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教皇が機内で打ち明けたセウォル号リボンを外さなかった理由

登録:2014-08-19 21:44 修正:2014-08-20 07:35
ローマ行き機内でのインタビュー

セウォル号リボンを外すよう勧められ
拒否した裏話を打ち明け
「中国に行くつもりがあるかと問われれば
明日にでも行く」と答える

フランシスコ教皇が18日午後、4泊5日間の訪韓日程を終えて城南(ソンナム)のソウル空港から出国する際に手を上げて挨拶している。 城南/写真共同取材団

 「私は(遺族たちと)連帯するために、これ(セウォル号追慕の黄色いリボン)を付けました。 これを付けて半日ぐらいすると、ある人が近寄ってきて『外した方が良い』と言いました。 私はその悲劇的事件で中立でなければならないという話でした。 (しかし)人間の苦痛の前で中立を守ることはできません」

 フランシスコ教皇は18日(現地時間)、訪韓日程を終えてバチカンに戻る飛行機の中で記者会見を行い、「セウォル号遺族たちに会って慰労した行動が政治的に誤解されることを憂慮しなかったか」という記者の質問に対してこう答えた。

 教皇は訪韓二日目の15日、大田(テジョン)でミサを執典するのに先立ち、セウォル号犠牲者の遺族たちに会って慰労し、セウォル号追慕の象徴になった黄色いリボンを贈られて胸に付けた。 以後、訪韓期間を通して教皇の胸に付いていた黄色いリボンは、この日の帰国便の機内でもそのままだった。 教皇は「人間の苦痛の前に立てば、心の命ずるとおりにすることになる」、「政治的意図があってしていると言う人もいるだろうが、子供たちを失った両親について考えてみなさい」と話した。彼は「私の心の中では(遺族たちに)近寄ることが最も優先だった」と語り、「私が話す慰労が亡くなった人に新たな生命を与えることはできないが、人間的に近付くことで力を得ることを知っている」と心境を明らかにした。

 また、教皇は日本軍慰安婦被害者のハルモニ(おばあさん)の苦痛に対する共感も明らかにし、彼女たちの人間的尊厳を高く評価した。 教皇は「韓国の民族は侵略を体験して侮辱にもあったが、人間的な尊厳を失わなかった」として、「(慰安婦)女性たちも搾取され奴隷になったが、すべての苦痛にもかかわらず尊厳を守っている」と話した。 南北問題に関連しては「分断で多くの離散家族が再会できずにいることは苦痛」と指摘し、この苦痛が終わるように祈ることを提案し、予定になかった沈黙の祈りを捧げもした。

あるセウォル号失踪者家族が19日、全羅南道珍道(チンド)のペンモク港の聖堂で、フランシスコ教皇が慰労の手紙と共に贈った教皇の紋章が彫られたロザリオを見せている。 珍島/連合ニュース

 教皇は自身の死に対しても安らかな態度で言及した。自身の世界的な人気に関して質問を受けた教皇は「(人気というのは)長続きしないということを知っているので、私の罪と誤りを考えて己惚れまいと努めている。 2年か3年後に、私は天主の許に旅立つだろう」と答えたと『AP通信』は伝えた。APはバチカン消息筋の話を引用して「教皇は以前に身近な人々に自身の時間があと何年も残っていないと考えると言及したことがある」と伝えた。 教皇は生前引退の可能性も排除しなかった。 教皇は77才と高齢であることに加え、若い時期に肺疾患を患い一部を切除したにもかかわらず、今回の訪韓などバチカン内外で多忙な日程をこなしている。

 教皇は中国との関係改善の意志も繰り返し明らかにした。 彼は「私に中国に行くつもりがあるかと問われれば、返事は‘当然、明日にでも行く’だ」と語り、「教皇庁は中国国民を尊敬している」と付け加えた。 中国とバチカンは1951年に断交したが、今回初めて教皇チャーター機の中国領空通過が許されるなど雰囲気が大きくやわらいでいる。

 外信はイスラム教スンニ派の極端主義の武装反乱軍であるイスラム国家(IS)に対する米軍の空襲に関連して、教皇が「不当な侵略者」を阻止することは合法だとし、条件付きながら認めた点にも注目した。 しかし、教皇は一つの国家ではなく国際社会が介入する方式を決定しなければならないと強調した。

チョン・セラ記者 seraj@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/religious/651943.html 韓国語原文入力:2014/08/19 21:00
訳J.S(1648字)

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