12・3内乱後に行われた選挙の出口調査で、30代以下の男性たちから非常に論争的な結果が得られた。若年男性が保守化にとどまらず、とうとう極右化しはじめているのではないかという懸念が提起されている。
性別を問わず、青年世代の保守化と極右化は全世界的な現象であり、韓国だけは安全だという保障はない。ただ、韓国の青年女性が戒厳に反対する「ペンライトデモ」に積極的に参加していたことを根拠に、青年女性のことを韓国社会の一筋の光のような存在だと信じる人も見うけられる。しかし30代以下の女性有権者も内乱を擁護したり、嫌悪政治の扉をこじ開けたキム・ムンスとイ・ジュンソクに投票したりした人の割合が40代と50代に比べてかなり高いということを無視しては通れない。
では、韓国の若者たちも程度の差に過ぎず、性別を問わず極右化が進んでいるのだろうか。もちろん「民主・進歩」派の候補に投票しなかったからといって極右と規定するのは早計だ、という批判もある。若者の極右化についてのこのような反論は共通して、若者の投票は流動的であり、社会経済的な不安と政治的疎外感の表出、かつ既成世代に対する反感の表出であり、構造的にアプローチすべき問題であることを強調する。私もこのような脈絡に同意する。だが、内乱の首魁(しゅかい)を輩出し擁護した政党の候補よりも、生放送された討論会で「性暴行を再現」した候補よりも、城南(ソンナム)市長と京畿道知事を歴任し戒厳解除を導いた候補が大統領になって以降の未知の未来の方に拒否感を抱く世界観が、何に起因するのかについては、依然として説明が不足している。
このことについて私は、「若者の過激化」という命題を提示しようと思う。ここで「過激さ」とは、特定勢力に対する支持や明確な理念が形成される以前の、萌芽的状態の強いエネルギーをいう。それはいわゆる「急発進」のかたちで現れる。特定の政治家や問題などの諸般の事案に対する判断の軸が、極好(神格化)と極不好(極嫌)という両極だけが残っており、外部から入力された情報に対する反応が反射的に両極の形態のみで表現されるのだ。入力された情報が反応として出力されるためには、人生において累積してきた経験と知識を振り返るという省察の過程が伴わなければならないが、そうではなくオンラインで見たイメージやミームの印象が出力過程を支配するのだ。これは、即時的な快楽を与えてくれるオンラインコンテンツに慣れ親しんでいるデジタルネイティブ世代に顕著な特徴だ。
例えば、若者たちの投票傾向から「586(80年代に学生運動経験を持つ60年代生まれの50代)の偽善に対する反感」を読み取ることは、むしろ表面的な分析となる恐れがある。2021年に韓国放送(KBS)が韓国リサーチに委託した認識調査では、20~34歳の回答者の半数近くが「586」という言葉そのものを知らないと答えた。にもかかわらず「586世代は韓国社会の既得権勢力だ」という問いには、80%が「そう思う」と答えた。よく知らない対象に対して強い反感を示したわけだ。このことは事実上、今日の「青年問題」の核心を説明している可能性がある。オンラインで見たイメージと話を拾い上げ、反射的に極嫌感情を選ぶのだ。実際に、インターネットミームの流行のせいで「李在明(イ・ジェミョン)」と言えばついて回る「25万ウォン」、「ドラム缶」などにまつわる否定的な印象を根拠に、それに対する判断を終結させてしまうのが、青年男性の集うオンラインコミュニティーにあふれる悪魔化感情だ。もちろん、青年女性もこのような極嫌感情から自由ではない。2022年の徳成女子大学の清掃労働者のストライキを思い出してみよう。キャンパスの掲示板にあふれた「労働者アウト(OUT)」は、ストライキの否定的イメージと自身の不便に対して反射的な不好感情を強く表すとともに、攻撃的な態度を示すという傾向をあらわにしている。
不安定な社会経済構造に起因する若者たちの不満は実在する。ただしそれは、政治的に表出されるべき言葉を持たぬまま「若者の過激化」として浮遊している。極右ポピュリストはこの傾向に便乗し、その浮遊する不満に自分たちの浅はかな言葉を与えているのだ。つまり、一種の翻訳家のようなものだ。いかなる政治的な言葉で、いかに表現すればよいのかが分からない要求と不満がある時、それを代わりに表現してやるのだ。現在、多くの若者がその浅はかな言葉から表現方法を見つけている。
したがって、カギは極右ポピュリストの言葉の公論の場からの放逐だ。何よりも、より本質的には、人は自分の要求と不満を自ら表現する政治的語彙を持たなければならない。
キム・ネフン|作家、『急進の20代』著者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )