東日本大地震で娘を失った父親がセウォル号遺族に手紙を送ってきた。
この文を書いた佐藤俊朗氏の娘みずほさん(当時12才)は2011年3月11日の大地震の時に起きた大川小学校惨事で命を失った。 地震の後、巨大津波が宮城県の大川小学校を襲うまで待避する時間が50分もあったのに、学校側が適切な避難措置をできずに全校生108人中74人が亡くなった。 子供たちは学校の裏山に避難しようとしたが「学校に留まりなさい」という指示を受けて待機していて亡くなった。 「じっとしていなさい」という大人たちの指示に従って命を失ったセウォル号の子供たちのように。
亡くなった大川小学校の生徒たちの両親は、今政府を相手に訴訟を行っている。 ‘小さな生命の意味を考える会’を作った佐藤氏は<ハンギョレ>にこの手紙を伝え、セウォル号遺族と連帯したいという希望を明らかにした。
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セウォル号事故遺族の皆様へ
ニュースで、深い悲しみに沈んでいる皆様の様子を知りました。あまりに唐突の悲しみと理不尽さに、自ら命を絶つ遺族もおられるという報道にいたたまれず手紙を書いています。
私に国では、3年前の大津波で、たくさんの命が、木の葉のように流され消えました。病気とも、戦争とも違います。何の前触れもない死です。あの年は、毎週のように知人の葬儀があり、泣いて、落ち込んで、悔しがり、気がおかしくなりそうでした。今も、あの人はもういないんだと、ふと思いだし、何とも言えず胸が苦しくなります。何の疑問もなく続くと思っていた日常があの日から突然、目の前から消えました。
私の娘は学校で亡くなりました。石巻私立大川小学校の六年生、あと一週間で卒業式でした。学校の前の道路に泥だらけになった小さな遺体が、次々に並べられていました。とても受け入れることなどできませんでした。今でもそうです。家にいると、娘の「ただいま」が聞こえそうな気がしてなりません。
我が子の名前を呼びながら、海に向かって泣き崩れる方々の映像を見て、とても他人とは思えません出した。こんな形で、家族を残して遠くに旅立たなければならないんで。 怖かったでしょう、冷たかったでしょう、どんなに生きたかったことでしょう。
セウォル号では危機に対する備えが不十分であったと聞きます。人の命を預かるはずの組織が命を最優先にしていなかったということです。「命」とり他のものを優先し、今日もどうせ大丈夫、少しぐらいならいいだろうという積み重ねが、船長をはじめとした乗組員の行動にも表れています。避難マニュアルも、救命ボートも、命を守るためのものではありませんでした。
大川小学校の災害への備えや避難マニュアルも実体のない、杜撰なものであったことが分かっています。そして、保護者や子供たちが避難を訴えていたにもかかわらず、50分間校庭で動くことはありませんでした。
私は教員です。学校管理下で子どもを亡くした私の職場は、学校です。子どもたちは逃げたくても先生に指示を待っていました。先生の一言で、全員が助かったいたでしょう。体験したことはない揺れの後、大津波警報が鳴り響いていたあの状況で「逃げろ!」と、なぜ強く言えなかったのか、私はいつも自問しています。
セウォル号の事故で、未だに大川小学校での事故が教訓にもなっていないことが分かりました。3年以上も前の事故を通じて、命を預かることの意味が見直されていれば、今回のような事故は防げたかもしれないとさえ思います。船でも列車でも、災害でも、当たり前のことをしていれば、守られるはずの命が失われる事故•事件はけっしてあってはなりません。真にダ大切ことを、最優先に見つめ、語れる社会にしていかなければと強く思います。
命とはなんとはかないものでしょう。地球がちょっと身震いしただけで、破れてしまう薄い紙のようです。一方で、どんな大津波でも流されないものは、心だということを知りました。どんな状況にあっても人は希望を見つけ出せることを知りました。
瓦礫だらけだった町が少しずつ息を吹き返しています。心が折れなければ、希望を持ち続ければ、やがて光は見えてきます。茎が光を目指して伸ていくように。たとえゆっくりでも、たとえ一人でも、それに向かって進めばいいだと思います。
あの子たちの犠牲が無駄になるかどうか、それが問われているのは生きでいる私たちです。小さな命たちを未来のために意味をあるのもにしたい、それが、三年かかってようやく見つけた私にとってどかすかな光です。
他の国の見知らぬ者が、勝手なことを述べて、嫌な想いをされたのであれば申し訳ありません。関係ないだろう、と言われれば、たしかにそうです。でも、少なくとも私は、こうして書かずにはいられませんでした。皆さんとは、何らかの形で手を携えていけたらと思います。
もうすぐ娘の誕生日です。誕生日、お正月、クリスマス、楽しい思い出の日が今年も巡ってきます。その度、胸が締め付けるこの悲しみは、娘の存在そのものです。だから、無理して乗り越えなくてもいいんだと、最近ようやく気づきなした。この悲しみとともに私は残りの人生をお歩んでいきたいと思っています。時折、夢に出てくる娘はいつも笑顔です。
どうぞご自愛くさしい
2014年5月21日
小さな命の意味を考える会
代表 佐藤 俊朗