朴大統領 経済民主化約束を守らねば
企業の反対で社会変化を拒否すれば
韓国も日本のように断崖絶壁に
「韓国経済が今の状態で行けば、日本のように断崖に落ちかねない。 今は17年前の外国為替危機時と似た危機状況だ」
キム・ジョンイン前セヌリ党国民幸福推進委員長(74)は「日本は既得権の維持に汲々とした企業らの言いなりになって、政府の政策を時代変化と国民の要求に合わせて行くことに失敗して自ら危機を招来した」として、日本と似た形である韓国の将来を憂慮した。
キム前委員長は「反面、ドイツは社会的市場経済という社会統合的システムを基に政界が企業ではなく社会全体の意を反映した政策で改革を推進し、経済発展を成し遂げた」として、ドイツモデルの強みを強調した。 キム前委員長は「‘セウォル号事態’を契機に国を正しく立て直すには、朴槿恵(パク・クネ)大統領が先に初心に帰り、経済民主化の約束をきちんと履行しなければならない」と強調した。 彼は「(経済民主化の約束を破った)セヌリ党が今回の地方選挙で敗北するだろう」とし「大統領も国民の心を受け入れなければ大統領職を正しく遂行することが難しくなるだろう」と話した。
-去る3月1日ドイツに来たが、その訪問目的は?
「ドイツと日本を比較して韓国が進む方向を研究するためだ。 ドイツと日本は第2次世界大戦以後、経済的に最も成功した国々だ。 ところが日本は1990年以後ほとんど20年間にわたり沈滞から抜け出せずにいる。 反面、ドイツは東西統一の負担を克服して2008年金融危機の衝撃からも最もはやく回復した。 ドイツは最近失業率が低くなり、国家負債比率が減り、世界で最も安定的で効率的だという評価を受けている。」
-日本経済が沈滞に陥った理由は?
「日本は戦後、米軍政によって財閥が解体された。 だが、1948年の中国共産化以後、アメリカが日本を主軸とする防御戦略を採択して、日本国内には神経を使わなくなり始めた。 そのスキを利用して1950年代以後、日本の財閥が事実上蘇り自民党と官僚を掌握して、経済政策を思うままにし始めた。 日本の三権分立は財界-官僚-政治だと言われるほどに財界の力が強大だ。 以後、日本の経済界は社会変化を受け入れずに既得権維持に汲々とした。 1980年代先進国の‘プラザ合意’で日本円が急騰し日本の輸出業者の収益性が悪化した。 日本の経済界は1986年政府に低金利政策を要求し、その余波で不動産と株式投機熱風が吹き地価と株価が急騰した。 だが、1990年代以後バブルが消えて経済危機に直面した。 最近日本政府が金融緩和による景気浮揚策(アベノミクス)を使っているものの、決して長続きはしない。」
-プラザ合意でドイツ マルクも急騰した。ドイツは1990年の東西統一にともなう負担まで背負い、1990年代末には‘ヨーロッパの病人’という嘲弄を受けた。 ところが2000年代に入り危機を克服して、2008年金融危機からも最もはやく回復した。 その秘訣は何か?
「ドイツモデルの核心である‘社会的市場経済’の意味をよく理解しなければならない。 市場経済の強みは効率だ。 これは価格メカニズムと競争に基盤を置く。 だが、市場は全てのことを解決できないので、政府が乗り出さなければならない。 政府の役割は市場に直接介入するのではなく、市場の秩序(ルール)を確立して社会的調和を追求することだ。 そのためには、政府は小さくとも強くて利益集団の圧力に振り回されないことが必要だ。 このような考えを現実に適用しまともに運用したのがドイツだ。」
-ドイツ経済が成功した土台には政界の役割が大きかったようだ。
「政治が安定しなければ経済は発展できない。 ドイツはアデナウアー総理以後、単一政党が執権したことがない。 ドイツ国民は特定政党に過半数の議席を許さない。 したがって政党は連合政府を通じて国民大多数を包容する政治を作り上げなければならない。 アデナウアー総理は、政府を導くのに一つの意見だけあってはならず、他の意見を融合しなければならないと言った。 ドイツの政府与党が変わっても経済政策が一貫性を維持しているのもこのような秘訣のためだ。
-ドイツが既得権勢力に振り回された日本と違い、市場の流れに合わせて経済政策を変化させてきた事例を挙げるならば?
「社民党が1990年代の経済危機の中で断行した‘アジェンダ2010’が代表的だ。 1990年代末、ドイツは経済悪化で危機意識が高まった。 シュレーダー総理は当時、一部左派の反対の中でも社会的合意を形成して‘アジェンダ2010’を断行し変化を追求した。 その後に続いたキリスト民主党のメルケル総理もこの政策を継承した。 ドイツがこのような社会的合意を成し遂げる本質には、1951年石炭鉄鋼産業から始まった労使共同決定制がある。 1976年にはこれを全産業に拡大した。 労組が経営状態を透明に分かれば無理な要求をしない。 労使関係が韓国のように対立的でなく協力的だ。 結局ドイツと日本の最も大きな差は、政府の政策が時代変化に合わせて行けるか、行けないかだ。」
-韓国が今のまま進めば、日本の前てつを踏む危険性があると見るか?
「韓国の経済発展過程は日本と似ている。韓国が1962年以後、経済開発5か年計画で政府主導の経済発展過程を歩んだのは日本の模倣だった。 経済が短期間に圧縮成長し、財閥が政府の資源配分を通じて集中的に恩恵を受けたことも似ている。 その過程で両極化が深化したが、金大中・盧武鉉・李明博政府は全てこれを解決できなかった。 2012年の総選挙と大統領選挙で(両極化解消のための公正な市場秩序確立と経済的弱者保護、財閥改革などの)経済民主化が最大の話題になったのはそのためだ。 今のまま進めば日本のように断崖に落ちかねない。 外国為替危機の直前にも経済ファンダメンタル(基礎条件)が丈夫なので大丈夫だと言っていたではないか。」
-朴大統領は経済活性化を掲げて、経済民主化の公約をきちんと守らなかったという評価を受けている。
「朴大統領は大統領選出馬宣言と大統領選候補承諾時に経済民主化を最前面掲げた。 本人自ら、正直と信頼の政治家であることを強調してきた。 私は朴大統領が当選すれば、時代的要求を受け入れて25年間の圧縮成長過程で積もった矛盾を解決するだろうと期待した。 だが、結局約束を破って過去の政府と同じ姿を見せて国民を失望させた。」
-朴大統領が約束を守らない理由は何だと考えるか?
「現実認識を誤ったためだ。 また、大統領は官僚たちに経済を任せ、過去の政権の方式から抜け出せなかった。 官僚たちは今の(誤った)構造を作った張本人だ。 また、官僚たちは企業に抱き込まれている。 政界も同じようなものだ。
-経済民主化をきちんと行わなければ、与党が2014年地方選挙で勝てないと予想したが。
「結局、セヌリ党が負けるだろう。 2010年地方選挙の時も李明博大統領はハンナラ党が勝利するだろうと自信を持っていたが結果は惨敗に終わった。」
-最近セウォル号事件を契機に韓国社会には原則と基本がないという自省論と共に、既存の成長主義一辺倒から抜け出して新しいパラダイムに切り替えることが必要だという世論が起きている。
「国を正しく立て直すには、大統領が先ず初心に帰って経済民主化の約束を履行しなければならない。 経済民主化が出来なければ、韓国社会がドイツのように調和と統合を成し遂げることは不可能だ。 ドイツ式社会的市場経済(または、秩序ある資本主義)を受け入れて市場経済の効率性を生かしつつ、政府が企業の言いなりにはならず市場経済秩序を確立しなければならない。 大統領が社会的変化要求と国民の心を受け入れなければならない。 そうでなければ任期は守れても、大統領職を正しく遂行することは困難だろう。」
-セウォル号惨事を契機に官フィア(官僚+マフィアの合成語)改革論が熾烈だ。
「企業は政府にロビーをするために退役官僚を迎え入れる。 長・次官などを務めた人は他の仕事を出来なくする方法もある。 だが、職業選択の自由があるので無条件に阻むことには限界がある。 結局は職業倫理が重要だ。 長・次官を務めた人がローファームに入り(政府部内にいる)後輩に電話することをなくさなければならない。 また、大統領は長・次官を務めて民間企業に行った人を再起用してはならない。
-朴大統領は‘統一大当たり論’を展開した。 ドイツの統一経験から韓国が得なければならない教訓は?
「1950年代エルハルト ドイツ経済長官が韓国を訪問した時、統一をする方法が何かという質問を受けて、経済力を最大限に蓄積することだと答えた。 韓国も統一を成功裏に行うには経済をまともに生かして統一の負担に耐えられるようにしなければならない。 そうするためには韓国社会の統合のための経済民主化が必要だ。 両極化がこのまま深刻化されれば、国民が北朝鮮支援にきっぱり同意するだろうか?」
エッセン(ドイツ)/クァク・ジョンス先任記者 jskwak@hani.co.kr 写真<ハンギョレ>資料写真
キム・ジョンイン前委員長は…
‘経済民主化の伝導師’と呼ばれるキム・ジョンイン前セヌリ党国民幸福推進委員長は、朴槿恵(パク・クネ)政府スタートに大きく寄与した。 2011年末、セヌリ党非常対策委員として参加して、党政治綱領政策に憲法の経済民主化精神を盛り込み、2012年大統領選挙で朴槿恵候補のために経済民主化を核心とするた選挙公約を作った。 1987年に憲法119条2項(経済民主化条項)が新設される時も主導的役割を果たした。 キム前委員長は「大統領が経済民主化公約を破棄して国民に失望を抱かせたことに対して大きな責任を感じる」と複雑で苦しい心境を明らかにした。 彼は大統領選挙で朴槿恵候補を助けたことは自分の席のためでなく、経済民主化をしてこそ両極化を防ぎ、国がまっすぐに進めるという思いのためだったと話した。 古希を過ぎた年齢でドイツまで来て研究しているのも国のためを思ってのことだと付け加えた。