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報道機関社主・大学総長など日帝末期 指導層 恥部 克明に

原文入力:2009-11-27午後10:08:29
[親日反民族行為 704名 発表]
1937年以後の親日行為を調査…金活蘭,兪鎭午など含む
徐廷柱・李光洙など芸術界人士も…洪蘭坡は外れる

ホン・ソクチェ記者,カン・ジェフン記者

←ソン・デギョン親日反民族行為真相究明委員会委員長(左端)と委員らが27日午前、ソウル,光化門事務室で開かれた解団式で殉国烈士を賛える黙祷をしている。 カン・ジェフン選任記者khan@hani.co.kr

←主要親日人物と行跡

27日親日反民族行為真相糾明委員会(反民糾明委・委員長 ソン・デギョン)が出した‘3次親日反民族行為真相糾明報告書’には、この間収録可否を巡り論難をかもしてきた人物らの大多数が含まれた。
反民糾明委関係者はこの日「特別法規定に従って行うものだけに、より精巧で厳格な定規を当てたが、1937年中日戦争勃発以後に日帝の植民統治がより一層苛酷となり、親日行為もやはり明確に増え収録者も多くなった」と話した。実際今回の3次報告書に収録された人物らは日帝の侵略戦争を積極的に助けた人物が大部分だ。

最も熱い論議を産んだ金性洙<東亜日報>創業者の場合、反民糾明委は彼が1943年11月6日付<毎日新報>に‘大義に死ぬ時 皇民となる責務は大きい’という文を寄稿し、自身が校長であった普成専門学校に父母たちを呼び集め学兵の趣旨を宣伝したという事実を指摘した。金性洙はまた、学生たちを徴兵検査場に直接引率したという事実が当時の新聞(<毎日新報>1943年12月14日付)を通じて確認された。

方應謨<朝鮮日報>前社長もやはり日帝の支配と侵略を称賛した雑誌<朝光>を発行するなど、日帝に積極的に賦役したと反民糾明委は明らかにした。彼は1937年、京城放送局第2放送に出演し「日本帝国は…<中略>…支那(中国)の排日を絶滅させ極東平和を確立させんとす」という趣旨の講演を行い、<朝光>(1942年6月21日付)に‘徴兵令実施に一層深く感激しなければならない’という文を載せ侵略行為を庇護した。1933年には高射機関銃購入費用1600ウォンを軍に献納した。

高麗大,延禧大(現 延世大),梨花女子大など大学総長らの親日行為も指摘された。金活蘭梨花女子大初代総長は1943年<毎日新報>に‘熱血男児としてこの時を逃すな’,‘男に負けず皇国女性として使命を完遂’(せよ)という文を寄稿した。また兪鎭午高麗大前総長は‘国民総力朝鮮連盟’の集会で志願兵督励演説を行い、白樂俊前延禧大総長も‘朝鮮臨戦対策協議会’結成に参加した。

芸術分野では詩人 徐廷柱が‘徴兵適齢期の子息を持つ朝鮮の母親に’という詩を書き、志願兵・徴兵扇動の先頭に立った。音楽家 玄濟明は徴兵制祝賀音楽会で‘大日本の歌’を歌うなど日帝に協力した。

満州の抗日独立軍を討伐するための朝鮮人特殊部隊‘間島特設隊’で活動した白善燁も名簿に含まれた。

反面、論議をかもした作曲家 洪蘭坡は遺族たちが出した効力停止仮処分申請が裁判所で受け入れられ、今回報告書から外れた。<皇城新聞>主筆 張志淵は‘特別法適用が難しい’という理由で除外された。

一方、朝鮮日報社はこの日声明を出し「方應謨先生が含まれたことに深刻な遺憾を表す」として「反民糾明委の活動は‘後代の定規で激動の歴史を生き延びた先祖の人生を断罪する’という発想から出た呆れ返る歴史ハンティング遊び」と反発した。また仁村記念会も「金性洙先生を‘親日反民族行為者’に含ませたことは、非理性的で反歴史的行為であり慨嘆を禁じえない」と反論した。
ホン・ソクチェ記者forchis@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/390216.html 訳J.S