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朴槿恵(パク・クネ) 18代大統領 当選の 意味と課題

登録:2012-12-20 16:54 修正:2012-12-21 00:31
34年前のファーストレディ、父親の後光を背負って大統領府に再入城

初の女性大統領

 朴槿恵(パク・クネ)大統領当選者は憲政史上初めての女性最高統治者だ。 政党指導者としては1960年代野党である民主党党首を務めた故パク・スンチョン氏がいたが、主要政党の大統領候補として出て勝利したのは朴当選者が初めてだ。

 我が国の五千年の長い歴史でも、新羅時代の善徳女王と真徳女王、真聖女王以後で初めてだ。 新羅の3人の女王は自力で王になったというよりは、権力争いの過程で漁夫の利を得た。 これに対して朴当選者は自身の力で大統領に当選したという点で名実共に初の女性指導者ということができる。

当選者‘母親リーダーシップ’強調
女性の地位向上に寄与する公算
政府要職への女性起用も増えそうだ
 

朴当選者も選挙過程で女性大統領論を前面に押し出した。 彼女は選挙運動を整理する17日の記者会見で「家族のために全てを捧げて献身する母親の気持ちで国民の皆様一人一人の暮らしを世話する民生大統領になる。 新しい変化と改革で大韓民国最初の女性大統領の時代を開いてほしい」と語った。 ‘母親リーダーシップ’を強調したのだ。

 朴当選者は1998年、大邱(テグ)達城(タルソン)補欠選挙で当選して以後、これまで‘女性指導者’を特別強調することはなかった。 朴当選者は過去の選挙の際に女性の集いなどに参加することも特別にありがたがらなかったと側近たちは伝えている。 今回も初めから‘女性大統領論’を計画的に押し進めたわけではなかった。 しかし選挙戦序盤の種々の選挙スローガンの一つとして‘女性大統領’を掲げながら朴候補の女性性を巡る論争が起き、その過程で有権者の反応が好意的に表れたために終盤まで女性大統領を強調した。

 初の女性大統領の誕生は韓国社会の性平等を一層発展させる上で寄与するものと見られる。 この間、私たちの社会は女性に対する差別が大きく緩和されはしたが、政界と官界、経済界など社会を動かす要職では女性の比率が男性に比べてはるかに少ないだけでなく、民間企業などではまだ目に見えない性差別が多く残っているのが現実だ。 女性大統領の当選はこのような社会構造に大きな破裂音を投じる可能性が高い。 キム・ソンジュ セヌリ党共同選対委員長は18日、地域言論人に会った席で「全世界的に第3の女性の波が押し寄せている。 ドイツのメルケル総理と米国のヒラリー・クリントン国務長官などに注目しなければならない」として、新しい女性の時代の到来を予想した。

初の父娘大統領

 朴当選者はまた父親である朴正熙前大統領を抜きにしては説明することはできない。 憲政史上初の父娘大統領の誕生は父親の後光に力づけられたことが大きい。 来年2月に大統領に就任すれば‘ファーストレディ’の役割をして1979年に大統領府を離れ、34年ぶりに大統領府に戻るわけだ。

 1997年イ・フェチャン当時ハンナラ党大統領選候補キャンプの顧問として政界に足を踏み入れるや彼女は最高の‘人気政治家’になった。 当時、遊説場ごとに彼女を見ようとする人々で黒山の人だかりができた。普通の政治家では夢にも見られない状況だった。 父親の朴正熙と母親の陸英修に対する郷愁がそっくり朴当選者の政治的資産に転換された計算だ。

‘陸英修(ユク・ヨンス)への郷愁’が重なり人気街道
"名誉回復" 認識に変わりなく
過去事を巡り葛藤再現される模様
 

朴当選者は精神的にも父親の影響をとても強く受けた政治家だ。 彼女は今回の大統領選挙で主要政策として掲げた福祉強化にちても「父親がしようとしたこと」とその意味を付与しもした。 彼女は実際に過去長期に渡り父親 朴正熙の‘名誉回復’のために努めてきた。 1988年‘朴正熙・陸英修記念事業会’を発足させたのと、1990年に父親の一代記を扱った本<民族の指導者>出版、映画<祖国の灯>製作がそうした作業の一環だった。

 しかし "非凡な父親" "救国の革命" (5・16軍事クーデター)をした父親に対する朴当選者の記憶は維新独裁者 朴正熙に対する国民多数の記憶とは大きな差異がある。 彼女は去る9月23日に記者会見を行い「5・16,維新、人民革命党事件などは憲法の価値が毀損され大韓民国の政治発展を遅延させる結果を持たらしたと考える」として父親時代の誤りを初めて認めた。

 それにより過去事を巡る葛藤はひとまず結末を見たが、父親の問題は朴当選者の在任期間中、絶えず葛藤の素地になる可能性が高い。 「政治指導者として父親を客観化するべきだ」(キム・ジョンイン セヌリ党国民幸福推進委員長)という要求にもかかわらず、朴当選者の過去事に対する認識が根本的に変わったという評価は未だないためだ。 だが、朴当選者の側近は別の評価を出している。 永く彼女を見守ってきたある側近は「朴槿恵は民主的な指導者だ。 2004年17代総選挙や去る4月の19代総選挙など朴当選者が選挙を指揮した時、公認権を放棄したことを見ても分かるではないか。 朴当選者は個人の記憶の中の父親と公人としての父親を区別するだろう」と話した。

 女性大統領、父娘大統領より朴当選者を規定するはるかに重要な概念は保守大統領だ。 女性大統領や父娘大統領は胎生的自然的区分なのに比べて保守大統領は政治的社会的意味規定だ。

保守大統領の進歩的課題

 ‘朴槿恵=保守大統領’は今回の大統領競選の性格から始まった。 18代大統領選挙は過去どの選挙よりも保守と進歩の陣営対決で行われた。 進歩改革陣営が文在寅民主統合党候補を中心に単一隊列を形成したのに比べ、保守陣営は朴当選者を中心にみなが固く団結した。 現執権勢力である李明博系だけでなくイ・フェチャン、イ・インジェ、パク・セイルなど過去の保守陣営の分裂を導いた人物も全て復帰して朴当選者を助けた。 朴当選者は名実共に保守陣営を代表する政治家になったのだ。

 しかし朴当選者を典型的な‘保守’大統領に分類することは難しい。 保守陣営の全面的な結集という土台の上で勝利したものの、彼女の大統領選挙公約は成長と規制緩和、税金縮小など保守陣営のスローガンではなかった。 代わりに彼女は経済民主化と福祉強化など進歩的アジェンダを大幅に受け入れた。 進歩政策の核心である経済民主化をセヌリ党の綱領に明示して、福祉政策も大幅な拡大導入を公約したほどだ。 具体的な内容や鮮明性では民主統合党側より弱いことは事実だが、大きく見れば進歩側の政策を強く受け入れたということができる。 17代大統領選挙の時、李明博 ハンナラ党候補やこの前の米国大統領選挙でロムニー共和党候補が減税と小さな政府など保守政策だけを強く前に出したこととは対照的だ。

 これには当選のための選挙戦略という側面もあるが、経済民主化や福祉は基本的には時代的要求と課題であるためだ。 1997年外国為替危機以後に実施された新自由主義政策により所得の両極化が続いてきたが、李明博政府になってからはその速度が速まった。 非正規職が増えて、自営業は没落している。 大企業はうまく行っているが、中小企業と路地商圏は崩れた。 李明博政府が実施した金持ち減税はこのような流れを促進した。 低所得層(下位20%)より高所得層(上位20%)の所得が如何に多いかを示す所得5分委倍率が盧武鉉政府時期の2003年4.34倍から李明博政府時期の2009年には4.97倍まで上昇した。 昨年4.82倍で若干低くなりはしたが、庶民が皮膚で感じる相対的剥奪感はより大きかった。 したがって両極化解消、すなわち中産層復元は緊急課題になった。 そのためには成長よりは富の分配にさらに気を遣わなければならない。

保守層の支持で当選したが
経済民主化・福祉拡大など
‘進歩政策’を展開し中産層を生かさなければ

 しかし経済民主化と福祉拡大を通した両極化解消は保守陣営が要求する‘小さな政府’とは相反する。 朴当選者が経済民主化政策などを推進する場合、保守陣営からの反発が起きる可能性が高い。 しかも4大重症疾患無料治療と半額授業料、5才までの無償保育などの朴当選者が出した福祉公約だけに概略27兆ウォンの予算がかかる。 朴当選者は大規模増税なしに予算費用を調整したり非課税減免を縮小するなどの方法で財源を用意すると言ったが、それで賄うことは難しいというのが専門家たちの終始一貫した分析だ。 保守層が朴当選者の路線修正を圧迫する可能性が高い。

 しかし成功する大統領になるためには経済民主化など進歩的課題を実践しなければならない。 選挙過程で経済民主化を巡り朴当選者と葛藤を起こしたキム・ジョンイン国民幸福推進委員長は時間があるたびに 「経済民主化をしなければ直ちに2014年の地方選挙から崩れて政権は成功できないだろう」と話した。 政権の成功は保守勢力の説得にかかった。 彼女の政治力が本格的な試験台に上がった。 キム・ジョンチョル記者 phillkim@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/566234.html 韓国語原文入力:2012/12/20 11:17
訳J.S(3914字)

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