米国・イスラエルとイランとの戦争によりホルムズ海峡が封鎖され、タンカーは事実上運航を停止した。すでに20隻あまりの商船が攻撃を受けており、10人の乗組員が死亡している。現在の状況は、40年前に同海峡で起きた「タンカー戦争」のデジャブだ。
タンカー戦争とは、1980年代のイラン・イラク戦争で両国が互いに相手国のタンカーを攻撃したことを指す。両国は1980年に始まった戦争が消耗戦へと移行していったことを受け、相手国の戦争資金の源と物資を遮断するため、タンカーにまで戦線を拡大した。はじまりは、イラクの独裁者サダム・フセインが1984年にイラン最大の石油基地カーグ島とタンカーを攻撃したこと。それに対してイランは、イラクへの軍需物資の流入ルートであったクウェートのタンカーを攻撃。結局、クウェートは1986年に外国に保護を要請した。まずソ連が支援に乗り出すと、ソ連の影響力の拡大を懸念して米国も動き出した。米国法上、米海軍が外国船舶を直接護衛することは違法であるため、クウェートのタンカーは船籍が米国に変更された。当時、米国は「イランには米国の国旗を掲げた船舶は攻撃できない」と考えていたという。
「アーネスト・ウィル」と名付けられたタンカー護衛作戦は1987年7月22日に開始された。最初の任務は、アラブ首長国連邦(UAE)の港からペルシャ湾北端のクウェートの港へ、ブリッジトン(Bridgeton)号を含む2隻のタンカーを護衛することだった。米海軍は5隻の軍艦で護衛艦隊を組織。同海峡は幅が狭いため、絶対に通過しなければならない航路があった。イランは前夜にその海域に機雷を設置していた。ブリッジトン号はその機雷に接触してしまった。大きな穴が開いたが、航行は可能だった。この事件は米海軍史上最も屈辱的な1枚の写真を残した。破損したブリッジトン号が、軍艦に厳重に護衛されるのではなく、逆に軍艦がブリッジトンをまるで「機雷除去船」のように利用して後を追うシーンが写っているのだ。米海軍歴史遺産司令部の記録によると、1987年末までにイラクは283回、イランは168回も船舶を攻撃した。商船の乗組員への被害は死者116人、行方不明者37人、負傷者167人。
覇権のピークにあった1980年代でさえ、米国はタンカーの護衛に苦慮した。トランプ大統領は今月1日、ホルムズ海峡の開放の責任を同盟国に押し付けた。米国が海峡を放置したまま去ると、米国の覇権国としての地位に大きな傷を残すことになるだろう。軍事作戦の限界が顕在化しているだけに、今こそ武力行使をやめ、事態の収拾に当たるべきだ。