中国人の韓国へのビザなし入国が9月末から来年6月末まで一時的に認められている。「KPOPガールズ!デーモン・ハンターズ」などのコンテンツ領域でいっそう高まった韓国文化の人気を観光の活性化へとつなげ、停滞する地域経済に少しでも恩恵を行きわたらせようというのが、実施の背景だろう。
すでに尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の時代から中国人観光客を改めて呼び込むための様々な努力がなされていたにもかかわらず、実際にビザなし団体観光がはじまると、保守政党と各種の保守団体は中国観光客を犯罪の温床としてフレーム化し、嫌悪表現(ヘイトスピーチ)をあふれさせている。例えば、最大野党「国民の力」のキム・ミンス最高委員やナ・ギョンウォン議員は、中国人の入国による感染症の拡大を懸念したり、入国後の居場所が不明になることで犯罪の統制が難しくなるという、誇張された主張を展開したりしている。特定の国籍の外国人を病気や犯罪に結びつけて恐怖を刺激するというのは、最も典型的な差別と嫌悪の表現だ。
政治家が嫌悪をあおる理由は明白だ。外国人や自分たちと異なる集団に対する恐怖は最も原初的な本能であり、理性的判断以前に作用する感情の反応であるため、短い簡単な発言や刺激的な表現であおることもたやすく、大きな反応も引き出せるからだ。つまり、嫌悪はある種の政治家にとって一種のばくちなのだ。大衆の恐怖心理を運良くうまく働かせれば、正常なやり方では決して得られない人気と影響力を得られるというのは、大きな補償を短時間で得られる政治的ばくちだ。かつての残酷な戦争の歴史の中で存在した反ユダヤ人感情がそうだったように、現在の西欧における過激主義勢力の拡大にも、移民とイスラムに対する恐怖をあおり、自身の政治的利益を追求しようという不純な動機が作用している。つい最近まで日本で公然とまん延していた反韓感情は、他でもない韓国人に対する嫌悪を媒介として、日本の極右政治家や、極右的政治勢力であり新生政党である参政党が突如として台頭する動力にもなったわけで、遠い国の他人事だと言ってばかりはいられない。実際に同党の代表が、オンラインコミュニティーで使われるような韓国人に対する蔑視表現を公開の場での演説でためらうことなく使ったり、外国人のせいで治安が悪化し犯罪が増えているという根拠のない主張を繰り返したりしたところ、それまでは1議席だった同党は、7月の衆議院選挙で14議席も獲得するという思いがけない成果を得た。
他国では差別と嫌悪の被害者だった私たちが、近ごろは特に中国に対してヘイトデモを繰り広げたり、あけすけな嫌悪表現を繰り返したりしているという、この不慣れな現実が教えてくれているのは、韓国社会において極端主義者たちが危険なばくちに手を染めだしているということだ。政治家にとっては、嫌悪は自分の個人的な人気と影響力を補償としてもたらしてくれる賭けかもしれない。しかし、その嫌悪が招く結果は、一つの社会の中で簡単には消えない長い分裂と対立のみにとどまらない。時には国際的な緊張と戦争にまでつながりうる、それこそ瞬間的に共同体の命運を決定づけうる極めて危険なばくちとなる。先日、反中デモ隊が大林洞(テリムドン)にやって来て、多くの中国同胞の子どもたちが通う小学校の前で嫌中スローガンを叫んだというニュースは、今後この恐ろしい政治的ばくちがどれほどひどくなり、ある人にとってはどれほど深い傷を残すことになるかを予告しているかのようだった。何の理由もなくその嫌悪スローガンの声を聞かされ、デモ隊のまなざしにさらされたであろう子どもたちの姿が想像され、ただただ胸が詰まる思いだ。日を追うごとに急速に多文化社会へと足を踏み入れつつある私たちが、この嫌悪との闘いにどのように対応するかによって、今後の私たちの民主主義と日常の姿が決定される。そう言っても過言ではないはずだ。
嫌悪表現がもたらす害悪は恐ろしく、防がなければならないが、実際にそれを防ぐのは簡単ではない。民主主義の基本原則である表現の自由は合理的で理性的な表現のみを保護するものではないため、私たちが受け入れることのできる水準の表現と許せない嫌悪との境界は、必然的にぼんやりとした曖昧なものにならざるをえない。法による嫌悪の禁止はそれなりの代価を支払うことになるため、法制度の利益と弊害をはかりにかけて慎重にならざるをえない。法制度以前に、最も効果的な対応は、メディアと世論がヘイト勢力に対して断固たる態度を示すことだ。嫌悪主張を単に伝えるのではなく、それに対する批判的立場をはっきりと可視化すること。そして虚偽主張に対しては明確な事実を提示して反論すること。そこから始めよう。
ホン・ウォンシク|同徳女子大学ARETE教養大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )