日本政府が慰安婦動員の強制性を認めた‘河野談話’の揺さぶりに乗り出したことに対し、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が21年前に日本政府が直接被害者から証言を聴取する場面を撮影した動画を公開した。 河野談話の根拠となった資料で、日本政府の要請によりこれまで公開されなかったものだ。
太平洋戦争犠牲者遺族会は15日、ソウルのプレスセンターで記者会見を行い、河野談話が出される直前の1993年7月末に日本政府調査団が慰安婦ハルモニ(おばあさん)16人の証言を直接聴取する15分の動画を21年ぶりに公開した。 この動画は当時、ソウル龍山(ヨンサン)区にあった遺族会の事務室で行われた証言を録画した記録の一部だ。
動画には被害者が通訳を通じて日本政府調査団に自分たちの被害事例を話したり、証言日程などを調整する場面などが含まれている。 2012年12月に86才で亡くなったキム・ポクソンさんは証言で「私が18歳の時、伯父から女の子たちが連れていかれているという話を聞いて、2~3週間にわたり屋根裏部屋に隠れて過ごした。 そうするうちにご飯を食べに降りてきたところ、突然日本の巡査が現れて、横から腕をつかんで私を引っ張って連れて行った」と証言した。
ユン・スンマンさん(83)は「恐ろしくて部屋の柱をつかんで泣いて逃げようとしたが、結局釜山(プサン)に連れていかれた。 従軍慰安婦になって下関を経て大阪に連れて行かれた」と証言した。 ユンさんは「言うことを聞かなければ鞭でひどく叩かれた。 腕をひねって、これでもか…」と言って、障害がある両膝と数十年が過ぎても後に曲がっている左肘を見せることもあった。
この日公開された映像には含まれていないが、遺族会は当時証言に立ったキル・カプスンさんの陳述も公開した。 当時キルさんは「日本軍と寝ることを拒否し、熱した焼きごてで背中を焼かれる拷問を受けた」と証言し、服を捲し上げ背中に残った火傷の跡を日本調査団に見せたという。 キルさんは証言の5年後の1998年に74歳で亡くなった。 キルさんの息子のキム・ヨンマンさん(58)は「当時証言した16人のうちユン・スンマンさんとキム・ギョンスンさんを除いた14人がすでに亡くなったが、安倍政権は河野談話を売り渡そうとする露骨な意図を見せている」と批判した。
当時の証言に同席していたヤン・スニム遺族会長は、「日本政府の(非公開)要請のために21年間資料を公開しなかったが、安倍政権が河野談話の真実を歪曲している状況で映像の一部を公開することにした。 今後、河野談話白書を作って国連に報告し、世界の人々の検証を受ける」と明らかにした。