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米国では保守与党自ら‘マッカーシズム’反省したが…この地の‘従北追求’は誰が止めるか

原文入力:2012/06/07 20:53(2024字)

←ジョセフ・マッカーシー上院議員

ニュース分析:米国と韓国の差異点

"私の手に国務部で仕事をする共産党員205人の名簿がある" というジョセフ・マッカーシー共和党上院議員の暴露で‘アカ狩り’と呼ばれるマッカーシズム狂風が始まって4ヶ月後の1950年6月1日。共和党女性上院議員マーガレット チェイス スミスは‘良心宣言’という議会演説をした。 彼女は当時有名人の思想検証を主導した議会内反米委員会の手法を批判し、△批判の権利△非大衆的信念を支持する権利△抗議の権利△独立的思想の権利という4つの‘米国主義原則’を明らかにした。 これにはウェイン モスなど6人の共和党上院議員も署名した。

 1950年代初め、米国のマッカーシズムと現在の韓国社会の‘従北追求’は過程が似ている。 公職者の中に反国家勢力がいるという漠然とした疑惑提起が公職社会全般を相手にした思想検証に広まったという点だ。 だが、一つ決定的な違いがある。 当時米国では保守勢力、特に保守政党内でスミス議員のように良心の自由に基づいて無差別的思想検証を牽制した強力な動きがあった。 反面、現在の韓国社会にはそのような動きがないということだ。

 マッカーシズムの背景は当時米国進歩勢力の成長に対する保守勢力の恐れだった。 米国版民主進歩連帯である民主党のニューディール同盟下で労働運動、女性運動、少数民族勢力、共産党などが成長した。 韓国も去る総選挙で野党圏連帯で統合進歩党が議席数を13人まで増やした。

 マッカーシーが初めて言及した‘国務部内共産党員’は国家機関で暗躍するソ連スパイ、一歩進んで共産党同調者、そして米国に対する不忠者まで標的が広がった。 韓国も統合進歩党内の主体思想派という京畿東部連合から始まって‘従北派議員’、イム・スギョン議員など1980年代学生運動出身民主統合党議員、さらに進んで総理を歴任したイ・ヘチャン議員まで従北の範囲が広くなっている。

 マッカーシズムは特定人に対する証拠と行為検証から不特定の大衆を相手にした思想検証に飛躍した。 当初‘国務部内共産党員’に対する証拠と行為検証から出発したが、後には不特定公職者を反米委員会など各種思想検証機構に召還して国家に対する忠誠と資格有無を検証した。 韓国でも統合進歩党内の競選不正の有無という事実と行為検証から従北という思想検証に飛躍したし、今は公職者の資格審査までが議論されている。 ファン・ウヨ ハンナラ党代表はイ・ヘチャン議員に対して「憲法を守護する国会議員として資格を備えているかを審査するところまでいかざるを得ない」と威嚇している。

 マッカーシズムと従北追求がこのように似た進化過程を示しているが、結論が同じになるかは分からない。 米国ではマッカーシズムに火を点けた共和党内で先にブレーキがかかったし、結局は議会でマッカーシー非難決議案を採択し傷を治癒した。 反面、韓国では進歩勢力自体の中で改革と浄化次元で提起した従北問題を、保守勢力が狂風に仕立て上げている。 ハンナラ党大統領選候補の朴槿恵議員とファン・ウヨ代表、李明博大統領が率先して‘基本的な国家観’あるいは‘国家アイデンティティ’に背反する人々に対する措置を誘導している。

 マッカーシズムは共和党内から良心の自由を擁護する勢力が再び立ち上がり、マッカーシーが2次世界大戦の戦争英雄である陸軍将軍たちまでを議会に召還しアカに追い詰め没落した。マッカーシーは陸軍将軍に対する聴聞会を主導して陸軍側弁護士ジョセフ・ウェルチから「やめれば充分だ。 廉恥というものが残っているのか」と反撃を受けた。 レルプ プレンドス共和党上院議員は1954年6月議会演説でマッカーシーをヒットラーに比喩し、マッカーシー非難決議案を発議した。 この決議案聴聞会を開いたワトキンス委員会はマッカーシーの46ヶの疑惑を審査し、同僚議員を共産主義同調者に追い立て非難した容疑などを認めた。 上院はこの決議案を67対22で通過させ、マッカーシズムの終焉を確認した。

 スミス議員は良心宣言で「政治的統合や知的正直さが不足した哲学を持つ共和党に政権が交替させられるならば、同じようにこの国にとって災難になるだろう」とマッカーシズムを胚胎した自身の所属党を批判した。 米国の保守勢力と政界主流勢力はマッカーシズムの渦中でも良心の自由を擁護する前向き価値を残した。 韓国の保守勢力と政界は従北追求で何を残すことができるだろうか。 チョン・ウイギル先任記者 Egil@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/536675.html 訳J.S