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独立記念館進入路に日帝に協力した“親日”作曲家の洪蘭坡の碑石…

登録:2015-02-05 13:55 修正:2015-02-05 16:56
30年前に作られ遅れて確認
天安市「撤去か親日案内文を設置」
洪蘭坡先生と柿の木という名の碑石。 //ハンギョレ新聞社

 忠清南道天安(チョナン)市 木川(モクチョン)邑の独立記念館への進入路に親日音楽家として知られる洪蘭坡(ホン・ナンパ、1898~1941)を追慕する碑石が30年近く置かれている事実が遅れて確認された。

 民族問題研究所は4日、「独立記念館進入路の左側にある光復(解放)の丘に、親日音楽家洪蘭坡を賛える碑石がある事実が確認された」と明らかにした。1987年の独立記念館開館に合わせ天安市(当時は天安郡)が作った光復の丘には、「柳寛順(リュ・グァンスン)烈士と柿の木」、「尹奉吉(ユン・ボンギル)義士とイチョウ」、「韓龍雲(ハン・ヨンウン)先生とイブキ」など独立活動家を賛える碑石と木がある。

 洪蘭坡先生と柿の木(写真)という名の碑石には「鳳仙花」、「故郷の春」をはじめ数多くの民族の歌で国を失った悲しみを慰め希望と勇気を奮いたたせた作曲家・蘭坡洪永厚(ヨンフ)先生の故郷である京畿道華城(ファソン)郡 南陽(ナミャン)面の丘の木の枝をここに植え先生の高い意思を賛える」と記されている。この文は洪蘭坡の童謡「ポチャン、ポチャン」に歌詞をつけた故ユン・ソクチュン詩人が書いた。

 洪蘭坡は民族復興運動をした興士団に参加したこともあるが、その後は植民統治と侵略戦争に協力する歌を作曲した。1937年に「思想転向に関する論文」を通じて日帝に忠誠を誓った。このため民族問題研究所の「親日人名辞典」に名前が載る。2013年には作曲家リュ・ジェジュン氏とソプラノ歌手イム・ソンヘ氏が洪蘭坡の親日行跡を理由に第46代蘭坡音楽賞の受賞を拒否したこともある。

 パン・ハクジン民族問題研究所事務局長は「碑石撤去までしなくても、碑石のそばに親日の過去を記した案内文を作り、教育の場で活用するよう協調を求める意見書を天安市に送る」と語った。天安市関係者は「検討後に碑石撤去か案内文を設置する計画」と話した。

イ・ジェウク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015.02.04 22:34

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/676902.html 訳Y.B

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