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会社が午後7時30分に“強制消灯”、「夕飯のある生活」が現実に

登録:2014-11-06 21:52 修正:2014-11-07 07:07
柳韓キンバリーの実例
2014年11月6日午後7時30分、ソウル江南区テヘラン路にある柳韓キンバリー本社6階事務室の電気が一斉に消えた。 ‘不必要な夜勤’ 慣行は簡単には無くならないとし2012年1月から毎晩7時30分に‘強制消灯’を実施している。 イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

 『ハンギョレ』は 「夕飯のある生活」の 企画を通じて、‘長時間労働’を改善するための課題と代案を提示した。 韓国でも意味ある試みはすでに進行中だ。 根が深い夜勤慣行を果敢に振り切った事例を紹介する。

3年間 強制消灯
必須夜勤者のみ制限的許容
夜勤20%から8%に減り
時差出勤制などへの呼応も高い
「会社の指示と信頼が成功要因」

 社内カップルである ‘ワーキングマザー’ キム・ヒョンギョン氏(31)夫婦は、同じ会社に通っているが出退勤時間は違う。キム氏は午前8時までに出勤し午後5時に退勤するが、夫は午前9時30分出勤、午後6時30分退勤だ。 おかげで夫婦は共稼ぎだが実家や婚家の両親、保育コンパニオンの手を借りずに、5歳と2歳の二人の子供を育てている。子供たちは両親が会社にいる間は保育園で過ごす。出勤する夫が子供たちを起こしてご飯を食べさせ、保育園に連れて行き、妻のキム氏が退勤後に子供たちを連れ帰り、夕飯時間には家族全員が一緒に過ごす。

「午後5時に退勤しても、上司の顔色を伺うようなことはありません」。「遅く出勤したからって顔色を見たりはしないよ」。夫婦が上司の顔色を伺わなくてもすむのは、会社次元の ‘配慮’ があるためだ。 キム氏夫婦が通う「柳韓(ユハン)キンバリー」は ‘時差出退勤制’ を通じて午前7時~10時、午後4時~7時の間に出退勤できる ‘権利’ を職員に保障している。 この制度を活用して午前8時30分以前に出勤したり午前9時30分以後に出勤する社員が本社社員580人中約80人(14%)いる。 2011年からは ‘弾力昼休み制’ を導入した。 出勤時間に合わせて昼休みもやはり昼11時30分~1時30分の間に自由に選択できる。

 ところが、弾力的出退勤時間制が比較的早く定着した一方で、‘不必要な夜勤’ 慣行は簡単には無くならなかった。 2011年会社調査で本社の場合、20%程度が午後8時以後まで残業をしていた。

 そこで出てきた特別の対策が ‘強制消灯’ だ。 2012年1月、不夜城のソウル江南区テヘラン路のビル街のある建物の6階事務室の電灯が午後7時30分に一斉に消えた。柳韓キンバリーだった。 午前10時出勤者の退勤時間である午後7時に30分間の ‘脱出時間’ を追加で上乗せした時刻だった。 キム・ヘスク持続可能経営本部長(49)は「『社員が退勤しない』 とぼやくと、チェ・キュボク代表が 『それでは電気を消してしまえばいい』とアイディアを出した」と話した。

 4日午後7時頃に訪ねた柳韓キンバリー本社事務室はがらんとしていた。残っていた社員も退勤準備を急いでいるようだった。 ソン・スンウ対外協力本部長(49)は「以前にも水曜日を ‘育児デー’ として早く退勤する制度があったが特に反応はなかった。 いつも夜9時、10時に退勤して、土曜日にも出てきて仕事をしてきたせいだ。 消灯制実施の初日、電気が消えたことに衝撃を受けた。『強制的にする必要まであるのか』という不満もあった。 しかし電気が消えてから本当に退勤が早くなった」と話した。ソン本部長の妻イ・ナムスンさん(46)は「以前に比べれば(夫が)家にいる時間がはるかに長くなった。 父親との対話時間が増えて二人の娘との関係も良くなった」と話す。

 3年前は本社社員のうち20%程度が夜8時以降まで働いていたが、その比率が最近は8%まで下がったという。 ソン本部長は「やむを得ず夜勤する職員の要求があって、最初は1階だけを ‘夜勤階’として電気をつけておいた。 そのうちどんどん需要が減り、今は各事務室の一部のみ明かりをつけている」と話した。 キム本部長は「強制消灯制を通じて会社が定時退勤に対する強力な意志を見せることによって、社員に信頼を与えたようだ」と話した。

ソウル江南区大峙洞にある柳韓キンバリーの社員が、個人席をなくし自由勤務空間で業務を協議している。 柳韓キンバリー提供//ハンギョレ新聞社

 一日8時間労働を実践することにともなう業務空白や生産性低下はなかった。 柳韓キンバリーが2011年に導入した ‘スマートワーク システム’ が功を奏したという。 職員は仕切りのない開放空間のどこでも自由に座って仕事をする。 役員をはじめとする部署長も社員と同じ空間で仕事をする。 アン・ジヨンさん(38)は「意志決定をしてくれる役員たちが周囲にいるので、いつでも側に行って意見を聞けるので意志決定過程が短縮され速くなった」と話した。

 1990年代初期に入社し役員にまで上がったキム本部長は「1992年に最初の子を持った時は、妊娠の事実を隠したいと思った。 だが、2002年には二番目の子供を妊娠しても、外部のお客さんの前でプレゼンテーションをした。 会社が妊娠と出産を支持し応援してくれるという信頼があった。 仕事のやり方はそのままで社員に『君さえ変わればいいんだ』というのは無意味だ」として「社主や上司の意志があり、システムが共に変わらなければならない」と話した。

チン・ミョンソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/663344.html 韓国語原文入力:2014/11/06 20:24
訳J.S(2450字)

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