者に責任問うべき」と反論
■ なぜ車の壁を設置したのか?
18日の追悼集会で、警察は車両壁専用のトラックと警察バスなど、477台を動員して大規模な車両の壁を幾重にも立てた。警察は「不法集会が予想されるとの事前情報報告」に基づいて車両の壁を事前に用意したと説明した。ソウル地方警察庁ク・ウンス庁長は20日の記者懇談会で「文化祭が終わった後、大統領府の方に集団進出するという事前情報の報告があった。集会が終わる前にすでに道路に進出して警察と対峙し、暴力が発生した」と述べた。
特に車両の壁と関連し、ク・ウンス庁長は「警察バスも『秩序維持線』として使用できる」と述べた。警察は集会・デモ参加者と警察が直接対峙したら衝突の危険が大きくなるため、車両の壁を設置した方がむしろ安全な警備作戦だと主張している。
しかし、漠然と不法集会が予想されるという理由だけで車両の壁を設置し、これに抵抗する参加者たちを強制的に解散させる単純な警備作戦が、衝突をもたらしたという指摘が出ている。民主社会のための弁護士会は「車両の壁の設置は、2011年の憲法裁判所の決定に反した違憲的な公権力の行使」だと批判した。当時憲法裁は、警察が車両の壁でソウル広場を封鎖したことについて「車両の壁は、急迫して明白な危険がある場合にのみ取ることができる最後の手段でなければならない。多くの人が集ったり、その一部が不法暴力行為を犯したとして、車両の壁の設置が認められるわけではない」と決定した。
■ 警察がデモ隊を刺激したのか?
警察の推算で少なく見積もっても約1万人が参加した18日の集会当時、警察は、ソウル広場追悼祭が終わる前に、光化門(クァンファムン)の扁額の前で座り込みしていたセウォル号遺族の一部を連行した。警察は、「集会参加者が座り込み場に集結し始めたので、これを防ぐために前日撤去した車両の壁を再び設置した。この過程で遺族が警察バスの上に上がったので、やむを得ず連行した」と説明した。
前日は座込み場から退去させようともせず“忍耐”していた警察が、大規模な集会が進行中の状況で、あえて遺族を強制連行する必要があったのかは疑問である。しかも、16日の1周年追悼祭当日、遺族の一人が警察と対峙する過程で肋骨4本が折れる重傷を負ったせいで、参加者たちが興奮しやすい状況だった。
光化門広場までは許容されていた集会・デモの範囲を、警察が徐々に縮小させて圧迫したのも、問題として指摘されている。警察は11日、追悼式では、光化門広場の中間地点である世宗大王像の左右の道路を車両の壁で遮断した。しかし、16日と18日には清渓(チョンゲ)広場地点まで車両の壁で作った阻止線を拡大した。 1年近くテント座込み場が維持され、「セウォル号」を記憶する象徴的な空間として位置づけられている光化門広場と、ソウル広場追悼祭りの参加者を遮断し、隔離させたのである。
警察が衝突過程で現場放送を通じて放水銃の角度などを指示し、「自信を持って臨むこと」というなど、公然と強硬鎮圧を奨励したのもデモ隊を刺激したという指摘が出ている。ク・ウンス庁長は「マニュアルには解散命令だけ行うようになっている。 (現場で)軽率だった」と認めた。
韓国語原文入力: 2015-04-20 21:57