8日昼1時、ソウル光化門(クァンファムン)広場に集まった‘父母’の胸には赤いカーネーションの代わりに黄色いリボンが付けられていた。冷たい海の中に子供たちを放置した大人として、父母として「面目ないから」だ。 父母たちはそれぞれ子供の感謝の挨拶を断って街頭に立った。 そしてセウォル号犠牲者たちとこの地のすべての子供たちに「申し訳ない」と謝罪した。
‘真の教育のための全国学父母会’はこの日‘セウォル号惨事の苦痛の中で、私たちはカーネーションを胸に付けることはできません’という主題の記者会見と追慕集会を開いた。 「父親の名前で、母親の胸で、申し訳ない、怒ります、共にします」と叫んだ。 父母たちの感情は悲しみと罪悪感と怒りで跳ね上がった。 父母たちの頭の上で暗雲と陽光が席を争ったこの日の天気と似ていた。 国民を保護出来なかった無能な政権を糾弾し、徹底した安全対策と特別検察、責任者糾明を要求する時、父母たちは決然としていた。 だが、セウォル号犠牲者の両親になった心情で、亡くなった子供たちに思いをはせる時には、あちこちですすり泣く声が聞かれた。
ナ・ミョンジュ真の教育学父母会ソウル東北部支会長は、前日の雨の中で始まった1泊2日ロウソク行進を終えて、光化門(クァンファムン)を訪れた。 ナ支会長が「セウォル号惨事の前には 'お母さん' という言葉は普通名詞だと思っていました。 セウォル号で子供たちが最後まで呼んだのはお母さん、お母さん、お母さん…セウォル号事態が解決されない限り、母親たちがどうしてこの国で子供を育てられますか」と問い直すと、記者会見場はあっという間に珍島ペンモク港と同じに変わった。詩人であり、教師、父母であるクォン・ヒョクソ氏の追悼詩‘うわべ(殻)の国を去った君たちに’と、真の教育学父母会ソウル支部のチェ・ヨンナン氏の‘両親が子供たちに送る手紙’は、すぐに参席者の涙、鼻水と入り交じった。
父母たちはポケットにくしゃくしゃに入れてあったカーネーションを紙の船12隻に分けて入れた。 これを持って朴槿恵(パク・クネ)大統領がいる大統領府まで行進すると話した。 パトカーのスピーカーからは「鍾路(チョンノ)警察署警備課長です。 一般市民が通行する歩道を塞がないでください」という警告が流れた。 父母たちは「私たちも一般市民」と言い返したが、大統領府側に向かう道は、教保(キョボ)文庫前の横断歩道を一つを挟んで道が混みあった。 警備課長はミランダ原則を告知して、自主解散要請に続き1次、2次の解散命令を下した。 3次解散命令が下されれば連行するという見えすいた脅しをした。 父母たちは30分余り警察と対峙して、目的地を市庁広場に変え、前進できた。 「卵で岩を砕いてみよう」という一人の父母の絶叫は、大統領府方向を幾重にも防ぎ立った警察の阻止線を越えられなかった。 しかし、父母たちが最後まで放さなかった‘母親の黄色いハンカチ’というプラカードには「子供たちよ、もうじっとしてはいないから」「真実が明らかになり責任者が責任を負う時まで行動します」と書かれていた。
チョン・ジョンユン記者 ggum@hani.co.kr