▲韓国社会は朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の著書『帝国の慰安婦』を巡る賛否で二つに分かれた状態だ。 慰安婦問題を考える韓国社会の「古い」民族主義に対する賛否で始まった今回の論争は、17日に裁判所が出版禁止仮処分決定を出した後「表現の自由」問題にまで拡張された。激しい討論が進行される間、著者が何を言おうとしたかを正しく見る試みは少なくなっている。 朴教授はこの本を通じて何を試みたのだろうか。 そしてそれは果たして成功するのだろうか?
先日の旧正月連休、フェイスブックに代表される韓国のソーシャルメディア(SNS)を熱くしたのは、朴裕河 世宗大学教授(日本文学)の著書『帝国の慰安婦』(2013年)を巡るいわゆる「表現の自由」論議だった。旧正月連休が始まる前日の先月17日、ソウル東部地裁民事21部(裁判長 コ・チュンジョン)が「ナヌムの家」慰安婦被害者9人が朴裕河教授らを相手に起こした図書出版禁止等仮処分訴訟に対して、被害者の人格権を侵害する34カ所の表現を削除しなければ本を販売・配布してはならないと決めたためだ。
裁判所が削除の必要性を認めた部分は「朝鮮人慰安婦の苦痛は日本人遊女の苦痛と基本的に変わらない」 「朝鮮人慰安婦と日本軍の関係は基本的に同志的な関係であった」など、この本を巡る熱い論議の中心となる一節だった。
朝鮮時代の「礼訟論争」と同じだ
判決が下されるとインターネット空間ではこれに対する賛否で熱く燃え上がった。 普段韓国の民族主義や国家主義を鋭く批判してきたパク・ノジャ オスロ国立大教授は「それでも慰安婦という未曾有の犯罪について私たちが被害者中心に意識しなければならないということが通念化され、この通念が今回の判決に反映されたことは幸い」という立場を明らかにしたのに対し、カン・ナムスン テキサス・クリスチャン大学ブライト神学大学院教授は「本に問題があるならば、それは本を読む市民自らが評価すべきであり、裁判所が強制的に“読めないように”することは独裁政権下で“公共の利益”の名で無数の“禁書”を指定した姿を想起させる」と反対意見を明らかにした。 裁判所に韓国社会で許される表現の範囲に対する判断を任せることは望ましくないが、自身の名誉が毀損されたと感じる慰安婦被害者に「我慢しなさい」と要求することの当否に対する判断も必要だ。
朴裕河教授は判決が下された後「削除すれば出版しても良いと言っても、私は一カ所も削除するつもりはない」として、この問題を本案訴訟で今後も争って行く意思を明らかにしている。 あるネチズンが今回の論争に対して朝鮮顕宗の時に起きた“礼訟論争”(仁祖の継妃である趙大妃の服喪問題を巡って南人と西人が二度にわたり対立した事件)と同じだという意見を表明したように、慰安婦を扱ったややかたい“教養書”に対して韓国社会が見せている今のような激烈な反応は極めて例外的だ。
この本を巡る最近の論争は第2ラウンドとも言える。 最初に論争が始まったのは昨年6月、慰安婦被害者がこの本に対する出版禁止仮処分申請を出した後だった。 事実、この本は2013年8月に初めて公開された時は、慰安婦問題を扱ってきた学界や市民社会からは無視されていた。 しかし訴訟が始まり、この本に含まれた慰安婦に対する種々の描写と表現(特に、同志的関係)が韓国社会に本格的に伝えられ、それが韓国社会が共有してきた一般的な常識や法感情と衝突を起こし、本格的な論争が始まった。 論争の層位は実に複雑多様だった。 朴裕河教授が活用している慰安婦に対する証言と資料引用の偏向性を指摘する方法論論議、慰安婦に投影された韓国社会の(過度な)民族主義に対する好悪、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)等の既存慰安婦運動団体の運動方式に対する賛否などに加えて、慰安婦問題を日本政府による「犯罪」というよりは、植民地朝鮮半島を支配していた「家父長的枠組み」から見ようという朴裕河教授の主張に対するフェミニズム陣営の反応まで、多様な主張が重なっているためだ。 ここに安倍晋三日本首相が昨年進めた河野談話(1993年)検証などの歴史修正主義的動きが韓国に伝えられ、論争は一層激しく過激になっていった。(2/3)へ続く。